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APDAと90年代に作ったアプリ前半

地方開発者の私的Mac40年」の六つ目の記事です。

これまでの記事
❶「Macintosh 512K カナ
❷「512KカナMac マニュアルと付属品
❸「Macintosh Plus
❹「初期のMac用アプリ
❺「作るは地獄と言われたソフト開発
❻「APDAと90年代に作ったアプリ前半」★この記事
❼「APDAと90年代に作ったアプリ後半




APDA

資料不足が解消したのはAPDAにアクセスできるようになったためでした。

APDAとは Apple Programmer's Developer's Association の頭文字だ。私がAPDAの存在を最初に知ったのはMacTutor誌86年9月号の広告だ。
APDAの存在を知りまず最初に、当時おつきあいのあったキヤノン販売さんに問い合わせてみた。このころはまだアップルさんと直接の面識はなかったからだ。日本経由でAPDAにアクセスできないことがわかったので直接問い合わせ個人で入会した。
問い合わせといってもE-mailではなく郵便だ。APDAの広告にも問い合わせ電話番号と住所しか載っていない。
今でも英語は苦手だ、記憶はほとんどないが問い合わせといっても当時は単語を並べただけだったと思う。

『作るは地獄』の大きな原因の一つはMacのプログラミングに関する情報不足だった。APDAには情報不足解消を期待して入会した。
もちろん資料はすべて英語だったがAppleのTechNoteやSDKそれに書籍を購入することができた。
最初にAPDAに入会した時期は定かではないが、当初支払いは銀行で米ドルの小切手を作りそれを郵送していた。
1ドル200円以上だったと記憶している。
88年の注文内容が残っていたがこのころはクレジットカードを利用していた。APDAにはその後も長くお世話になった、円高がすすみ1ドル80円台で決済されたこともあったことが懐かしい。

APDAに入会すると定期的にAPDAlogというカタログが届いた。そこにはApple社以外の開発言語・ユーティリティソフト・書籍なども載っていた。
APDAは現在その機能を完全にADC(Apple Developer Connection)に移項している。
資料はwebで参照するかpdfを手元で印刷でき、SDKは自由にダウンロードできる。まったく便利になったものだ。
現在では情報不足は大幅に改善された。
2002.02.06

Macintosh20周年の頃の文章

ADCのリンクは2024年現在のhttps://developer.apple.comと同じでした。

MacTutor誌86年9月号の広告


物理メールで入会手続き

APDAの広告はMacUser誌1986年Novemberにも載っています。
年会費が必要だったので、手続きが必要でした。

現在ではクレジットカードですみますが、当時はクレジットカードを持っていませんでした。
そのため北海道拓殖銀行本店へ行きUS$の送金小切手を発行して申し込み書に同封し物理メールの航空便で送付したはずです。

APDAに入会すると地方であってもUSからカタログなどが届きました。

APDAのメンバーカード 毎年更新かどうかは失念
1991年のAPDA Tool Catalogの表紙と裏表紙
1991年のAPDA Tool Catalogより サードパーティ製品も購入できた

カタログを見て、注文書をコピーして欲しいツールや資料の品名や注文番号を書き込みFaxで発注していたようです。
クレジットカードもこの個人輸入用に作りました。


3穴バインダーの資料

印刷物のTechNoteなどの資料は3穴バインダー用のものが多かったのです。
TechNote はインサイドマックなどの開発情報を補足するドキュメントです。
サイズもA4などのとは若干異なっていたような気がします。
3穴用バインダーは高かったけれど札幌市内でも売っていたので入手して使っていました。

置き場所に困り十年ほど前にすべて処分してしまいました。


資料もツールもフロッピー

フロッピーディスクはかなりの数残っています。
引き出し型のフロッピーケースで保存していました。

最初はすべてフロッピーディスクでした。
(その後しばらくしてデベロッパー関連のアプリや資料がCD-ROMで提供されるようになりました。)
CD-ROMでは基本的なツールやドキュメントが含まれ、発注することなく最新情報が得られるようになりました。
その後はすべてWebで公開されるようになり現在に至っています。

手軽に手に入るようになったので、いろいろ手を出していたように思います。
ほとんど使わなかったものも結構あったはずです。

資料不足に泣いた経験の反動で手当たり次第取り寄せていた感がある
Hypercard関連も取り寄せましたがあまり使いませんでした
サードパーティーのツールもAPDA経由で入手可能でした
SmartScrap & The Clipperのフロッピーディスク

ユーティリティのClipperは枠だけのユニークなウインドウだったように記憶しています。(WDEFでこんなことができるのかとの印象が強いです)


SteppingOut

開発ツールではありませんが Clipper のフロッピーディスクを見て思い出しました。
SteppingOut というMac画面サイズを仮想的に拡張するすごいユーティリティがありました。

Macの画面サイズを超える仮想サイズを設定し、実際の画面ではその一部を等倍で表示するのです。
512*342の画面をたとえば800*400サイズの仮想画面サイズに変更することで、行の折り返しやスクロール操作のストレスが減りました。
macOS14でもアクセシビリティでズームしたとき、ポインタが端に到達した時に表示部分が移動しますが、その機能を実現していたソフトでした。
仮想画面にメモリーは多く必要ですが、見えない部分をスクロールした後の再表示にかかる時間がゼロになるのが画期的でした。
発想がユニークで、動作も自然で実現した技術力に脱帽でした。

ほかにも Switcher や RAM Doubler・Disk Doubler などユニークなユーティリティがたくさんありましたね。
Switcher については作者の Andy Hertzfeld が「レボリューション・イン・ザ・バレー」で書いています。

レボリューション・イン・ザ・バレーの表紙

今回いろいろ検索して見つけたのですが「レボリューション・イン・ザ・バレー」の原稿(英文)が公開されていました
書籍とは違った画像などもあります。



技術書籍

技術書もAPDAから入手できました。
洋書を扱う書店やMacショップで買うより安かったように思います。

ResEdit Reference 大判(IMと同じ)のResEditのマニュアル的存在
Guide to the Macintosh Family Hardwareの表紙と裏表紙
Inside Macintosh Volume Vの表紙
Technical Introduction to the Macintosh Family の表紙


Macintosh Human Interface Guidelines

Human Interface Guidelines はMac OSの進化にともない変わっていきました。
このバージョンは1992年のものです。

Macintosh Human Interface Guidelines の表紙

画面やイラストは全ページカラーです。

今見ても美しい紙面です
このころのアピアランスは個人的にかなり好きです

白黒のほか4bitと8bitカラーのアイコンをアプリに組み込んでいました。

8bitカラーでは同時に256色表示できますが、アイコンで使える色は指定されていました。



NIFTY-Serve

パソコン通信のNiftyを利用するようになって文字通り世界がひろがりました。
一番は小池さん(現在Ottimo, Inc.)との出会いです。
この出会いがあって、後にコーシングラフィックシステムズに誘っていたきました。

Mac関係のフォーラムのほか「文字情報と印刷・ DTP フォーラム(FPRINT)」にも参加していたはずです。
FPRINTの有志が作成した冊子(1989年作成)が残っていました。

FPRINT 1,000人突破記念の冊子 表紙と裏表紙
FPRINT 1,000人突破記念の冊子 見返しと目次
FPRINT 1,000人突破記念の冊子 あとがき

Niftyのフォーラム一覧がありました:(Shift JISエンコーディングです)
http://text.world.coocan.jp/flist.html

Mac関連のフォーラムの一部


当時の開発環境-その1

時代的に前後しますが、開発に使っていたり当時話題のツールについて書いておきます。

LightSpeed Pascal

しばらくして光の速さのPascalが登場しました。
MacPascalを強力にした開発環境です。
もちろん独立したアプリケーションも作れDAなども作れました。
速度だけではなく一つの開発に関連するソースを管理する仕組みをそなえmakeファイルを記述しなくても依存関係にそったコンパイルリンクをやってくれる優れものでした。私が使ったものでは統合開発環境と呼ぶにふさわしい最初のものでした。

サンプルもマニュアルも充実していました。書籍版Inside Mac I、II、IIIを買うまではこのマニュアルのToolbox説明にお世話になっていました。

Macintosh20周年の頃の文章
LS PASCAL と Modula-2

LIGHTSPEED PASCAL(LS Pascal)のマニュアルはページ数が多く分厚いものでした。
少なくともInside MacのQuickDrawの部分はほぼそのまま載っていたと思います。


MPW

MPW(Macintosh Programmer's Workshop) は現在でも入手可能なAppleの公式開発環境です。
手軽でなかった(昔は高価で日本語の資料も限られていた)ため私はあまり使いませんでした。
ただMPWを使わなければできない開発もあり。日本語ドットフォントを作る時には使った記憶があります

Macintosh20周年の頃の文章


Turbo Pascal

これもコンパイルの速度がとても早く、インタープリタの感覚で開発できるPascalコンパイラでした。私は既にLightSpeed Pascalを使っていたので購入はしませんでした。

Macintosh20周年の頃の文章

地元のMacユーザー会HMUGなどでTurbo Pascalを見せてもらったことがありました。
確かに反応がとても早かった印象です。


MacsBug

開発に欠かせないのがローレベルのデバッガです。
特にソースレベルのデバッガが現在ほど高機能でなかった頃はとても重要でした。
Appleから提供されていたMacsBugにはお世話になりました。バグを追求する必要からMC68000のアセンブラも覚えました。

Macintosh20周年の頃の文章

MacsBugはフロッピーベースのMac時代からお世話になりました。
爆弾を表示するかわりにMacsBug画面に切り替わるので問題の原因追及に不可欠でした。

APDAから購入したMacsBug 6.0


TMON

サードパーティ製の強力なローレベルデバッガとしてTMONがありました。
ローレベルデバッガではありましたがマルチウインドウを実現するなどMacsBugよりも便利で強力でした。
ソースレベルデバッガが実用的になり、Macの機種も増えてきたため使う機会が減ってしまいました。

Macintosh20周年の頃の文章
TMONの広告 MacTutor 1986年9月号より

この広告ではTMONの価格は100ドルとなっていますね。

TMONと言えばアリ

パッケージは箱ではなく封筒だったような印象です(蛍光インキを使っていたはず)。


プロトタイピングツール Prototyper

Macintosh IIの登場などMacの性能向上とともに新しいツールがあらわれました。プロトタイパーもそのひとつです。
グラフィカルにプロトタイプが作れてしまうとの広告を真に受けて個人輸入しました。最初のバージョンはかなり問題が多くプロトタイプ作成ツールとしての機能はあまりはたせなかったと記憶しています。
その後バージョンアップされ画面なども若干あか抜けましたが基本性能が不十分でした。正しく動作しない開発ツールは使う気にならないのは今も同じです。

Macintosh20周年の頃の文章

開発ツールにはめずらしく見開きカラーの広告を打っていました。

MACWORLD 1987年1月号より
フロッピーディスクのラベルも広告と同じイメージでカラー


PROGRAMMER'S EXTENDER

プログラマーズエクステンダーもアプリケーション開発の骨格を提供してくれました。
このころになると英語に対する私のアレルギーも消え、苦手ながらいろいろ取り寄せていました。
手元に残るLightspeed Pascal用プログラマーズエクステンダーのフロッピーディスクにはシリアル番号が手書きで書かれています。
当時はフロッピーのラベルにシリアルを記したものが多かったのです。

Macの開発に苦労していたため、これらのツールが役に立つかと大いに期待したのですが、基本的な部分は既にマスターしていた事と、制限も多く効率の良さにも疑問を感じ結局自分の製品には使う事はありませんでした。
2004年 1月 4日

Macintosh20周年の頃の文章
PROGRAMMER'S EXTENDERのフロッピーディスク



コーシングラフィックシステムズに移籍

小池さんからお誘いを受け、札幌で開発を続けることも可能だったのでコーシングラフィックシステムズ(社長は松田さん)に転職しました。
札幌は小森さんとふたりでのスタートでした。

開発用にMacintosh IIciを用意していただき、Mac開発に専念できました。

それまでは自分で企画してアプリを作っていましたが、コーシンに入ってからは作成プロセスが少し変わりました。
企画会議なんてものはありませんが、濃いメンバー(つまり社員全員)が食事をしながら好き勝手なことを言いつつ開発の方向を決めていました。
基本一人で作ることには変わりはありませんが、企画・試作アプリのテスト・マニュアル作り・カタログ作りなどは分担&協力してもらうことができて製品の完成度アップをはかることができました。

またボストンのマックワールドエキスポやWWDCに行くことができました。
1990年代後半のMacにとっては厳しい時期もMacの仕事が続けられたのはこの会社に誘ってもらったおかげです。

コーシングラフィックシステムズのアプリはアバウト画面でプログラマーの名前を表示していました。

開発にはハードディスクは必須でしたが、データ移行にはまだフロッピーディスクを使っていました。
これは出張などに持参したAppleグッズのフロッピーケースです。

6つのポケットに2枚のFDを入れると12枚収納できるフロッピーケース


マックワールドエキスポ東京

コーシングラフィックシステムズは1991年幕張メッセで開催されたマックワールドエキスポ東京に出展しました。
私はまだプロトタイプでしたが原稿用紙ワープロ「たまづさ」を展示し開発者本人として説明しました。

そこでいつくかの出会いがありました。
一つはシナリオライターの方で、シナリオ向けの機能を追加して欲しいとのリクエストをいただきました。
名刺交換し、後日シナリオの実物を送っていただきました。
シナリオに必要な機能を洗い出し、リリースに間に合わせることができたと記憶しています。

札幌からエキスポ期間出張なので本社のひとたちも幕張のホテルに泊まり込み参加しました。
もちろんそこでも夕食ごとにMacな話題で盛り上がりました。

このエキスポでコーシンブースの目玉は小池さんが作成した『VideoMagicianII(ビデオマジシャンII)』でした。
音声付き動画の録画再生アプリです。

Video Magician II のカタログ

この年のマックワールドエキスポに出展していたマイクロソフトは鳥類図鑑アプリのデモをしていたはずですが、鳥の写真はカラーでしたが静止画で鳴き声の再生があるのみでした。
QuickTimeが登場する前のことです。

その後も幕張のマックワールドエキスポ東京には出展していました。


たまづさ

「たまづさ」は私がコーシングラフィックシステムズに入って最初に作ったMac用原稿用紙ワープロアプリです。

昔の開発ノートを見て、初期のアプリ名(候補)が「徒然つれづれ」だったことを思い出した。
「つれづれ」は商標の関係で使えなかったために「たまづさ」が浮上しました。(女性社員の発案です)

開発ノートには最初からウインドウタイトルを縦書きで表示するWDEFを使った画面イメージのメモがありました。
つれづれ専用のテキストエディットを作る 32Kのバリアはなくす のメモもあります。
当時の文字コードはシフトJISなので1文字2バイトの世界でした。
400字詰め原稿用紙1枚で800バイト、100枚でおよそ80KBです。

当時の開発ノート 縦書き特有の諸々に気が付くようノートも縦書きで書き始めた

WDEFは開発の初期段階で作りました。(下の画面はV2.0のものです)

たまづさの画面(v2.0カタログより) v2.0ではドラッグにも対応

WDEFはウインドウ定義関数のコードリソースです。
タイトルバーを含むウインドウをどのように表示するかはこの関数で決まるのです。

アプリアイコン・書類アイコンをはじめツールアイコン、モード別のマウスポインターなどのデザインも楽しみながらやっていたのはこれまでと変わりません。

ページのスクロールは横方向ですが、QuickDrawの座標系は16ビット整数なので32Kの壁がありそれ以上の大きさは表現できません。
そのため横スクロールは通常のドット単位ではなく行単位などにすることで対応したような気がします。

ビットマップでテキストエディット機能を作るのは、やってみてわかったことが少なくありませんでした。
挿入点を示す点滅するキャレットはXORで表示させていました。
XORは白黒の反転で、一度目のXORで表示しもう一度XORすると消えるのです。
ただしドラッグで選択すると、選択範囲表示に切り替えなければなりません。
文字入力や特にキーを押したままでリピートした場合などの対応に追われた記憶があります。
開発中にはタイミングによりキャレットが消えずに残ってしまう問題が発生しました(そうなるとずっと残ってしまうので厄介でした)。

基本的な入力編集だけではなく本文を選択して注釈を書き込むための「付箋」機能を追加しました。

文字挿入にともない必要な再表示も軽快に表示するように調整しリリースにこぎつけました。

たまづさのカタログ-表


たまづさ 本文表示の工夫

当時の表示環境はカラー表示の過渡期でした。
4色(4階調)、16色、256色、32000色、1600万色が可能で256色、32000色環境が多数派でした。
256色以下は1600万色のなかからCLUT(Color LookUp Table)を参照して表示します。

フォントはまだビットマップフォントの時代です。(漢字TrueTypeの発表1992年だそうです)
そこで24ポイントの文字を4階調環境で縦横半分に縮小し表示することで、小さな文字でも見やすさを確保しようとしました。
文字サイズは固定ですがグレイスケールフォントを自前で用意したわけです。
もちろんリアルタイムで縮小処理は重くなるので縮小した文字をキャッシュして用意しました。
文字フォント関連をやってきた経験が生きました、当時はまだユニコードではなく第1水準は3000文字ほど第2水準と英数字などを含め合計8800文字強だったので実装できました。

たまづさのカタログ-裏


たまづさ キーボード操作の工夫

キーボードのみで操作できるようにすることにもこだわりました。
具体的には選択部分の変更をキーボード操作だけでできるようにしました。
通常Macのキー操作は⇧シフトキーを押しながら矢印キーで文字の選択と選択範囲の変更ができます。
ただし起点が固定で起点を変更したい場合はもう一度選択し直しが必要でした。
(たまづさではこの起点をアンカーと呼んでいます)

たまづさでは起点(アンカー)を切り替えるショートカットを追加しこの問題に対応しました。

シナリオ用の機能として字下げを追加したため文字挿入点の移動処理が複雑になり時間を取られましたが、その経験はiPhone用の青空文庫ビューアーアプリの本文表示でいかすことができました。

たまづさは 1991年リリースしました。
ほとんど知られていませんがアップルジャパンの「1991年 アップル・ベストプロダクト賞」をいただきました。(アップルさんにはもう少し各方面へ告知をして欲しかったです)

おかげさまで『「たまづさ」でなければ書けない』ためにG5など古いMacを予備のために複数用意してまで使い続けてくださるユーザーさんがいらっしゃいます。
最近では仮想環境で古いOSを動かしその中で「たまづさ」を使っているとのことです。

たまづさ(ver1.0)パッケージに挟み込む印刷物


ニュース原稿用特注仕様たまづさの開発受注

1993年頃放送局用にたまづさを特注仕様に改良できないかとの打診がありました。
アナウンサーが読む原稿はすべて縦書きなのだそうです。
1行の文字数や1ページの行数は固定(変更されてはまずい)なので通常の設定画面は不要になります。
1行の文字数も少なめで、さらにいくつかの表示が必要なマークや特殊な約束事がいくつかありました。
印刷の対応などは1980年台にいろいろ試行錯誤していた経験がいきました。

一度新宿区にあった放送局内を見学する機会もいただきました。
改良は印刷のほか、入力画面もマークの指定や文字数を時間に変換した表示などを追加したように記憶しています。

第1期納入後も何度か改良を重ね、数年がかりの仕事となりました。
お台場に完成した新放送局も見学の機会があり、ニューススタジオが想像以上の広さで驚きました。




パワーキーパー

アップルさんからPowerBook 100の貸し出しを受けることができたので私が使わせてもらいました。
PowerBook 100はスリープ解除の時刻を設定する機能がありました。
ソフトウェアでスリープ解除できるこの機能を活かして、音声や動画のマルチメディア機能も活用するPDAアプリを企画しました。
現在ではiPhoneの基本機能で実現できていますが、1992年当時はめずらしい機能だったはずです。

昔の開発ノートには『松田さんより「予定などをエージェントを組み込み動画で伝えるのが良い」とのアドバイス』と書かれていました。(コーシンでは社長でもさん付けでした)
複数の動画を用意して、予定時刻に表示するアラートに動画表示を追加しました。

動画なので「お時間です」など使える場面が多い短い動画を複数用意しました。


データの単位はたまづさでも使った付箋とし、カレンダー・アラームなどを実装しました。
検索やコピーペーストも付箋単位で可能にしました(もちろん文字列を選択した状態では文字列をコピーします)。
データの種類はテキスト・予定・住所(電話)・画像 PICT・QTムービー・音声・フォルダー付箋としました。
フォルダー付箋は付箋をまとめるための付箋でデータの階層化を可能にしました。

住所情報はタックシールなどに印刷する機能もありました。

サポート用に使っていたマニュアルが手元に残っています。

サポート用なのでインデックスを付けています

パワーキーパーのアイコンはカレンダー・時計・電話などを付箋で管理するイメージにしました。(電話はピポパのトーンをMacのスピーカーから再生または電話番号の読み上げとしました)

ページを開いてこのマニュアルは NisusWriter で作っていたことを思いだしました。

iPhoneとは違い当時のMacでは【完全なマルチタスクではないため】いろいろ制限がありました。

カレンダー表示も作りました。
日曜日を斜体にしているのは白黒機種対応のためです。

たくさんあるツールのアイコンなどのデザインも楽しい作業でした。

今見ると、多機能でよくこれだけ盛り込んだなと感心してしまうほどです。

パワーキーパーは 1992年にリリースしました。



ディフェンス7

1993年にリリースした『Defence7ディフェンスセブン』はMacを子供に使わせる場合などのために「追加インストールや削除からMacを守るユーティリティ」として開発しました。

いろいろなアプリやスタックが登場し子供にMacを使わせることもありましたが、子供にとってはアイコンをゴミ箱に入れると膨らむアニメーションが面白くてすべてのアプリや書類を消されてしまう事件が発生していました(笑)
アプリ終了後にFinderに戻る機能をコントロールできるようになったため実現可能になったユーティリティアプリです。

Defence7のフロッピーディスク


サポート裏話

電話サポートは基本的に開発者本人が対応していました。
札幌だったのでサポート電話の頻度は少なめだったと思います(長距離電話はまだ高価だったため)。

エスデーエンジニアリング時代には、「Ninja Termニンジャ ターム」の問い合わせ電話が入ったことがあり、苦笑してしまいました。
『Ninja Termは弊社の製品ではありません』と説明しました。
注:Ninja Termははフリーウェアです。


APDAと90年代に作ったアプリ後半」 につづく


Macintoshやソフトウェアなどの商品名は各社の登録商標・商標です。


今後も記事を増やすつもりです。 サポートしていただけると大変はげみになります。