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出雲紀行 1

出雲に行こうと決めてから、前述の竜の柩に出てきた神社を調べました。
水占で有名な八重垣神社、UFOが通っていたと言われる船林神社、祖天穂日命(あめのほひのみこと)がお釜で通っていたといわれて言われる神魂神社(かもすじんじゃ)。
『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を』日本最古の和歌、素戔嗚尊がクシナダ姫を娶り、出雲の地に住むことを決めた際に歌ったと言われる和歌です。皆様もご存知の通り、古事記や日本書紀はまず嘘だらけ、と言うか年代も話しも無茶苦茶なので、何故これが日本の歴史として認められているのか理解に苦しみますが、そこはさておき、天照大神、素戔嗚尊、月読尊は日本には深く関わりの有る神様なので、そこを中心にしようと決めました。特に素戔嗚尊は出雲に関わりの深い神様ですので素戔嗚尊が関わりの有りそうな神社から巡ることにしました。
【出雲大社】
言わずと知れた10月には日本の神様が集まられる神社です。大国主命は国譲りを天照大神に迫られ、事代主命も了承したため国譲りを行いました。実際は武力討伐だと思いますよね。これは高橋先生も書いておられますが、出雲大社は神社というよりもお墓のイメージが強いです。お参りも大国主命の横顔にお参りをしていることになり、違和感満載の神社であります。
例の数珠を古札回収の箱に入れ、いざ本殿へ!
出雲大社は二礼四拍手一礼、例大祭には八拍手するそうですが、通常は四拍手、それでも他の神社の二拍手より倍の柏手です。また、いずもたいしゃと呼ばれる方が多いと思いますが、正式にはいずもおおやしろだそうです。勿論この頃には全く知りませんでした。ただ、この出雲大社ですが、UFO、宇宙人の痕跡は全くありませんでしたが、昔の本殿の高さは、最古は32丈(約96m)あり、その後16丈(約48m)になったと言われています。又その事を証明するように2000年〜2001年に行われた発掘調査で巨大な柱が発見されます。しかもその柱は出雲大社宮司家に伝わる古代出雲大社の絵図面に描かれていたものと同じものだったのです。即ち少なくとも平安時代には48mの高さがあったと言うことです。
話しが横にそれました。ここで感じた事は神社というものは歴史の生き証人になるのでは無いのかということでした。寺やお墓は場所を変える事が有りますが、神社というのは場所を変えることは非常に少ないからです。勿論無いわけではありませんが、東日本大震災でも言われましたが、大地震の時はあの神社まで逃げろ!と言われていた神社は津波に襲われなかったようです。そういう意味では出雲大社の場所には非常に意味があり、今後も調べようと思いました。ただここでは神階と言ったものは微塵も感じず、出雲大社のお参りではまだ宇宙人との関連のみを探していました。

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