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世界の解像度

目に映る世界の解像度を上げたい

昨晩の大風、そして近所に落ちた雷によって
深夜4時に目が覚めてしまった。

夏の終わりと秋の到来を告げる最後の嵐に、何か名前は無かっただろうかと思い検索してみる。

秋の初風、初嵐、やまじ

ちょうどいい言葉は見つからない。
そもそも無いのかもしれない。

そんな中、風の名前を眺めながらある言葉が目についた。


「あいの風」
饗(あい)の風。夏、日本海側で沖から吹く穏やかな北風。
魚貝・海藻などを吹き寄せてくれる。


なるほど、富山にある私鉄「あいの風富山鉄道」はこれのことをさしていたのか。愛だと思っていて、なんてクサい名前だろうと思っていた自分を恥じる。意外なところから知識が補充されていくことに小さな喜びを感じる。

多趣味な生き方をしていると、たくさんのものの名前を知る。
それに伴って視界の解像度は上がっていく。

街を行く自動車は全て名前がついているし値段も年代も性能も見える。
同じように歩く人達の持ち物にもすべて名前があり。
その季節の花、地理、川の行く先。
自分とは違う知識を蓄積させてきた人は、自分とは違う景色が見えているのだろう。
もっとたくさんのことを知りたいと思う。


ただ、映画の小道具や美術を見るとき
この解像度が良いときもあるし、邪魔をするときも有る。

もっとも分かりやすい例えは、ヘンな漢字で書かれた看板や
カタナをもったYAKUZAを外国映画で見るときに感じるあの感覚だ。

思い出せる範囲で言えば、自動拳銃は10発以上撃たないで欲しいし
普通の車で平然とジャンプや着地しないで欲しいし
本来1秒後には9.8mも下にいるはずの人の手をギリギリで掴んで助けたりしないで欲しい。

野暮の一言で片付けてしまえばそれまでだ。
老若男女にむけたエンターテイメント作品にドキュメンタリのようなリアルさを求めるのは酷だ。
現実の世界と同じルールに支配されているなんて誰もいっていない。


ただ、ミステリやサスペンスで観客にギリギリ気づかれないように仕込まれた伏線やトリックのヒントを探すとき、そういった映画的非現実を意図的に無視して考えなければならない時にちょっとだけ苦痛を感じる。

得意げに語る探偵役を少し冷めた目で見てしまうときが有る。

綺麗に並んだ同じ背表紙の本をCGで簡単にコピーしたと思われてしまうが、実際に「本物の」百科事典は統一されたデザインで全巻揃うことに意味がある、本当の金持ちの家に行ったことがない人にはわからない、と言ったのは押井守監督。

これも景色の解像度の問題だ。

映画の中でどこまでが嘘でどこまでが本当でどこまでが作った人たちの無知からくる間違いなのか、それを見極める知識を持っていたいと思うし
同時にもしかしたら自分の理解でおかしいと思ったことも実は知識の不足からくるものなのかも知れないと疑う気持ちを忘れずに持ち続けようと思う。

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