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皆伝 世界史探求01 先史時代 人類誕生

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□先史時代とは

文字記録のある「歴史時代」の前、「先んじる時代」という意味。
先生が言うには「人類誕生から文字誕生までの時代を言うが、厳密ではない。例えばインカは16世紀に滅ぶまで文字を持たなかったが、先史時代と言うのは抵抗がある。」たしかに、そうですね。

分類
哺乳類/哺乳綱 > 霊長類/霊長目/サル目 > ヒト上科ヒト科ヒト族、チンパンジー族、ゴリラ族、オランウータン族)+テナガザル科。
ヒト上科をヒト+類人猿(ヒト族を除く大型、中型の霊長類/霊長目)に分ける学者もいます。
ヒト上科をヒト亜科(ヒト族、ゴリラ族)+オランウータン亜科に分ける学者もいます。
異論があって当たり前なんですけど、受験生としてはこういうのはやめてほしいですね。
地質年代で言えば、新生代 新第三紀 中新世。単なる時間で言えば、2000万年前の東アフリカに類人猿が登場しました。類人猿と人との分岐点は約700/800万年前と言われていて、ドリオピテクス属という化石が見つかっています。1300~800万年前に生きていたらしくて、ヒト族ではありません。

ヒト族-サヘラントロプス属・アウストラロピテクス属・ヒト属/ホモ属(ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモサピエンス・サピエンス/現生人類

人類を特徴付けるものは直立二足歩行で、長い距離を背筋を伸ばして歩くことができるということです。ゴリラやチンパンジーなどの類人猿は立ち上がることはできるし、短い距離なら背を丸めて歩くことはできます。ワオキツネザルは立って跳ねることができます。エリマキトカゲは立って走りますが、立って歩くことはできません。自転車が速く走れば安定するけれど、ゆっくり走ると不安定になり倒れてしまうのと同じです。立ってバランスを保つというのは大変な能力なのです。

なぜアフリカで人類が誕生したのか?
先生によると「余はそれを知らないし、それについて書いた本を読んだこともない。それでは考えてみよう。なぜサルは変化したのか?世代交代で遺伝子は大きく変化する。遺伝子はコピーされるたびに一部分のコピーミスが起こる。世代交代が早いほど、1000年間での変化も大きくなる。100歳で次の世代を生む種は1000年で10世代となる。1世代につき変化が0.1%とすると、10世代で1%変化する。10歳で次の世代を生む種は1000年で100世代、変化率は0.1%とすると、100世代で10%変化する。文章で考えると、400字の文章の10%、40字が書き換えられたと考えると、要の部分は変わらないが印象は変わる。
人はおよそ15歳で次の世代を生む。人が一世代をまたぐごとに遺伝子が何%変化するのかを余は知らない。
寒い場所、暑い場所にある動植物を比較する。カナダの木は固い、年輪が詰まっている、成長が遅い、変化が遅い。アフリカ、インドネシア、ブラジルの熱帯雨林の木は軟らかい、年輪の幅が広い、成長が早い。成長が早いということは、早く次の世代を生む年齢になるということだ。カナダよりも熱帯雨林の地域の方が世代交代が早いとわかる。
サルの中に直立二足歩行をするという変化が現れる可能性も、アフリカ、インドネシア、ブラジルでは高いと言える。
そして、そうした地域には動植物の種類が多い。恐らく乾季と雨季など季節による環境変化が激しいうえに、餌とする動植物が多い、樹冠、土の上、茂み、沼地などの適応が必要な要素が多い。つまり、種の変化を促す要素も多い。そうすると、サルの中に直立二足歩行をするという変化が現れる可能性が高くなる。絶滅したから考古学者や歴史学者や生物学者は知らないが、直立二足歩行をするサルはホモサピエンスよりも前にいたかもしれない。アフリカでは大地溝帯が生まれ、周辺で乾燥化が進み、熱帯雨林は草原に変わっていった。世代交代が早くなるアフリカ、インドネシア、ブラジルの熱帯雨林という環境よりも、その際(きわ)である草原との境は変化を促す要素がもっと多い。だから、サルの中でも変化が多い。木の上を歩くには細い枝があって、雲梯をするように下で摑まって移動することはできる枝はある。もともとそういう手で摑まることのできたサルは直立二足歩行ができるようになったときに、前足を手のように使える。草原の少ないインドネシア、マレー半島よりは、アフリカ、ブラジルの方が直立二足歩行ができるサル/ホモサピエンスの誕生する確率は高い。結果としてアフリカで誕生した。ブラジルで誕生してもおかしくはなかった。
草原では顔の位置が動物の大きさを知る基本になる。草むらから顔だけがぬっと出てくる。相手の全身は見えないので、顔の位置が自分より高いと、自分よりも大きな動物と判断するので、逃げる。虎、ライオンよりも人間の方が顔の位置は高い。また、顔の位置が高いと、遠くにいる危険な動物に早く気付くことができる。従って、生き残る可能性は大きくなる。だから、直立二足歩行をするサルが生き残ったのかもしれない。」そうです。

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人類の誕生

・猿人

サヘラントロプス・チャデンシス-名前からわかるように発掘場所はチャド。サハラ(砂漠の意味)の周辺のサヘル(岸辺の意味)で発見されたので、サヘラントロプス。グループ名である学名とは別に、この個体はチャド語で、生命の希望を意味する「トゥーマイ」猿人とも呼ばれています。600‐700万年前の猿人。現在わかる範囲では最古の化石です。頭部だけの発見で、腰の骨が見つかっていないので、直立二足歩行をしていたかどうかの確定ができていません。人類ではないとの説もあります。

化石とは文字のない時代にいた生物(生き物)の体や手足などの体の一部が人によって手を加えられない自然状態で腐らずに地中に埋まったもので、糞や地面に残った足跡も生きていた証拠なので化石と言います。現在生きている個体が一人もいない人類、つまり化石でしか見つからない人類を化石人類と言います。現在生きている個体のいる人類を現生人類と言います。あなた(ホモ・サピエンス)は生きていますか?生きているならホモ・サピエンスは現生人類です。ネアンデルタール人の生き残りが現在見つかれば、ネアンデルタール人は現生人類になります。が、見つかっていませんから化石人類です。幾多の人類が同時に生きて、また新たな人類と交代していきました。
猿人・原人・旧人・新人は進化の順番ではなく、登場した順番です。最初の原人よりも最後の猿人の方が、後から登場することもあります。「進化」を「現在に近づいた」という意味でここでは使用します。「進化」を「良くなっている」という意味では、使えません。更に、何がよいかは判断が難しいので、使いません。 例えば、新人よりも脳容積の多い原人もいます。脳容積が多いからよいとは限りません。
人類は、最初は猿のような人と言う意味で猿人と言われる段階から始まります。
猿人と原人の違い
猿人は脳容積が800cc/900cc以下。手はまだうまく使えません。
近年は脳容積ではなく、手がうまく使えるかどうか、その証拠として石器を作ったかどうかが猿人と原人との区別の基準になりつつあります。そうすると、脳容積が500ccのホモハビリスも猿人から原人に位置付けが変わります。最古の石器は2017年時点では330万年前だから、アウストラロピテクスさえ原人になる可能性があります。
猿人のすべての化石はアフリカでのみ発見されています。つまり、人類はアフリカで誕生し、それから中東やヨーロッパへと出ていったということです。たぶん四本足から二本脚になったことで、足一本につき体重を二倍支える必要が生まれたので、足裏にアーチができたのだと思います。つまり、土踏まずができたと考えられます。これで疲れずに歩けます。土踏まずができるまでは四本足で歩くこともあったろうし、二本脚では長くは歩けなかったでしょうね。

オロリン・ツゲネンシス-600万年前(610~580年説もあります)。
「確実に二足歩行していた。いや、人類ではない」と、研究者の間でも意見が分かれています。どっちなんでしょう。
533万年前、現在の地中海が生まれました。テチス海/古地中海は干上がっていたけれど、この時期に再びジブラルタル海峡を通じて大西洋から水が流れ込むんです。地中海の平均水深は1500mで、この時期には毎年7m以上海面が高くなっていきます。

□新生代 新第三紀 鮮新世 約500万年前 パナマ地峡が形成されます。
450万年前-400万年前にヒトの祖先は森から草原に進出したと考えられています。
ラミダス猿人-440万年前に生きていたと推定されています。いつ絶滅したかは不明です。ホモ・サピエンス・サピエンスの直接の祖と主張する研究者がいるんですけど、定説にはなっていません。現在発見されている最古の全身化石です。学名はラテン語で、アルディピテクス・ラミダス。主に森林で生活し、ときに木に登ったり果物を食べたりもしていたようです。二足歩行をしていた可能性が高いことは、直立したときに下りて来る内臓を支えやすいように骨盤が横に広がっていることでわかります。二足歩行をすることで長距離を歩行することができ、手に持った果物を家族に持ち帰れます。
エチオピアの高原化、アフリカの大地溝帯の形成による、インド洋からの湿った風が遮られる西側では、雨が降らず、乾燥化でもたらされる森林の減少、縮小、まばらになります。けれど、長距離を歩けるようになった人類はその状態に耐えることができます。まばらな森の間を行き来することは短距離移動しかできないと難しいですね。
既に一夫一妻だったと主張する研究者がいます。これは猿の犬歯がメスをめぐる争いが因子となり鋭くなったという仮説を元にしています。その場合、ラミダス猿人の犬歯は鋭くないからメスをめぐる争いがないと考えたんです。
「余は、手が使えるから、そこら辺にある石を使って堅果類を砕くこともできたので犬歯が鋭くなくなったと考える。従って、犬歯の大きさは一夫一妻の証とは思わない。男女の体格差が大きいほどハーレムが大きくなるとも言われる。ラミダス猿人については知らんが、ゴリラほどではないにせよ現生人類/新人も男女の体格差がある。21世紀に一夫一婦が多いのは社会的に法律でそうしているからだ。イスラーム社会では一夫多妻でもかまわんとしている。だからラミダス猿人も一夫一妻ではなく、一夫多妻であったと余は思う。結局、メスとオスの個体を見て、体格差を見ないとはっきりは言えんがな。」だそうです。

アウストラロ ピテクス属

「南の」「サル」の意味。この属は人類ではないとの説は基本的にありません。200万年前まで生きていたアウストラロピテクス・アフリカヌスやアウストラロピテクス・ボイセイ、100万年前まで生きていたアウストラロピテクス・ロブストゥスに進化していきます。

アウストラロピテクス・アナメンシス/アナム猿人は、ホモ・サピエンス・サピエンスの直接の祖と主張する学者がいます。かなり有力な説のようです。アナはトゥルカナ語で湖を意味します。420万年前のケニアからエチオピアに生息したようです。

400~270万年前アウストラロピテクス・アファレンシス。所謂アファール猿人。最初にタンザニアで発掘されました。たぶん、新種と確定するのに時間がかかったのでしょう。だから、タンザニアではなく、エチオピアの地名が名前になっています。エチオピアのアファール地方で発掘されたメスの個体はルーシーと名づけられました。アウストラロピテクス属ではないと主張する学者もいます。現生人類に通じる道筋にいます。ホモ・サピエンス・サピエンスの直接の祖と主張する学者がいます。
この頃、いくつかの家族が集まり、集団を作っていたようです。この集団をホルドと言います。人が多いと敵に気付きやすくなります。既に森を出ていて、草原で暮らしていますが、果物などは少なく、虫や植物の根っこなどを食べていた。つまり食べ物の種類が多いから生き残れたようです。ホルドは時代によっても地域によっても人数は変わります。のちにマンモスを取るようになると、少なくとも15人は必要でしょう。果物がメインなら2人でもいいでしょう。つまり核家族ですね。ホルドである必要もありません。ホルドの人数は〇人であると書いてある本があれば、その部分は確定できないとツッコミを入れながら読みましょう。
猿人の段階では、森で暮らしたという説があります。その後、森と草原の境で生きるようになったとも言われます。森では木の実などを採集し、草原で動物を狩ります。
人類進化の説は数年で大きく変わります。あくまでも説であって、事実かどうかは不明です。説の場合は、日本人が書いた本を読むと比較的新しい知見が書いてあります。外国人の学者が書いたものは、10年ほど経過してから日本語に訳されて出版されることがあるので、出版時点ですでに古い、否定される説を書いている場合もあります。


330~280万年前アウストラロピテクス・アフリカヌス。猿人。平均身長145㎝。南アフリカで発掘。確実にアウストラロピテクス属。

□新生代第四紀更新世。更に新しい世 258.8万年前
ヒマラヤ造山運動で1000-2000mだった山々が8000mになります。チベット高原も押し上げられます。その北は乾燥化して、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、草原になっていきます。河の流れも変わるので、ヒマラヤを源流とする川が長江、黄河を作るのでしょう。
・・ジェラシアン(最小単位の地質年代)
約250万年前。アウストラロピテクス・ガルヒ。猿人。ヒト科アウストラロピテクス属。ガルヒは250万年前に 登場したと同時に絶滅した わけではありません。そのころ生息していたということは分かっているけれど、誕生と絶滅の時期は不明なので、年代に幅がない書き方にしています。

旧石器=打製石器。石をもっと硬い岩や石に「打」ちつけて「製」造するから打製石器です。つまり時代区分/登場する順番でいうと旧石器、製造方法でいうと打製石器。猿人の頃は礫石器。ついで、石核石器。次第に剥片石器へ。
礫石器については、本を読んでいて、定義を二つ読み取ることができます。①大きな石や岩を打ち砕いて、手ごろな、つまり手に持ちやすい大きさにしただけのものを言います。目的別に更なる加工を施さないということです。これがたぶん適切な解釈。打製石器と言えます。
②もう一つは、その辺にある手ごろな石をただ使います。加工を一切しないので打製石器には入りません。未加工の硬そうな石だけれど、道具として使っていました。道具なので石器なんですけど、製造していないので打製石器ではないということです。問題集によっては②を礫石器としていることもあって困ります。
次の時代の石核石器は、ぶっつけて、真ん中の核の硬い部分だけを残して利用します。剥片石器は、石を薄く剥離する、つまり剥がして作ります。ナイフのように利用します。

アウストラロピテクス・アフリカヌス-200万年前まで生きていました。猿人です。南アフリカで発掘されました。
アウストラロピテクス・ボイセイ-210~110万年前。猿人です。タンザニアのオルドヴァイ遺跡で発掘。最初に付けた呼称はジンジャントロプス・ボイセイなんですけど、アウストラロピテクス属と確定したので2020年代にはもう使いません。パラントロプス・ロブストゥス(通称)やパラントロプス・ボイセイはほとんど同じなんですけど亜属種のようなので、生息年代が異なります。頑丈な体格、顎を持っていて、噛む力は現生人類の3倍以上あったようです。つまり、道具を作る必要があまりないようです。
アウストラロピテクス・ロブストゥス-100万年前まで生きていた猿人。南アフリカで発掘されました。

ホモ・ハビリス。ホモはラテン語で「人」。ハビリスは「器用な」。現生人類に通じる道筋にいます。ホモ・サピエンス・サピエンスの直接の祖と主張する学者がいます。これは有力な説ではないようです。250万年前頃から石器を作り始めたようです。死肉を食べていたと言う説があります。240~160/140万年前。現生人類につながる流れと、絶滅したホモ・エレクトス(エレクトスは「立っている」7万年前絶滅)とに枝分かれした説が有力です。「いや、ホモ・エレクトゥスは現生人類に繋がる流れだ」と主張する学者もいます。ホモ・ハビリスは原人説が有力だけれど、猿人説をとる学者もいます。「脳容積が650CCなので猿人とすべきだが、ホモ属なので猿人と原人の中間に位置する」と言う学者もいます。ヒト科ヒト属なんですけど、「種」が現生人類と異なります。ホモはヒト属を意味します。

ホモ・ルドルフェンシス。 250万年前から140万年前の地層から発見されました。平坦で幅広い顔面を持っていて、現代的な四肢骨、ホモ・ハビリスよりも脳容量は大きくて、750ccあります。

・原人/Primitive Man

原人のうち、現生人類に直接つながるものを20世紀には旧人としたようです。それで、ネアンデルタール人が旧人に分類されていました。その後、ネアンデルタール人は現生人類の直接の祖先ではないと分かって、原人に分類されました。その後、猿人でも新人でもないものはすべて原人としました。新人につながるかどうかは全く関係なくなりました。
21世紀になると、新人と変わりないけれど、現生人類ではないものを旧人と呼ぶ動きもあります。受験生はこっちの立場を正解とされます。
この場合、ネアンデルタール人や、ネアンデルタール人に含む場合もあるデニソワ人、ソロ人も入ります。ネアンデルタール人をヨーロッパの旧人とする学者の勢力と、旧人段階を全てネアンデルタール人とする二つの勢力があります。
 原人の最初の誕生地は不明です。アフリカの外に出たのは現生人類が始めてではありません。第1次アウト・オブ・アフリカ: 170万年前頃というのはドゥマニシ遺跡からの推定らしいんですが、よくわかりません。アフリカから東地中海のレヴァント地峡を通ってコーカサスへ、そこから東南アジア、東アジアへと拡散しました。ヨーロッパへの拡散は、120万年前~100万年前頃かららしいんですが、よくわかりません。考古学者がいつか解明するかもしれません。

原人になると火と「言葉」を使うようになったと言われます。
火を使えるようになると、木の実を焚火に放り込んで毒素を抜いたり、かたい肉を早く食べられるようになります。火を使用できるようになったことで、これまで食べられなかったものを食べられるようになりました。例えば、米や小麦、ジャガイモなどがあります。火を通して寄生虫を除いたりもできる。固いものも焼くことで柔らかくなるから、襲われる可能性の高い所持時間を減らせるし、犬歯も不要になるからより複雑な声音を出せるようになります。暖を取ることもできます。洞窟の奥で火を焚けば、数人のいる範囲が暖かくなります。松明で猛獣を追ったり、襲われないように洞窟の入り口にかざしておくこともできたかもしれません。食べられるものが増えます。だから、アフリカの外でも食べ物を手に入れられるようになります。行動圏が広がるし、生活圏の移動もできるようになります。

「言葉」について。「言葉」は7万年前に獲得したという説が有力になりつつあります。「7万年前の原人なのか、新人なのか、余は人類学者でも考古学者でもないからわからん」そうです。鳥や動物も言葉で情報伝達をしていますね。単語や、文法を持つ種もあるらしいんです。人間の言葉をこういう言葉と区別することは難しいそうです。それでは何が違うんでしょう。猿人だって言葉は持っていたはずです。

人類は直立しました。そうすることで重力に引っ張られた咽頭が下がり口腔/口の中が動かしやすくなりました。共鳴部分が拡大して、大きな楽器になるのと同じで大きな音が出る、低い音も出せるようになる、オクターブが拡大したんですね。いくつもの筋肉を使う範囲で、共鳴部分が拡大するから、複雑な音が出せるようになります。
さらに、鼻と口が中で通じやすくなり鼻濁音を出せるようになります。手が空いたので牙/犬歯の代わりに道具を使って、肉や皮を切り裂けるようになったようです。犬歯が後退したので、唇を合わせる音「p」「b」「m」などをうまく発音できるようにもなりました。つまり、多彩な音を出せるようになったことで、現生人類の発する音を出せるようになったらしいんです。ここまでは猿人の段階ですでに獲得していたかもしれません。
音、単語、文法は、鳥も持っています。未来形や過去形を持つのはたぶん人間だけで、それが人類学で言う「言語」なのかもしれません。脳神経の拡張、脳の増量により高速処理、手分けして記憶や思考や言語領域で同時に仕事をできるようになって、現実外のことを考えられるようになったのかもしれません。
複雑な言語を獲得したことで、コミュニケーションも発達しました。待ち伏せグループと、後ろから追い立てるグループなどの役割分担もできるようになるから、狩りが上達した。ホルド(恐らく最大で150人)を超える集団も作れるようになっていきます。人間を除く動物はくっついて寝るから、乳も自分で探して飲みたい時に飲むので、空腹を知らせるためのコミュニケーションが必要ないらしいんです。面白いですね。
先生によると「集団というのは社交性を必要とするが、余は後天的なものだと思う。生まれる前から知っている母親の心臓の音や匂いを別にすると、同じ群れの者でも、警戒し恐れる、これはオオカミにもみられるし、人間が人見知りをすることからもそれはわかる。従って人間は社会的生物だというのは、現時点のその地域に当てはまるものであって、無条件ではない。一人になりたい、一人の時間が欲しいと多くの人が思うこともその証拠である。」そうです。
眉毛があるのはヒトだけ、これは表情でコミュニケーションをとるため、世界中で笑顔を見れば笑顔だとわかります。すてきですね(^-^*)。この顔文字には眉毛ありませんけどね。
「言葉はグループごとに違う。言葉は共同体/群れのコミュニケーションで実用的な情報をも伝える。表情は別の共同体/群れとのコミュニケーション、敵意のない感情を伝えるために発達したのかもしれない。怒りの感情は顔が紅潮して牙を出せば威嚇だとわかるので必要ない。腹ばいになり寝そべってしまえば、降伏になってしまう。対等な関係を維持して戦わないためには眉毛が必要だったと余は思う。だから表情は世界共通なのだ。」そうです。
「いづれにしても、この結果、鳥や動物とは比較できないほどの単語を生み出せるようになった」そうです。「認知革命」と言う学者がいるんですけど、架空のことを考えて、表現できるようになったということです。頭部はライオン、胴体は人間の像などを作るようになります、これを芸術と言っても構いません。「嘘を言えるようになったと余は思う。」なるほど。

原人はハンドアックス/握斧を作る。斧と言うが、手で「握」れる小さな「斧」です。それとは別に、硬い石の刀も使用します。

早期アシュール文化~イラクのアッシュールとは関係なく、フランスのサンタシュール遺跡(聖アシュール/saint-Acheul)にちなんでいます。パリ北方のアミアンとカレーの間です。
アフリカのタンザニアのオルドヴァイ文化の発展、チョッパーは礫石器のうち、刃状になっているものを言うようです。

ホモ・エレクトス

190~80万年前に誕生し、7万年前まで生きていました。2020年の発表では南アフリカの洞窟で発見されたホモ・エレクトゥスは210万年前に生きていたとする研究者の見解があります。そうであれば、南アフリカで誕生してケニア、エチオピアへ拡散したことになります。 原人。火の使用。ハンドアックス/握斧。この属は誕生したのは早いのですが、現生人類やネアンデルタール人の誕生した時代にも生きていました。ジャワ原人や北京原人を含む総称の学名です。
180㎝あった男性もいました。生肉を食べるので脳が拡大しました。筋肉の付き方を見ると、長距離を長時間走れるので、獲物が疲れるまで追いかけて狩りをしたらしいですね。他の原人のように死肉あさりでなく、採集でなく、狩猟を開始したと推定されています。体毛は薄くなり、発汗で体温を下げられるようになって、熱中症にならずに長距離を長時間走れました。子供、女性だけでなくて、歯がない仲間にも獲物を持ち帰り食べさせたと主張する学者がいます。これを思いやりと称するかどうかはあなた次第。歯がなくても、仲間が狩りに出ている間に、見張りや、病人や子供の世話はできるから役立ちます。役立つ者はいた方がいいから餌を分けるでしょうね。狼もこうした仲間に餌を分ける習性を持っています。

・・カラブリアン(最小単位の地質年代)
ホモ・エレクトス・エレクトス-ジャワ原人。火の使用。
ホモ・エレクトス・ペキネンシス-北京原人。北京近郊の周口店の猿人洞という洞窟の奥で発見されました。現生人類/新人/ホモ・サピエンス・サピエンスの周口店上洞人は同じ入り口の洞窟のの方の窟で発掘されたです。氷河期には寒いから、その時代の人類は地上から遠い奥の洞窟の空間で暮らして、暖かくなっている時期の人類は地上に近い空間で暮らします。人類が暮らしやすい土地は先史も現在も大して変わりません。何万年も、同じ洞窟を別の人類が使ったり、2000年前の古代ローマの遺跡が21世紀のローマの地下から発掘されます。
火の使用。丸い打割(だかつ。うちわりのほうがわかりやすい)石器を使用します。打割石器は握斧以外の両面割り、又は片面割りの石器を言います。

ホモ・エルガステル-最初に発見された個体はトゥルカナ湖の近くだったので、トゥルカナボーイの愛称を持っています。ナリオコトメ・ボーイとも言われる。 ケニア。原人。ホモ・エレクトスの一種と主張する研究者説もいます。人類の直系/直接の先祖とする説もあるようです。

・・チバニアン(最小単位の地質年代)。77万年前-最新の地磁気反転/ポールシフトが起こりました。地球の北極がS極(磁石はNを指す)、南極がN極(磁石はSを指す)になりました。これまでは7000年ほどかかっていたようなんですけど、このときは100年ほどで反転完了。反転中は磁場が弱って、宇宙線や太陽風が地表面にたくさん届きます。当時の人類には、皮膚癌が増えていたかもしれません。 21世紀なら、 スマホ、スカイプやズーム、GPS、衛星放送、電子商取引、改札などの電子機器が故障して、通信できないかもしれません。この77~12.6万年前の地層を千葉県の名称から取って、新生代第四紀更新世チバニアンと言います。
渡り鳥は地磁気を感じて方向を知ると言われるので、この頃渡り鳥の大量絶滅があった可能性があります。

ホモ・ハイデルベルゲンシス-60~23万年前。ハイデルベルク人とも言います。ドイツのライン川沿いのハイデルベルクで発掘されました。この人類は、我々の直系/直接の祖先と一時は同時に生きていました。その後、ホモ・ネアンデルターレンシスに枝分かれしました。本家のハイデルベルク人は滅亡し、分家のネアンデルタール人は長く存続した。洞窟住まい。火の使用。
彼らは60万年前にアフリカを出たんですけど、この人類のうち、アフリカにとどまったグループが現生人類へと進化したと主張する学者がいます。
原人と旧人の間。

スウォンズコーム人-英国で発掘されました。

澎湖1号。19万年前~1万年前という年代まで絞り込んであるようです。氷期なので、台湾とユーラシア大陸は陸続きでした。澎湖1号の化石の頑丈な特徴は、中国南部の和県から出土していて議論があった原人化石(約40万年前)/和県人と共通することもわかったようです。


・旧人

ホモ・ネアンデルターレンシス-旧人。20万年前-4または2万年前の間。ドイツ北部のライン川沿いの洞窟で最初に発掘されました。
中東では現生人類と交雑(異なる種が生殖活動すること)の可能性が高いようです。認知革命によって、架空のことを考え表現できるようになった証拠として、①呪術を実施します。例えば、熊の頭30以上を洞窟内に配置していました。スイスやドイツで見られます。
②埋葬もしています。これは魂の安寧や精霊の存在などの目には見えない抽象的なことを理解することができるようになったことを意味します。また、未来のことも予想できるということで動物の来そうなところに罠を仕掛けるなど、狩猟が活発になりました。わたしたち現生人類の脳に近づいてきました。また、歯痛に対して鎮痛剤も使っていました。すごいですね。ちなみにヨーロッパの旧人をすべてネアンデルタール人と呼ぶ学者もいるし、中東の旧人まで含めてネアンデルタール人と呼ぶ学者もいます。後者の場合、死海周辺のアムッド洞人もネアンデルタール人と呼びます。
中期旧石器のムスティエ(南仏。ドルドーニュ県の街)はポイントなどの剥片の尖頭器。これらをムスティエ文化と言います。フランスのドルドーニュを中心にして広がったみたいですね。ルヴァロワ技法と言われる、少し細工をしておいて、適切なところに力を入れると、うまい具合に石がはがれて剥片石器が大量に作れるという技法も、この文化の特徴です。

ホモ・フローレシエンシス-フローレス人とも言います。インドネシア。ジャワ原人から進化した説があります。大陸から完全に切り離され、食べ物が減ったので、身長は約1mしかないけれど、食べる量が少ないので生き残ったと考える学者がいます。旧人段階と考えるのが適切のようです。
カブウェ人-旧人説。50万年前。ザンビアのカブウェにあるブロークンヒル鉱山で発見されました。1921年にトム・ツウィグラーが頭蓋骨を発見しました。 A.アームストロング、1925年にはアレシュ・フルドリチカが骨片を発見しました。一緒にあった動物の化石を調べると、更新世の中期、つまり約 50万~30万年前と推定できるようです。歯は大きくて、原人のホモ・エレクトゥス類と同じくらいで、摩耗が激しいので、固いものを食べていたとわかります。脳容量は約 1300cm3と計測されています。こういう特徴はヨーロッパの典型的ネアンデルタール人と似た点も多くて、ジャワのソロ人、アフリカ南端のサルダニャ人(→サルダニャ頭骨)などとともに旧人類に含まれると研究者は考えています。

ソロ人-20万年前程度。ジャワで発見されました。ソロ川の畔。
デニソワ人-4万年前程度に生存。ロシアのアルタイ山脈の西部のデニソワ洞窟で発見されました。ハイデルベルク人のうち、アジアへ向かったグループがデニソワ人になったと主張する研究者がいます。


呪術・埋葬をするようになります。これも7万年前からの説があります。住まいの近くに埋葬します。死者と共存することを受容しているんです。定住の条件とも言われます。とは言っても、季節ごとに移動はするので「半定住」かもしれません。

皆伝 世界史01アフリカヨーロッパの地図 - コピー

・新人

従来は新人/現生人類/つまり我々の登場は20~25万年前あたりが限度と考えられていたんですけど、50万年前の化石を発掘したというニュースが2018年にありました。これを検証するには10年くらいかかります。事実だった場合は、大多数の学者に受け入れられて定説になって、それから10年かけて教科書に書かれます。ただ、否定されることの方が多いのが考古学です。現生人類の特徴を持った化石はモロッコで発見された30万年前のものが最古と言われるんですけど、特徴を持っているからと言って現生人類とは限らないのが難しいですね。

ホモ・サピエンス・サピエンス
サピエンスは「知恵のある」の意味ですね。現生人類/「現」在「生」きている人類。
原人と旧人と新人の違い
出現段階の名称であって、発達段階の名称でもある。
例えば、赤ん坊、幼児、児童、青年や、大人と子供のようなものです。
子どもの特徴は小さくて皺がなくて声が高い。大人は大きくて皺があって声が低い。
けど、これは最大限に異なる子供と大人を比べた時の特徴です。例えば、10歳と70歳ですね。
17歳と21歳ならどうでしょうか。
21歳で小さくて声が低くて皺が少ない、そういう人もいます。見た目で17歳か21歳かを判断できません。原人かもしれないし、旧人かもしれないし、新人かもしれないというのはそういうことです。はっきりした定義もないということですね。

19万年ほど前に寒冷化します。アジアにはほとんど影響せずに、ヨーロッパではすでにネアンデルタール人が毛皮を着て寒冷化に適応していました。アフリカは砂漠化して、森がかなり減って、草原が減りました。新人は1万人ほどに減ったらしいですね。21世紀初頭の人口は70億人を超えています、けど、1万人の遺伝子から再開して、20万年しか経過していないので、人数が多いわりに、遺伝子の差が少ないようです。食糧が減って、これまでは食べていなかった貝などを食べるようになった、つまり未知の食への好奇心が強い者が生き残ったようです。

食に関して。
男は狩猟(シカやイノシシ)と漁労(魚、貝、イルカ、クジラ)
女は採集(木の実、おそらくキノコ類?)
つまり性別の役割分担がある。男の方が速く力もあるから自然です。
この時代の人間は生産をしない、自然から獲得するだけなので獲得経済と言います。
槍・銛・網・弓矢などを発明するとイルカやクジラ、マンモスなども取れるようになります。最初からなんでも取れたわけではありません。当初は穴を掘るなどの罠を仕掛けて、そこへ追い込んで猪などを取っていたようです。因みにマンモスはアフリカゾウより小さく、インドゾウより大きなサイズです。

現生人類になると、恐らく動物の骨や腱から取った針と糸の発明により、服としての毛皮を作ります。ネアンデルタール人のように作らずに、剥がしたものを単に纏うだけなら11万年前の説もあります。
ヨーロッパでは既に男性がズボン、女性が長いスカートをはいていたようです。それぞれ、ロシアのバイカル湖付近のイルクーツクには骨でできた12体のズボン姿の男性像が作られ、スペインのコグルの壁画には長いスカート姿の女性が描かれていたことからわかります。観たことはありませんが、女性は胸があるから女性と判断したのかな?

猿人も原人もすべて旧石器の段階です。現生人類である縄文人も当初は旧石器を使っていました。
5万年前以降になると、中石器=削ることで細かく細工をした石器=細石器の時代に入ります。もちろん旧石器も使っています。全面的に変わったわけではありません。スマホや自動車が出ても携帯電話や自転車を利用する人がいることからもわかります。
打製石器は打ち付けて製造する。細石器は削って製造する。こうした違いがあります。
石核石器を加工し、弓の石鏃や槍の穂先に使うポイント/尖頭器(せんとうき)を作ります。
剥片石器を加工し、スクレイパーを作ります。スクレイパーは、こそげ落とす道具全般です。例えば、ナイフのようにした削器(さっき。石刃など)で皮をはぎ、へらのようにした掻器(そうき)で皮の毛や脂肪を取り除いてなめ(らかに)しました。
動物の骨や角=骨角器を木器の先端にとりつけた槍などを使用しました。石器と骨角器を併用したのは、現生人類からという説が有力です。
両面を加工の尖頭器。
ドルドーニュ県のマドレーヌ文化は骨角器が学者の間では有名らしいです。

石のヴィーナス/ヴィレンドルフのヴィーナス-オーストリアで出土した石像です。高さ11.1cmとのことです。お腹が大きいので多産を祈って作ったと言われている、つまり呪術の一種です。また、芸術のはじまりとも言えます。南仏のドルドーニュ県中心のマドレーヌ文化はオーストリアにも広がっていたらしいんです。この石像の製作はずっとあとで、2.8万年~2.5万年前と推定されています。マドレーヌ文化って長いんですね。

20万年前以降の現生人類の時代、狩猟の成功を祈って各地の洞窟に壁画が描かれました。南フランスのラスコーや、北スペインのアルタミラにある洞窟壁画が有名です。クロマニョン人(現生人類)のマドレーヌ文化(南仏のドルドーニュ県)、オーリニャック文化(オートガロンヌ県。トゥールーズがあります)の時代に続けて描かれました。芸術の発生です。入試ではよく場所を聞かれますね。アルコール、アルハンブラ宮殿のようにアルがつく名前はアラビア語由来のものが多いんです。イベリア半島にあるアルタミラもイスラームに支配されていた時代があったなあと思いだせば、ラスコーと間違えにくくなります。
南フランスのショーべ洞窟も時折出題されます。
1.3万頃からまだ草原だったサハラで、動物やダンスなどをモチーフにしたロックアート/岩絵が描かれました。これは色のついた泥、石を砕いた顔料で、或いは線刻で描かれました。アフリカでは20世紀まで描かれた地域もあります。


・新生代 第四紀 更新世後期 12万6000年前。
一部の現生人類は5万年前頃アフリカを出ました。出アフリカと言う場合もあります。13-10万年前という説もあります。21万年前の現生人類の化石をギリシアで発見したという学者もいます。
北アフリカやヨーロッパで発見された化石のクロマニョン人や南フランスのグリマルディ人、ガリラヤ湖のアムッド洞人(イスラエル)、中国の周口店上洞人や沖縄の港川人(2万年前頃)がいます。東京人とニューヨーカー、パリジェンヌのように見つかった場所によって名前が違うだけです。今生きているわれわれと同じホモ・サピエンス・サピエンスという人種です。
現生人類はアフリカで誕生し世界中に散らばった。ヨーロッパの化石人類(ネアンデルタール人)や、アジアの化石人類(北京原人)が現生人類に進化したのではない。アフリカ単一起源説と言います。

文化まとめ。
オーリニャック文化~オーリニャックはオートガロンヌ県(トゥールーズがある)の南部の地名。クロマニョン人(南仏のドルドーニュ洞窟)が弓矢、裸婦像を作る。クロマニョン人が洞窟壁画(フランスのラスコー洞窟、ショーヴェ洞窟、スペインのアルタミラ洞窟など)。芸術の発生。ナイフ/石刃。両側を加工した尖頭器。

マドレーヌ文化~南仏のドルドーニュが中心地。オーストリアのヴィレンドルフのヴィーナスなど。骨角器が有名です。
チュニジアにカプサ文化。いつ頃か不明です。

3.4万年前に恐らく温暖化で人もそうですが、動物も群れが小さくなるので、投げやりであてずっぽうに狙うのではなく、正確に弓矢で狙うので、鏃が必要になる。セイロン島に細石器が登場します。2万年前にはインドと陸地でつながっていました。
4万年前(4.5万年前と言う研究者もいます)、オーストラリアに人類が到達します。
2万年前にはニューギニアとオーストラリアは陸地(サフル大陸)でつながっているんですけど、マレー半島やボルネオ、ジャワ、スマトラはユーラシア大陸の一部です(スンダランドと呼ばれています)。スラヴェシ/セレベスは2万年前も島です。

少なくとも2万年前には、2500㎢?の人々と交流を持っていました。佐賀県、神奈川県くらいのサイズです。東京都や沖縄よりも少し大きいくらい。一日で20km歩くので、直径25㎞の円だから大体は一日の徒歩圏内です。
食べ物の少なくなる冬には集まって、音声(物語、歌)や絵(洞窟壁画)や遺伝子のデータ(精子や卵子)を交換していました。そうして、狩りの手法を学んだり、誰がどこに住んでいるか、飢餓の時には誰を頼ったらいいか、近親交配にならないように誰を妻や夫にすればいいかを知っておくんです。
自然界では個体数が350あれば絶滅しないので、ホルド(最大150)が三つあれば十分です。

□1.4万年前の人類は氷河が後退して陸地になっていたベーリング地域(だいたい1000kmの陸橋)を越えてアメリカ大陸に進出しました。毛皮の靴を履いているので、雪の上でも氷の上でも歩いて行けます。原人はアメリカ大陸には渡れなかったというのが現時点での知見です。この頃から温暖化が始まり、海水面が上昇し、ベーリング地域が海峡化し、後続の人類や動物が渡れなくなりました。先に行った人は孤立したんです。それと同時に、分厚い氷床を登れずにアラスカから先に進めなかった人類が、暖かくなり氷河が消えたので南下。その後、2000年以上をかけて、南アメリカへ進みます。
トナカイ、マンモス以外の動物を北米の大平原で取るようになります。BC1.2万年前頃にこういう狩猟生活は確立しています。各種の尖頭器(クロヴィス、フォルサム、スコッツブラッフなどから発掘)が遺物として、中米のグアテマラからも出土しています。
3万年前の間氷期に一度渡り、二度目にアラスカ、つまり東ベーランジアでクローヴィス文化を形成した人々が1.4万年前にも渡ったという二段階説もあります。
人の移動の原因は人口増加、気候変化で寒いから、獲物の動物が去ったから、植物が育たなくなったから、疫病避ける、戦争を避けるなどがあります。動機が強いと移動の圧力になります。移動を妨げる要素として大河、氷河、氷壁、吹雪、極夜、先に獲物がいそうにない、海、砂漠、猛獣のいそうな森、暑さ寒さがあります。氷河期は海面が低いから、ベーリング海峡は海峡ではなかったんです。大陸は陸地でつながっていました。だから徒歩で渡れました。とは言っても、氷河期の北極圏だからたぶん1000~3000mの厚さの氷床があったでしょう。なだらかな斜面がちょうどよくあるとは限らないし、氷壁になっているところをスパイクもアイゼンもなしに上るのは難しいし、クレバス/裂け目もあります。吹雪が途中で来たら滑落死するかもしれないし、夏は氷床が溶けて氷河の表面は滑りやすくなります。それに冬は極夜で緯度にもよりますけど、1カ月くらいは日が昇らなくて、闇だから動けません。極夜症といって、いらいらしたり、無気力にもなります。移動しようという気にならないんです。先が見通せないから獲物がいるかどうかもわかりません。いるとしたら兎、狐、ジャコウウシ、白熊、アザラシ、セイウチですね。既に犬は家畜化されているんですけど、ベーランジアを渡った人たちも犬を使っていたかどうかはわかりません。たくさんの食糧備蓄を運べる橇があったかもわかりません。橇がなければ、移動先で必ず獲物をしとめないと餓死していまいます。たくさんの家族が何度も氷壁を上り下りして先のことがわかっていれば別ですが、初めての場所でどこに獲物がいるかなんてわかりません。氷床の上には現在でも獲物は少ないので、当時もそうだったでしょう。それでも移動するのは人口が増えて獲物が足りなかったからだと思います。そして、役立たない人が追い出されたのかもしれません。小家族ずつ移動したかもしれないけれど、氷壁を上っても氷河の上だから焚火の後も後世の考古学者は発見できないんです。新雪に覆われたか、氷が溶けて大地にまで落ちたかしたのでしょうね。だから、シベリア東部の最後の遺跡から、アラスカの最初の遺跡までの間には、恐らく広大な無遺跡空間があるはずで、1000年以上かかって移動したというのは、単にその地理的空間にあった記録が消えているからに過ぎないと言えます。偶然、生き残った小家族が後からやって来た者に獲物のいそうな場所やクレバスの位置などを教えることで、少しずつ人は増えたのでしょう。そして、氷河期の終わりにベーランジアの氷河が溶けてなくなって、海になる寸前の平地になった時に、多くの人が一挙にアラスカへ渡ったのでしょう。だから、北米の大型動物は短期間にほとんど取り尽くされたのでしょう。
「いや、そうではない。人の食べられる植物、動物の定着は1.2万年前からなので、1.4万年前に渡ることはできなかった」と言う研究者もいます。「ベーリング地峡ではなく、南の沿岸を船で行ったのではないか」と言う研究者もいます。氷河をよじ上るよりも、こちらの方が納得はできます。

皆伝 世界史01アジアアメリカ太平洋の地図 - コピー

氷河というのは一年中氷の状態で、河よりはゆっくりだけれどじりじりと海に向かって流れていく、降りていくもの。氷の河ですね。上流には雪が積もったりして、また凍るみたいです。どんどん補充されるんですね。氷床とは動かないもの。氷の床ということです。
地球の温暖化によって約3万~1万3千年前にかけて徐々に氷河が北極及び南極方面へと後退・縮小していきます。つまり、暖かいところでは氷河が溶けました。裸足でも歩ける土地が高緯度で増えます。当時はすでに毛皮の靴を履いていたようです。けど、例えば、同じライン川沿いでもハイデルベルク人は緯度が低い南の上流で発掘されていて、時代の下った(現代に近い)ネアンデルタール人は緯度が高い北の中下流域で発掘されました。地球が温暖化し、生息区域が拡大したことを意味しています。シベリアの北緯50度付近にも旧人がいました。現生人類になればなおさらです。2.5万年前には北緯60度にも進出しました。
それから、北極圏でも暮らせるくらいに温かくなりました。ツンドラが草原に、草原は森林になります。餌となる草原や森林の拡大により家畜化しやすい草食動物が増えていきます。毛皮を作成し、ツンドラ地帯まで進出可能になります。初期の人類は森林近くの丘陵地とその洞窟にいたらしいですね。気候や外敵に対応しやすい上に、清水/湧き水が多いので。湧き水は崖、段差から出ます。

ネアンデルタール人も、しばらくは中東(アラビア半島付近)や欧州で生活していて、現生人類と交雑していました。交雑は異種間の生殖活動のこと。だから、現生人類にはいくらかのネアンデルタール人の遺伝子も混じっているんです。アフリカでは不明なんですけど、ヨーロッパ、アジアの現生人類にはネアンデルタール人の遺伝子が1-5%あるとの研究結果があります。

オーストラリア
バリ島までは大陸(スンダ大陸)になっていて、ユーラシア大陸と接続していました。つまり陸続きだったんです。これは海水面が低かったからです。150mほど21世紀前半の時点より低かったようです。海が隔てていたオーストラリアや、ニューギニアを一部とするサフル大陸へは船がないと渡れません。
現生人類が渡った時期は4万年前(6万年前の説もあります)です。
現生人類より前に化石人類は豪州へ渡って来ていたかもしれませんが、まだ発掘はされていません。
焚火跡、火打石などが発掘されたマジェドベベ遺跡は6万年前との説があります。人類の骨は発掘されていないとのことです。

日本列島
大陸とつながっています。
12万年前、出雲で石器を使っていました。
9万年前、遠野の金取遺跡にも、石器がありました。
現生人類は3.5万年前に日本列島に渡りました。
ルートは①モンゴロイドが樺太/サハリンから北海道へ南下。
②朝鮮半島からも渡りました。
③ポリネシア人が台湾から沖縄へ。
この三つがメインと言われています。大陸と陸続きの台湾からは舟で、与那国島へ渡った説もあります。台湾の山からは島々を見渡せるので、太陽や星で方向を知った人たちが海辺に下りて、星を見ながら、見えない島々を目指せた。当然島には海から湿った空気がぶつかり雲ができるので、島が近づくと漕ぎ手にもわかります。国立科学博物館の海部陽介さんの主導で沖縄の先島諸島で葦船、竹船での実験は失敗しましたが、2019年7/7-7/9に丸木舟7.6mで台湾の中東部から200㎞先の与那国島に黒潮を越えて5人の漕ぎ手で45時間かけて渡ることができました。こういうことを実験考古学と言います。
3万年前に丸木舟を使用した直接的な証拠はないけれど、作る能力と材料がありました。移住した先で子供を産んで人口が増えたことを考えて、漕ぎ手には2人以上の女性がいたはずです。黒潮に流されて与那国島の北に行くことを避ける目的で、最短距離を選ばなかった。事前に黒潮の流れと島々の位置を知っていたから可能な判断ですね。3万年前に台湾の東の峰から黒潮や与那国島を見てこの判断をできたかどうかは不明ですけど。最短距離を10人の漕ぎ手がいた船で行ったのかもしれないし、一年ごとくらいに5人乗りの船が中東部から流されて漂着したか、人口過剰で追い出されたのかもしれません。
現生人類より前に化石人類は日本列島へ渡って来ていたかもしれませんが、わかりません。化石が発掘されていません。沖縄を除く地域の地質は化石が残りにくいようです。腐ってしまうんですね。
3.5-3万年前 旧石器時代 第一期の開始
3-1.8万年前 旧石器時代 第二期の開始
2~1.8万年前、沖縄に港川人。本州は火山が多くて、酸性土でもあるので、化石が残りにくいんです。沖縄は地質が異なっていて、化石が残りやすいようです。
1.8-1.5万年前 旧石器時代第三期開始 遊動性が高い生活。
1.6万年前、青森の大平山元遺跡に土器。
1.5-1.2-1.1 _______縄文時代開始________ 
縄文草創期 
中石器時代に入り、鏃/やじりを利用した弓で狩猟をするようになりました。
竪穴式住居(住居を壊しては作って、移動の半定住)
土器の出現
土器は1.6-1.1万年前に、日本列島東部、中国南部、アムール川流域でほぼ同時に発生したようです。誰かが考えて伝えたわけではなくて、独自に別個に発生。仮に1.6万年前だとすると、まだ氷河期です。針葉樹林の広がる時代です。縄文の普通の生活であるドングリを採集して食べるためにドングリを煮ることであく抜きをする土器の発明は画期的ですが、ドングリは落葉広葉樹(氷河期の終わる1.2/1.1万年前に広がった)です。針葉樹林の時代に土器が発生したとなると、なぜ作ったのか動機が不明(動物を煮た?)です。

先史時代の人類の誕生はこれで終えます。
この文は2万文字くらいのようですが、入学試験で問われるのはほんの一部です。先生の作った「六連問題集 古代」を今日中に解いてみてください。今が夜なら明日中に解きましょう。市販の問題集だと、先史時代って分量が少ないんですよね。心配な人は、六連をお勧めします。
先史古代は
https://note.com/kaiden_juken/n/nb8b62d418d75?magazine_key=mc0ae0b6eb4a3

です。

次回は先史時代 農耕の時代ですね。そこまで読んでから解いても構いません。とにかく、読んだら解く。インプットしたらアウトプットする。憶えたら思い出す。これが受験のコツです。

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