見出し画像

世界史探求という科目について思ったこと

例えばアメリカ合衆国では高等学校によっての違いはあるんですけど、歴史の授業は合衆国史、世界史に分かれてはいないようです。
「歴史」の授業をします。
そういう点では、歴史総合に近いですね。
そして、レポート、プレゼンテーションなどが成績の7-8割を占めていて、期末試験は2ー3割になっています。だから、記憶した知識を思い出す力よりは、調べて、考えて、表現する力を重視しているということがわかりますね。この点は世界史探求のようです。

それでは共通テストに相当するSAT/Scholastic Assessment Testはどうかというと、英語と数学が必須です。
(課題文に基づいて書く小論文のようなエッセイは、基本的に廃止されました。2014年から、提出したい人だけになっていました)

難関大学が成績の提出を要求することもあったSAT Subject Testsは、2021年を最後に廃止されました。こちらは英、数、科学、歴史、言語の5教科で20科目あります。任意の科目を受けていいことになっていました。
歴史はアメリカ史(コロンブスよりも前からです)、世界史に分かれていました。マークシート式でした。
廃止された理由は、高等学校で大学レベルの授業を受けることも可能だし、高等学校の成績で能力はわかるし、英数はSATがあるから必要ないからです。
日本の総合型選抜などは評定平均と小論文、面接などで受験できるので、高等学校の評価は当てになると考えられているんでしょうね。
そうなると、共通テストで現代文を課して、史学科なら世界史や日本史というように専攻に関わる科目を課せばいいのかもとも思ったりします。
SAT Subject Testsでは基本的な知識、グラフ、一次史料の読み取りなどの能力を測定されていました。
高等学校では深く、考えたり、発表したりをしているんですけど、
大学入学試験ではマークシート式なので、知識問題ということです。
ここが世界史探求を実施するにあたっての、日本の高等学校の教員が悩む点と重なるんだと思います。
共通テストの世界史探求もマークシート式です。たぶん、世界史Bとあんまり変わらないんではないかと思います。
授業で深く、まともに探究しても、共通テストの世界史探求の得点にはつながらないんです。
一部の中高一貫校では、もしかしたら、中学までに世界史Bの範囲を終わらせて、高等学校では探求をできるかもしれませんね。
たいていの学校ではそうではありません。だから、世界史探求の時間に、探求しないで世界史Bの内容を続けることになりかねません。

アメリカ合衆国ではその点をどうやっていたかと言うと、「読んでわかるように書かれているのが教科書」なので、試験勉強は独学でできるようになっているということです。もちろんできない人もいるんでしょうけど、教科書を読んで理解できないし、基本的な知識も身につけられない人は、大学に入る資格はないと判断されるんです。正論ですね。

日本の世界史の教科書は、薄いです。かなり省略があります。だから、読んでも理解できないところがあります。
薄くしないと値段が高くなるし、採用してもらえないから、薄くしているんだと思います。
デジタル教科書になれば、皆伝 世界史のように量は増やせます。値段もそんなに高くないかもしれません。
けど、日本の高等学校では「教科書を使って歴史を教える」んではなくて、「教科書の最初から最後までを教える/説明する」ので、薄くないと最後まで終わりません。だから、厚い教科書は敬遠されるんだとも思います。

歴史総合の教科書は、読んで理解できるかというと、まだまだ抜けが多いと思いますね。
世界史探求の教科書は2023年の4月には正式に使用され始めます。これが独学できるくらいに厚く充実しているなら、高等学校では「探求」をすることもできると思います。
つまり、教科書の充実度が、高等学校の授業を探求か世界史Bにするかに影響すると思います。

探求すると言っても、以前に書いたように生徒が自分でテーマを決めて調べて考えるなら面白いと思うんです。
けど、30人の生徒が各々で考えたテーマについて調べていたら、教員は一人のレポートの進捗を観てアドヴァイスするのに、1分30秒しかかけられません。授業は45分だからです。これは無理がありますね。
かと言って、生徒30人に同じテーマで考えさせるなら、調べ方と考え方の授業にはなっても、主体性もないし、あんまり面白くはなりませんね。

世界史探求をどう構築するかは難しい課題ですね。

サポートして下さると長く続けられると思います。これからも学んでいく費用に使うので、サポートを御願いしますね。