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自分自身を許す、トラウマ荒療治。

こんにちは。
初めてこういった投稿をします、かいです。 

初めての投稿は、僕の個人的な話をしたいです。

大体こんな内容でお話ししていければと思います。
夜寝る前とか、朝起きれない時とか、
電車に揺られている時に読んでもらえると嬉しいです。


目次
*杉田海という人間について
*今日話したい荒療治について


*杉田海という人間について

杉田海(Sugita Kai)と言います。
96年に東京で生まれた25歳です。
6歳上の兄がいて、家族は全員男兄弟。
いとこもほとんどみーんな、男兄弟。

そんな環境で育ってきました。
僕が小学校1-2年になると兄は中学生になり、
ザ・反抗期が始まります。

この時はまぁ〜えらく虐められました。笑
読んでもない漫画に『読んだだろ?』
入ってもない部屋に『勝手に部屋入んなよ』

これがほぼ毎日続きます。


家庭内がこんな有様だった分、
外に居場所を求めるようになりました。

家の中ではあまり話さず、家の外では社交的。
一般論も、社会のレールもよくわかる世渡り上手。
全ての根源は『兄を怒らせたくない』から来る観察力。

なんとも言えない不純な強みでできています。
それでも外にいる時の自分が一定好きで、
そのまま大きくなっていきました。

中学時代はソフトテニス部の部長、
高校も部長と有志でメンズアカペラに打ち込み、
青春時代も謳歌したなあ〜と心から思います。
大学は立教大学に入学。
サークルと学生団体と、留学もできて順風満帆?
な大学生活を送っていました。

そして就活し、今は人材紹介の仕事をしています。
並行して、コーチングを2021年から学んでいます。

*今日話したい荒治療について*

実は前のタイトルで説明した自分は、
『よそゆきの自分』なんです。悲しいことに。

本当は僕、もっとダメな感じです。
これまでの僕とお別れしたくてこれを書いてます。

もっと言うと、自分自身を許してあげて、
自分自身を前に進めるためにこれを書いてます。

僕には実は誰にも話していないトラウマがあります。
今日はそれについて話をして、
前に進もうと思っています。ここから本編です。

就活時代のトラウマ経験

本当は人材業界を第一志望にしてた訳ではないんです。

いきなりインパクトあるかもしれませんが、
当初は金融機関を受けていました。

なぜか?

1番スーツをカッコよく着こなし、
社会的にも『社会人感』のある仕事に見えたからです。


(薄…)


そんな中、ある日受けたのがパイロットでした。
理由は就活仲間が受けているのを知り、
受けられるんだ!!!!ということを知ったから。

そもそも、思い入れのある就活はしてませんでしたが、
何故かパイロットは運命的に惹かれて応募しました。

とは言え当時は記念受験のような感覚もあり、
当初『受かってやる』という感覚はありませんでした。

インターンから応募し、ESを書いて、通過連絡。
適性検査を受け、案外?サクッと通過。
面接も『よそゆきの自分』を使って、クリア。

そしてインターン。
本物のパイロットのいる訓練センターへ。順調でした。

当時の僕は、ほぼ面接で落ちる事はなく、
インターンも『いけるもんなんだ〜』位の物でした。
ただ、そこで衝撃的な出会いをすることになりました。


それは座談会の時でした。
ひときわ熱く、情熱的に、本気で仕事をされているパイロットの方に出会いました。当時は学生の身分でしたが、他の会社の社員様からは違うオーラと圧倒的な『仕事に対する自分ごと感』を感じました。

(今思えば、『スーツを着たかっこいい大人像』は
あんまり自分ごと感が無かったんだろうな)

その方へのさまざまな質問や座談会をきっかけに、僕自身もパイロットに対しての憧れが本気に変わりました。

幸いインターン参加者はそのまま本選考に進む事ができたのですが、選考回数は想像以上でした。
(内容は公表できなさそうなので割愛しますが、
インターン含めて全部で8-10回位の選考がありました)

本選考はそれまでと同じ雰囲気なんですが、
内容が全然違うものばかり。
飛行適性検査、英語適正検査、面接n回…と
各回しっかり準備が求められました。

それでも周りの友人や家族の支えもあり、
9割の選考フローを通過した所まで辿り着きました。

そして身体検査。いつも通りいこう。
というか準備できる箇所じゃないし。

身体検査当日、『ここまで来れば、身体に問題なければ最終選考だから。人事としては杉田くん、通過だからね。』





『ご期待に添えかねる結果となりました』



不合格でした。
2日程に分けて行わる身体検査の2日目まで進み、
そこで再検査となった上で不合格となりました。

原因は企業様が非公開の為分かりません。
ただ、僕はここで最悪のもがき方をしてしまうんです。

再検査通知が届いてから、該当する部分について調べまくりました。何かできる事はないか、対策や準備、コツとかないのか等。やれる事は全てやりました。

それでも手応えは無いまま迎えた当日。
検査は本物の企業内医師の方?が担当されるのですが、
医師『う〜〜〜ん…もう一回やってみようか!』
医師『あと少しやってみよう!』
という、激励の言葉を贈ってくださいました。

が、これが不安になるんですよね。笑

(きっと出来てないんだ)
(なんとか成功しなきゃ)
(落ち着け〜〜〜〜〜)

こんな事を考えている間に、
医師『…はい!じゃあこれで検査終わりです』

僕はもう気が気ではなく、
帰り際、担当看護師の方に言ってしまうんです。




『もう一回だけやらせて下さい』



いま思えば、なんて馬鹿な発言だったのかと。
ここが僕のトラウマの根っこ、底、核となります。

先生もお仕事あるからと看護師さんに一度諭されたにも関わらず、幾らでも待ちますから、と頭を下げ、待ちました。

1時間ほど待つと、医師の方がいらっしゃり、こちらどうぞ〜と別の部屋に案内されました。

そこで待っていたのは、先ほどの検査とは全く違う内容の検査。何が起きてるのかも分からず、言われるがままに検査を受け、ものの5分で終了。

『はい、これで本当に終わりです。お気をつけてお帰りくださいね〜』


そう言われて悟りました。落ちたんだと。


正式な不合格通知が来るまでさほど時間はかからず、
あっという間に『就職活動』が終わりました。
他に受けていた企業も何も上手く行かなくなり、
漂着するように今の企業に流れ着きました。


それでも就活が終わってからも暫くは、
こんな事を永遠に考えていました。

あの時泣きの一回が無ければ通ってたのか?
もう一回できて、納得いく結果なんじゃないのか?
あの時の医師の言葉はどんな意味が?
なんで自分だけここで?


パイロットは2回目が許されない仕事だと、
かなり耳にした言葉だった筈なのに。
そこまでの準備してきた自分、対策してきた自分を信じられず、本番で悪あがきをする自分に、強い嫌悪感と劣等感を抱くようになりました。

パイロット応募を知る友人からは『なんでダメだったの』とよく聞かれます。僕は少し嘘をついて、『身体が適正以下だったらしい〜』と誤魔化しています。

いや、嘘では無いんだけど、経緯については触れずに、結果だけ話しています。
4ー5年これを続けてるので、心が擦り切れそうです。

結果だけを話す自分を認知するたびに、
あぁ、この人にも話せなかった。
こんなに信頼してる人にさえ話せないのか。
誰にも話せないのか。ずっと1人か。

こんな感情に支配されていきました。
その後、何をするにもこの感情はついて回るようになりました。仕事、プライベート、関係なく。

水のやりすぎてブヨブヨになった植物の茎みたいに、
どよーんと、浮腫んでいて、元気が無い状態が続きました。夢に身体検査が出てきて、それがまるで死刑台の様になって目が覚める事もありました。(どんだけだよ)

そんな状態からこの荒療治ができると感じたのも、今年になってからです。

どんだけだよと突っ込めるのも、今だからこそです。
勿論時間が解決した部分もあります。

けど、

このトラウマ、いつか向き合わないときついな。
墓場まで持ってく長距離走は無理だな。
今後の本番とか、全部同じ繰り返しか…?

こんな感情がたくさん出てきて、
そこに向き合えて、唯一話せた人がいて、
今回のnoteを書きました。


かなり荒療治ですが、noteに書いて、
皆さんに読んでもらって、
それで初めてこの感情は成仏できると思っています。
昔から口下手で、自分の事を話すのが苦手な性分です。ご容赦ください。

そして、この荒療治にはもうひとつのGoalがあります。つぎの『本番』、CTIの認定試験です。

パイロットよりもずっと難易度高いと思います。

試験本番はまだ先になりますが、
キング悪あがきー(キングボンビーになぞらえて)
が出ないように、皆様の力を借りて退治したいです。
そして誰よりも認定試験を楽しめる人として、
当日を迎えたい。

すっごく身勝手なノートになっちゃいました。笑
そしてすっごく長くなりました。

これが今回の僕の荒療治です。
そして僕の自己紹介でした。

既にコーチング仲間の方も、
ふらっと覗いていただけた方も、
もし荒療治の投薬治療して下さるようでしたら、
イイね!して頂けると、凄く楽になります。

これからも皆さま、よろしくお願い申し上げます。

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