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人生を変えくれた衝撃のライブを振り返って①

曇天にワクワクしたのはいつぶりだろう。

その日は高円寺で『裏日本』という名のライブが開催される日だった。私は前年からこのライブを心待ちにしており、当日は天気までもが『裏日本』の演出に氣を効かせていることにワクワクしながら会場へ向かったのであるが、終演後、帰宅した私を襲ったのは猛烈な虚無感であった。

実際のライブは曇天どころか、目の前が見えないほどの豪雪。鏡に映すにはあまりにも苦しく、壮絶で、一時は激しい虚無感に襲われたのだが、私はこのライブを経て確かな強さを手に入れることができたのである。苦難に立ち向かう決意をもらったのである。

2024年1月20日、この日は私にとって忘れることができない日となった。





高円寺にあるライブハウス、無力無善寺にて行われた『裏日本』。音楽家の鈴木諭と片山さゆ里とによる弾き語りのツーマンライブである。

「裏日本」という名は、日本海側の地域の別称である。これに対して太平洋側の地域を「表日本」と表し、1970年代までは一般的な呼称であった。しかし、次第に人々が「裏」という言葉に差別的な意味合いを感じるようになり、一般的には使われなくなった。

どうしても太平洋側よりも日本海側の方が荒々しい海、天候であったり、それに従い、都市として栄えるのがどうしても太平洋側の地域であったりすることから、「裏日本」という言葉は日本海側の地域を蔑む言葉としてひっそりと使われている。

その『裏日本』という言葉をライブの表題に挙げたのが、秋田県出身の鈴木諭と、富山県出身の片山さゆ里である。

つい一年ほど前まで全く別の場所で生きてきた二人なのだが、昨年に出逢い、此度、一緒にライブをする運びとなった。

二人の楽曲や感性には通ずるものが多く感じられる。裏日本という地域性なのか、同じ海を見て育ってきたが故の感性なのか、二人とも、差別を受けてきた側の心情を毒々しく表現している音楽家で、私は二人のその表現がたまらなく好きなのである。ちなみに鈴木諭は私の中学高校の同級生である。




私が二人の楽曲に魅力を感じる点は「傷」である。

二人の楽曲には、これ以上はやめてくれと言いたくなるほどの大きく深い「傷」が描かれている。自身の痛々しい体験を基に、側から見たらセンシティブな内容や、死生に関する内容を、惜しむことなく曝け出しているのである。

私は二人の描いた世界に入り込み、情を寄せる。痛みを感じ、自分と照らし合わせ、私も同じ人間ということをひしひしと感じる。彼彼女の「傷」と自分が重なるその時間がたまらなく好きなのである。

痛みだけの、救いもないような楽曲だらけなのだが、それなのになぜそんな二人の楽曲が好きなのかと問われれば、

「この人は私を理解してくれる」という感覚を抱くからなのだと思う。

共感とは少し違う感覚。共感よりも、私の方が一歩も二歩も歩み寄れるような感覚である。

私は基本的に人に興味がないものだから、向こうから歩み寄って来ることでもない限りは、人に興味を示さない。そんな私が、片山さゆ里、鈴木諭の曲に関しては自ら歩みを寄せてしまうのだ。

私も人に傷つき、孤独に生きてきた側の人間であるから、この辺りの感覚には敏感だ。私の孤独を、片山さゆ里なら、鈴木諭なら受け入れてくれる。そんな感覚を抱くのである。


私には二人の演奏がなんとも苦しく愛おしく感じられてたまらないのである。


であるから、此度の、2024年1月20日に行われた『裏日本』というツーマンライブを非常に楽しみにしていたのだが、その内容が余りに、余りに刺さり過ぎてしまい、私の心はその後2日ばかしダメになってしまったという話は、

長くなりそうなので、また明日にでもしようと思う。



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お二人の代表曲を置いておきます。興味あればお聴きください。

氣分を害する方も少なくないようですので、危険を感じたらすぐに再生を止めてくださいますようお願い申し上げます。


片山さゆ里「バスジャック」


鈴木諭「犬の川」


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