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近所の花火大会がとても静かだった話


こんな贅沢があっていいのかと思った。

家から徒歩15分のところで、そこそこの規模の花火大会があったのだ。

花火を見るために遠出しなくても、満員電車に揺られながら帰宅しなくてもいい。

当日の夕方、ぼくはワクワクしながら会場に赴いた。



会場広場付近は、人でごった返していた。

1000人はいたのではないだろうか。

普段近所で、これだけの人を見たことがない。

ここは渋谷かと、心の中で思わずツッコむ。


この花火大会の開催は実に4年ぶりとのこと。

ぼくがこの辺りに住み始めたのが4年ほど前なので、今まで知らなかったのも無理はない。



広場には屋台がぐるりと並んでいた。

ちょうど、草野球のグラウンドくらいの広さの円形広場。

中央には和太鼓が乗った櫓があり、櫓から離れた四方八方に屋台がぐるりと。

櫓と屋台の間には無数の人、人、人。

ここは渋谷のスクランブル交差点かと、心の中で思わずツッコむ。




お祭りと言えば屋台。そして、屋台といえば焼きそばである(無論、持論に他ならない)。

人混みをかき分けながら屋台へ向かうと、あることに気がつく。

広場にいる人たちは何も、適当に群がっているわけではなかった。

広場にいたほとんどの人は、屋台の前に並んでいる人だった。

ただ、並んではいるが、列が長すぎるのだ。

四方八方から行列が伸び、各屋台の列と列がぶつからないよう、途中で折り返したり、グネったりしていた。

文字通りの長蛇の列。

長蛇と長蛇が混在して、人が群がっているように見えていただけで、ほとんどの人はきちんと整列をしていたのだ。


とても何かを買えるような状況ではない。

あれでは並んでいる間に花火が始まって…、いやむしろ終わってしまう。


屋台の焼きそばがどうしても食べたかったが、並ぶのは諦めて、花火を見る場所を確保しようと列を引き返す。

ぼくは広場の周りにある腰掛けへと向かった。


広場の周りは草木が生えた芝生だったり、コンクリートのベンチなりが広がっている。


人混みをかき分けながらそこへ向かっていると、人混みの中から文句のような、あまり耳にしたくない言葉が聞こえる。

真夏の暮れの人混みの中だ。

暑い中の長蛇の列で、文句の一つこぼれるのも無理はない。

そう思って聞き流す。



広場の周りの芝生には、何組もの団体がレジャーシートを敷いて待機していた。

職場の同僚だろうか、ご家族だろうか、はたまた学生の仲間内だろうか。

食べ物や飲み物を用意しながら、わいわいとしている中、シートの端ではひっくり返ったり、飛ばされたりしている靴がチラホラ。

芝生の前にはたくさんの人が右往左往している通路がある。

誰かの靴がそうなってしまうのも無理はない。

そのうち誰かに踏まれてしまわないかとソワソワするも、ぼくが整えようとして、お相手の癇に障っても嫌だしなとか、どうせまたぐちゃぐちゃになるだろうなとか、

そんなことを考えながら歩いているところ、

ご家族か何かの団体に向かって罵声を浴びせている人がいた。



筋肉なのか贅肉なのか、体格のいい、金髪刈り上げ色黒の、黒のタンクトップを着た男性が、

おおかた、ご家族の誰かが、彼の領地に侵入でもしたのだろうか。

「謝れよ、謝れよ」と、声を荒げていた。


これだけたくさん人がいるんだもの、いろんな人がいるだろう。と、


ぼくはその声を聞き流し、人混みに流されるように前へ進む。







ぼくは運がいい。

たくさんの人が腰掛けるコンクリートベンチに、ちょうど空いているスペースを見つけた。

ぼくはポケットから、先にコンビニで買っておいた水を取り出して足下に置き、コンクリートのそれに腰掛ける。



手前のベンチに、3人組の男子学生がわちゃわちゃしながらやってきた。

両手には食べ物や飲み物。屋台で買ってきたのだろう。

腰掛けに座るなり、買ってきたポテトの量が少ないだのなんだのと、楽しそうに戯れている。

仲間内に向けた雑な言葉にも、ぼくの耳は反応してしまう。




そうこうしているウチに、花火開始のアナウンスが流れた。

予定していた開始時刻は19時30分。

どうやら予定通りの開催らしい。

10秒前になると、アナウンスの掛け声と共に、会場の人たちがカウントダウンをし始めた。

まばらだった掛け声は、数える数が小さくなるごとに大きくなっていく。

会場が一体感に包まれたことを感じながら、打ち上げられた最初の花火を眺めていた。




















静かだった。



















打ち上げられる花火の爆大な音に反比例するかのように、

ぼくの心はとても落ち着いていた。





花火が始まる前は聞こえていた文句も、花火が上がっている時だけは聞こえない。

聞こえてくるのは、見事な花火に対する拍手と、多少不格好な花火に対する応援の言葉と、

鍵屋玉屋の、なぜか「玉屋」の方の掛け声だけ。



打ち上げられた色とりどりの花火を見ながら、

あたたかい瞬間は、確かに存在することを実感する。




普段、触れたくない言葉が頻繁に飛び交う現代でも、

みんなで一つになって、何かを楽しむ、見守る、応援するという瞬間。




この瞬間だけは、誰も誰かの悪口を言わない。

花火が多少不格好でも、文句を言わない。

皆が拍手し、声を掛け合う。

心が落ち着く、あたたかいひととき。
















あたたかい時間はあっという間だ。


花火が終わるや否や立ち上がる人たち、通路にはまた長蛇の列、交通規制に動く人たち。

帰路に就こうと列に加わるも、

足元には、汚れた箸、おにぎりか何かを包んでいたであろうビニール袋、液体が少し残ったペットボトル。

そして、レジャーシートの脇に転がる、誰かの靴の片方。



またいつもの日常に戻ってきた。

これが今の社会。これが平時。



生きていると、誰かの行いや発言に、心がどんどん毒される。

けれど、その平時の中に、心落ち着くあたたかい瞬間は確かに存在する。




日常の社会はやさしいことばかりではないけれど、

こういう瞬間にまた出逢うために、もう少しがんばってみてもいいかなと思う。

願わくば、平時あたたかい瞬間であることを願うばかりだ。


ぼくにできることといえば、極力、誰かをざわつかせるようなことをしないこと。

むしろ、それしかできない。

そうやって生きていくことしか、ぼくにはできない。




今回、花火開催のために動いてくれた街の方、花火を作ってくれた職人さん、現場で動いてくれた方々に感謝をしながら、


家から徒歩15分の花火会場を後にした。














※帰りにコンビニに寄って、焼きそばを買って食べました(泣)





最後まで読んでくださってありがとうございます。

創作活動で扱う感情を記録する目的で記事を書いています。


普段は主に漫画を描いています。

最新作『スポットライトを浴びたくて……』

音楽をやりたい主人公が、本心に蓋をして無難に生き、自分の人生に葛藤する物語です。


無料公開してますので、お時間あるときにでもご一読いただけたら幸いです。

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