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デデデデと私


圧倒的な繊密画と非日常の中の日常。

8年前、齢25のぼくは、浅野いにおの世界観に興奮を覚えた。

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』

ぼくがぼくであることに氣づかせてもらった作品である。


先ず興奮を覚えたのは其の繊密な絵。

ページをめくれどもめくれども、

影や濃淡をほとんど線だけで表現した絵がビッシリと。

白と黒だけでここまで美しく写実的に、世界を表現できるものなのかと、

脳みそが過剰反応したのを覚えている。


以降すっかり作画にこだわるようになってしまった。

それまでは細々と描き込むことを多分に嫌っていたというのに。


今も彼の画を求めて描いている節がある。描けども描けども、遠く及ばないけれども。




次に惹き込まれたのは人間描写。

巨大な未確認飛行物体が上空に浮かんでいる東京で、二人の女子高生の日常が淡々々と描かれていく。

下世話な話に華を咲かせ、恋をし、オンラインゲームに勤しみ、ネットの情報に一喜一憂、、

UFOが現れたからといって一気に生活が変わったわけでもない、けれど、それの影響で少しずつ状況が変わっていく中、

変わらない日常を送る人間を、なんとも皮肉に描いた物語に、心が多分に反応し、惹き込まれていった。


我々は自分に想像できないことはどこまでも他人事。

身近な人は愛せるのに、未知の者には平氣でナイフを投げ飛ばす。

身近な問題から目を逸らし、遠くのことに想いを馳せ、だってみんながそうだからと、自分と世界を切り離す。

そんな、どこまでも愚かで愛おしい我々を、とてもわかりやすく描いてくれている。





この作品に出逢ってから、ぼくの作風は明らかに変わった。

それまで描いていた漫画の内容は、どちらかと言うと他人事。

自分が見聞きした面白そうな話を、うまくまとまるように組み立てて描いていた。

『デデデデ』を読んだ後に描いた漫画の内容は、圧倒的に自分のことだった。


25歳で夢破れ、諦めるか続けるか、悩みもがいた自分自身を、当時の精一杯の絵で描いた。

自分の醜い部分を躊躇なく曝け出し、氣の済むまで線を重ねた。

6年漫画を描いてきて、初めて手応えを感じた漫画だった。

作品と自分が一致する感覚を初めて覚えた。

一致しすぎて、少々不気味に感じるところもあったほどである。

それほどまでに、今まで描いてきた漫画は、自分の血から遠く離れた、全く知らない誰かに向けた漫画であったのだ。

こうして書いていて、改めて実感する。



『デデデデ』に出逢ったから、ぼくの渾身の読切『Decade(ディケイド)』が生まれた。

あの物語が生まれた。あの線画が生まれた。

自分の創り出すものに血が通った。

表現者になった。

ぼくがぼくであることに氣付かせてくれた。



その後4年、余計なものに氣を取られて全く描けなくなってしまったのだが、

戻ったときに在ったのはやはりそうであった。

余計なものは置いておき、遮二無二描いた一枚の絵。写ったのは虚ろな目をした男性と古びた建物。

紛れもなく『デデデデ』からもらったソレであった。

『デデデデ』からもらったソレが多分に、自分の描いた絵に含まれていた。

その絵を「これが自分だ!!」と強く自覚し、

その感覚を抱いたまま、今の創作活動に至っている。

『デデデデ』に出逢ったから、私は今も自分を描くことができているのである。




そんな『デデデデ』がこの度映画化されたので、先日鑑賞してきた。

原作好きの立場からではやはりアレコレ言いたくもなるものだが、

この素晴らしい作品がもっと多くの人に知れ渡ることを想うと、わざわざ口を尖らせて言うことは何もない。

普段はグッズなんて買わない私が、つい買ってしまったのだから、好きなのだなぁと改めて実感。

あまり軽々しく言うものでもないと思うが、この作品がなかったら今の私はいないと思うと、締めの言葉としてはまぁ適当なところであろう。

後にも先にも、この作品ほど私に影響を与えたものは他にない。

『デデデデ』は私の〝絶対〟である。




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映画『デッドデッドデーモンズデデデデストラクション』公式サイト



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