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自分にとっての当たり前が、誰かを救うかもしれない話

箸を使えるのは当たり前だ
言葉を話せるのも当たり前だ
絵を描けるのも当たり前だ。

ボクは、できることに関しては「当たり前」のことと認識している

でも、当たり前だが、その当たり前は、誰かにとっては当たり前でないのだ。

今日はそんなお話。

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ボクは割と、誰に対しても寛容なほう。

人を嫌うということが極端に少なくて、
だいたいの人は受け入れられる。

他の人なら勘に触るようなことでも、
「あの人はああいう人なんだな」
という感じで済ませられる。

ボクにとってはコレが当たり前だ。

悪く言ってしまうと、「人に興味がない」となるのだが、この性格がある人にとっては大変ありがたいものだと知った。

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初めの印象は、繊細な人

背が高く、とても美人な彼女は、その容姿からは想像もできないくらい、過去に辛い体験をしている。

心に問題を抱えながらも、現在は人前に立って自分を表現する仕事をしていた。

彼女は、我が強い。
とにかく自分を主張したいタイプ。

話を聞けば、

自分を出したい性格のあまり、人と衝突することはしょっちゅうあるという。

そんな彼女が、ボクに声をかけてくれたのは、

「自分受け入れてくれる人だ」と確信したからだそう。

ーーー

初対面の人にはよく言われる。

「話しやすいですね」
「雰囲気が柔らかいですね」
「一緒にいると落ち着きますね」

ボクは特別意識していることはなにもないのだが、どうやら人にはボクがそう映るらしい。

当たり前かもしれないが、ボクはこの性質を1ミリも自覚していない。

ボクはボクでいることが当たり前だからだ。

思い返せば小学2年生のころ、
当時の担任の先生が母にこう言ったそう。

「かいちくんの周りにはいつも人が集まってます」

ボクは、ボクに歩み寄ってきた人は基本的に受け入れる。

自分から行くのが苦手だから、向こうから来てもらう方が圧倒的にラクなのだ。

そんな性格だからか、いわゆる障害者の人にもよく懐かれた。

ボクの実家は田舎の小さな集落にある。

近くに、年の5つ離れた精神障害者が住んでいて、ボクはなぜか懐かれていた。

ボクはその人の家に遊びにいって、当たり前のように一緒にゲームをしたりしてた。

特に抵抗はなかった。

今考えると確かに、自分は寛容だなぁと思う。

まぁでも、それがボクにとっては当たり前なのだが。

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神保町から飯田橋まで、15分程度だろうか。彼女と並んで歩いた。

彼女の用事でだ。
ボクは飯田橋に用は1つもなかった。

歩いている間、いろんなことを話してくれた。

過去に人とぶつかったことや、受け止めてくれる人が少ないこと。

聴けば聴くほど、彼女にとってボクの寛容な性格が、とてつもなく需要があるということがわかった。

ボクにとっては当たり前のことが、彼女にとって、ボクの寛容性は必要なことだった。

ーーー

「ガムシロップ平気ですか?」

ファミリーマートの店内、コーヒーメーカーの横

彼女がボクに尋ねた。

ボクに「オススメのコーヒー」とやらをご馳走してくれるらしい

ボクはコーヒーは基本ブラック。
「あまり甘いのは飲まないです」

というと、なんだかもどかしそうにしていたので、

「オススメのやつ作ってください」
そう言った。

すると彼女は、半分嬉しそうな、半分申し訳なさそうな態度で、ミルクを1こ、ガムシロップを2こ入れて、ものすごく大雑把にかき混ぜ、ボクに渡してくれた。

おしいかった。

ーーー

自分にとっては当たり前なことでも、
誰かにとっては必要なことかもしれない。

彼女がボクの寛容性を必要としてくれたように、

誰かがあなたの当たり前を必要としているかもしれない。

当たり前を当たり前と思わずに、自分のスキルとして捉えると、誰かの役に立つことができるかもしれない。

「自分には何もない」と思っている人は、当たり前すぎて自分のスキルに気づいていないだけなのかもしれない。

今一度、自分を見つめ直してみたらいかがだろうか。

自分と向き合い、スキルを自覚すれば、
誰かにとってのヒーローになれるかもしれないから。

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