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自分で考えるとは

今回は自分の考えをまとめることにする。

■はじめに

「自分で考えろ」
誰もが一度は言われたことあるのではないだろうか。
これを言われた時は結構凹む。そしてどこか孤独を感じる。

自分で考えるとはどういうことなのか。
今までふんわりとニュアンスだけ受け取って行動していた。
私はこれまで文字通り受け取っていた。つまり、独りで考え込む、という行動を選択していた。
しかし振り返ると、独りで考え込んでうまくいった試しはほとんどない
何なんだ、自分で考えるとは。

そんな中で「自分で考える」という言葉の真意について、自分なりの結論が出たのでまとめようと思う。

■「自分で考える」とは「仮説を立てる」こと

「自分で考える」という言葉自体にほとんど意味はなく、少なくとも考えるプロセスに関わる人数の話ではない、というのが今のところの私の結論だ。つまり、独りで考えるのか3人で考えるのか、とかそういう考える合計人数の話ではない。
具体的に言うと、「自分で考える」とは「いずれ私の仮説を立てて言いますね」の言い換えだと思っている。

「私の仮説を言う」に至るまでのステップは以下の大きく3ステップ。
1.相手と自分の役割が違うことを理解する
2.自分の役割で求められていることを明らかにする
3.求められていることが実現できるための仮説を立てる

1.役割を理解する

「自分で考えろ」と言う側は、自分の脳みそのリソースを使わない意思表示をしている。その考える内容が、自分の役割ではないという背景があると私は考えている。
この「役割」というのがおそらくミソだ。

例えば、通りすがりの人から「職場から2時間かかるけど家賃が6万円のところか、職場から徒歩5分だけど家賃が10万円ところ、どっちが良いと思います?」と聞かれた場合、言葉にするかどうかは別として、十中八九脳内アナウンスは「知らねえよ」だと思う。(もしかすると私以外の人は瞬時に親身になって考えてあげるのだろうか。)
しかし、家族に同じ質問をされたらどうだろうか。おそらく捉え方がかなり変わると思う。なぜなら自分もその一員だから。
見知らぬ人なのか家族なのか、自分の役割が違うのだ。(無論、見知らぬ人を無下にしても良いということを言うための例ではない。)

極端な例を出したが、この役割という概念が「自分で考えろ」と言う背景にあると思う。つまり、自分がもし相手に「自分で考えろ」と言われた時は、相手と自分の役割には違いがあることを認識しなければならない。

ここまでが前提として理解する必要がある部分だが、その後はどうすれば良いのか。

2.求められていることを明らかにする

そのままだが、自分の役割と自分の役割で求められていることを明確にする

冷静になってもそもそも自分の役割が分からない時は、とにかく周囲の人たちを巻き込んで「自分の役割」を確認する。
「自分の役割って何ですか?」ではおそらく意味を汲んでくれないので、
・相手との関係性、そのそも2人が属するコミュニティ、組織、集団の最終的なゴールは何か
・その中で自分は何を任されているか
・任されたもののゴールは何か
これらを良い感じに情報収集する。

「私は〇〇をできるようにする」
こんな感じで言葉にできるまで、自分の役割と求められていることを明確にできたら良い。

3.仮説を立てる

自分の役割と求められていることが分かればおそらくほとんどクリアなのだが、最後に、求められていることを達成するための道筋(仮説)を考える

「〇〇をしたいのだが、そのためにはAかBかCが有効なのではないか。」

みたいなところまで言葉にできればほぼクリア。
クリアというのは、求められていることを達成できるかどうかではなく、「自分で考えろ」と言われることはない、という意味でのクリアだ。

この仮説を立てるまでのプロセスでも、周囲の人たちに質問して全く問題ない。仮説を立てるためには、詳しい人に聞くのが結局一番早い。
この時に、仮説を立てようとしている状況であることは先に伝えておかないと、結局「自分で考えろ」とぶった斬られる。

仮説が立てられたらその仮説を改めて相手に丁寧に説明する。そこからがスタートラインだ。

■まとめ

「自分で考える」とは、考えるプロセスで関わる人数の話ではない。

・自分の役割は何か
・自分の役割で求められていることは何か
・求められていることを達成するために必要な仮説は何か
これらを整理して、仮説を表明することだ。

整理できたら丁寧に相手に説明する。そうするときっと相手は何かしら答えてくれる。と今のところ私は思っている。
もし今後「自分で考えろ」と言われたら、「あなたの仮説を教えてちょ」と言われているとポップな脳内変換をしよう。

おしまい。

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