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アルストロメリア『YOUR/MY love letter』/アイドルってなんだ?

シャニマス・アルストロメリアのイベントシナリオ「your/my love letter」を読んでの感想です。今回は普段に増して、直接ゲーム内でシナリオを読むことをお勧めします。以下、当イベントシナリオのネタバレ注意!過去のコミュにもそれとなく触れます。


 アイドルは、数多くのファンやスタッフに支えられることで存在し得る。彼/彼女は「みなさん」から感情をかき集めて、「みなさん」に返信する。
 この言うなれば特権的な立場の人を扱い、さらにキャラゲーというモブ⇔主役 を峻別する 形式で作られた作品群。それがアイドルマスターだ。

 そんなアイドル・キャラゲーでありつつも、シャニマスを読んで私が感じるのは、他者への想像力を重視する姿勢と、尊重すべき「他者」の枠をどこまでも広げようとする博愛心だ。

 アイドルという やりかた と馴染みずらいように思えるこれらの思想が、作品の節々から感じられるのはなぜか。
 一つにはアイドルの描かれ方だろう。シャニマスは「こんな人が現実を生きたとしたら、何を感じて生きていくだろうか?」という問いから出発している(と、思う)。シャニマスのキャラクターは「リアルだ」と評されることが多いが、設定を羅列してみると、各人コテコテに属性が盛られている。彼らは設定がリアルなのではなく、描かれ方、考え方がリアルなのだ。

 どんな方向性であれ、劇的な人間を目にすると、我々はその人の内側で心が動いていることを忘れてしまう。そんな 切ない劇的人間の一例として、自らの眩い輝きに飲まれて一個の人間であることを見過ごされがちなアイドルという存在が描写される。彼らの人生も、本来は物語ではないのだ。

 もう一つには、キャラゲーにあるまじき「名もなき人」の重用であろう。これまでも天井社長の過去を話のメインに据えたり、プロデューサーが強い個性を持っていたりと、このゲームは「アイドル以外の人にも目線を」という作風だった。
 シナリオイベントには必ずと言っていいほど特徴的なモブが登場し、アイドルとは違う原理で動く人々を肯定でも否定でもなく、そこにいる人 として描いてきた。

真乃会話 ぽっぽるぅ~

真乃 Morning⑭
プロデューサー 個性が強いね


 アイドルでもモブでも、彼らを描くうえで通底しているのは、真の意味では理解し合うことのできない他者への「こういう人もいるんだよな」という暖かな眼差しだ。
 そんな隣にいる人・見ず知らずの人を思う眼差し は直接には伝わらずとも巡り巡って世界をよい方へ動かしてくれる。作品内で形を変え幾度も表現されてきたこの祈りが、「YOUR/MY love letter」ではこれまでになくハッキリと、その表現形式にまで影響を及ぼしながら描かれていた。 
  
 
 先ほども述べた、他者への想像力を重視する姿勢と、尊重する「他者」の枠をどこまでも広げようとする博愛心。登場人物であるアルストロメリアの3人も この姿勢で人々と接しようとするが、彼女たちはアイドルであるが故に、そして彼女たちも有限の時間を生きる一介の人間であるが故に、この姿勢にも限界が来る。

4.off stage
ファンもスタッフも無数にいる中で、一人の人間には限界がある。


 そこで、アイドルを「沢山の感情の終着点」ではなく、「支え合いの架け橋」として捉え直す。一対多でコミュニケーションを図る意味を再定義し、シャニマスの思想 と アイドルという存在 を繫げてくれるストーリーだと感じた。

…ごちゃごちゃ書きましたが要するに最高。アルスト最高だよぉ~。(高校教師並感)

 「言葉で伝えようとしても、簡単には伝わらない。けれど、諦めず何度も伝えよう、伝え続けよう。きっと想いは通じる」という着地も、シャニマスらしさを感じてホクホク致しました。

 これまでのコミュとのつながりを感じる描写が多いおかげで、アルストロメリアの登場シーンが少なくても寂しい感じはしませんでしたし、
ぴ・ぴ・ぴ・ぴーん はやたら可愛いし待望のアルストラジオをがっつり聞かせてもらえるしで、ただのアルストロメリア定期接種と考えても大満足の出来でした。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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