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My journey : 5Rhythms Heat beat, Body to Heart with Shanti Park at Kobe, Japan

初めて一人で乗った新幹線で、Aviciiをひたすらrepeatした。26歳で突然亡くなった彼の。死後、彼の曲を知った私が。

まる2日と半日、ひたすらに踊りまくった。遠泳した後みたいな、爽快感と体の疲れ。

涙のあと。

* * *

最近、文章が書けなくなっていた。

わかってほしい焦りと期待が薄くなってきたことが一つ。そしてもっと大きな理由は、体の中で巡ったり蒸発したり膨張したり振動したりしている「これ、この感じ」を、私では言葉にできなかったからだ。言葉にすると本当のものからどんどんかけ離れていき、ただの説明になってしまう。いっそ擬音が一番マシかもしれないと思う。でも、今はどんな形でも外に出したいので、書こうと思う。

今回のワークショップでは感情を扱うと聞き、複雑な気持ちだった。

行きたいなぁ、楽しいだろうなぁ。(踊るのは本当に楽しくて大好き)みんなきっと来るし…。

でも…大丈夫か?というのも同時にあった。もし、なにも感じなかったら?

* * *

感情…というより体感の方がまだしっくりくるのだけど、それを「取り戻した」のは今年の春先のことだった…ので、未だ毎日が特訓なのだ。生まれたてのヒヨコが頑張って飛ぶ練習をしまくってる感じ。(そして飛ぶ前にどてっと転んでる感じ)

私にとって感情とは「体で感じる痛み」だった。

悲しいとか辛いとか嬉しいとか楽しいとか、言葉で表現できる感情が本当に本当は、あまりしっくりこない。感情というものを、私が表現するとしたら、血管にトゲが流れてる感じとか、卵巣がじんじん痛いとか、腎臓に釘が打ち込まれてるみたいとか、そういう表現になる。

小さかった頃は、今より語彙も少なく表現も拙くて伝わらなくて、伝えることを徐々にやめていった。そうして、わかってもらえないんだ、と決めてしまったのだった。

ある事をきっかけに、もっと強く、やる気で感覚(体感)のスイッチを切り、ご丁寧にブレーカーも落とし、さらにスイッチはどこかに吹っ飛ばし、スイッチがあったこともなかったことにして、そのまま何年も経っていた。

これ以上感じてしまったら、壊れてしまう、と「考えた」。そんなに体に痛みがあったら、命の危険感じるっしょ。体で感じることは、生命としての死がいつも見えていた。

そしてこれまたとあるきっかけで、今年の春に強制的にブレーカーが上がった。わかってもらえないんだ、という積年の拗ねを認め、手をつけ始めると決めた時、吹き飛ばしたスイッチが静かに手元に戻ってきた。

気圧の変化に弱くなり、食べた物の影響がすぐ肌に出るようになった。偏頭痛も頻繁におこる。正直不便だ。

……そんな中での今回である。

結局、行きたいのですぐに参加の申し込みをしたけれど、新幹線はどうやって乗っていいかわからないし(道民にとって新幹線は未知の乗り物です)、本州の、大阪より西にいくのは初めてだし、……等々、当日新幹線に乗って快適さに感動しするまでグダグダした。動き始めれば、「旅人モード☆survivor on!」になったけど。新幹線早すぎる…。グリーン車なんてもう…玉座かよ。

* * *

二日と少し、よく踊った、とにかくたくさん踊った。

恐れ、怒り、悲しみ、喜びと思いやり。

TeacherのShantiは、説明が的確で、言葉で必要最低限のエッセンスをばしっと伝えてくれ、あとは人間の体を信頼し、よくよく見守ってくれているのがジンジン伝わる人だった。いっぺんに好きになった。(懐いた、の方が近い。私にとっては貴重な感覚)私たちが深刻になりはじめたり、考えはじめたりするのをすぐに感じとり、彼女のチャーミングさと、ユーモアでふわっと場をほぐしてくれた。そこは鋭い野生だった。

彼女のルーツがAsiaで、英語が母語でないこともとてもよかった。私は英語を第二言語として使っている人の英語が好きなのだ。わかりやすいし、双方向。お互いが母語ではないから、お互いがお互いをわかろうとする、無意識の思いやりを肌で感じる。

ものすごく踊りながら、現れる自分の体の動きを「目の当たりにした」(これは目で見るというよりも、自分が動いているので、もっと広義の意味)とき、自分に感情がないなど笑えるほど盛大な勘違いだった。めっちゃ傲慢でした。…ごめん!と心の底から、足の先から頭のてっぺんまで思った。

そこに「ある」んだもん。認めるしかないっしょや。

Shantiのガイドに合わせて体が動くとき、その動きは紛れもなく、自分がやっているのだから、それを、ないことになんてできない。あんなにめっちゃくちゃ、もんのすごい、動いてるのに。私が。言葉という形で、表現してこなかっただけ。外へ出してこなかっただけ。

非常にシンプルだった。

* * *

今回のjourneyで、重い恐れ、強い怒り、とてつもない悲しみを「目の当たりに」した。

特にChaosを踊っていたとき、無かったことにされてきた方の私の、自分への怒りと諦めと責める気持ちがフッと出てきて、自分へ謝ったり、自分を責めたり、まさにChaosだった。「死」に触れた時の恐怖も少しだけ見た。首をくくる紐のイメージが、チラチラ浮かんだ。本当はとっても悔しかった。

自分を守るのではなく、外に合わせるために自分を絞め殺した自分が。守ることを選び、強さを身につけたかった。それができなった弱い私に、守られなかった私が拗ねている。そしてものすごく傷ついている。(あと、意識して上半身を動かしたので、意識しなくても上半身がよく動くようになったと思う。)

心が揺れているとかより、むしろ体の中と体のちょっと外側に見えるものの方が凄かった。

シンボルにするとしたら、たくさんの「^」が密集したり拡散したりうねったりしながら、渡り鳥のようにいろんな色で動いているのだった。(シンボルは宇宙マッサージのプリミさんの影響があるかもしれない)

たまに「^」が体から出ていったりもして、それがその人のオーラ(と呼ぶのか自信はないけど)として体の周りにぼんやり見えていた。外に出ると、色は白にしか見えなかったけど。だから、Shantiがはじめの方で、いま感じているものを描こうといったとき、紙を斜めにして、左下から右上に拡散していく「^」をひたすら描いた。黄色、赤、ゴールドで。

* * *

まず楽しかったし、ダイナミックな動きを感じていたけど、ものすごく泣くとかそういうことはないなぁ、と思っていた。

…ら、最後、終わってShantiと話している時に突然ガンガン泣き始めた自分にものすごく驚いた。しかもただ泣くっていうより嗚咽レベルだったのでもっとびっくりした…。それくらい、動いて動いて、ようやく外に出られたものがあったんだろう。

帰宅中も帰ってからも、自分が「開いている」のがよくわかる。自分の中の「^」がよくわかるし、危険を感じる本能が息を吹き返してる。家に帰りたくなくって、学校に行きたくなかった時のことをひしひし思い出す。

そう、私は本当は、小さい時はすごく本能的だった。「死なないこと」が最優先で、母の視線もそこから生まれる体の痛みも、幼い私にとっては、大げさではなく「死」に近づく危険だったから、なんとしてでも避けなければならなかった。命を守るために。

私は動物だけどやたら脳というやつがいびつなほど大きくなってしまった人間という種で生きてしまっているから、本能と、社会性とを、良い塩梅でブレンドして、生きていかなくちゃなんだと思う。

なぜなのかもう理由を考えるのは疲れたからやめた。私は社会性の方がニガテ。だからPracticeする。そのために5Rhythmsを選んだ。

そういうことだわ。

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