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トイレで隣のお爺さんが、両ポケットに手を突っ込んで小便をしていた。

それを見て僕は「なんか格好いいな」と思った。

排泄中というのは極めて無防備な状態だ。

敵に襲われたら成す術もない。

そんな状態にあって更に、両ポケット手突っ込みという無防備を追加している。

この余裕はどこから来るのだろう。

よほどの達人でないと説明がつかない。

そう考えると、恰幅のよい腹も、気だるそうな雰囲気も、全てが意味のある様に感じるから不思議だ。


そもそも、「両ポケットに手を突っ込みながら小便をする」というのは、とてつもなくクリエイティブな行為だ。

少なくとも、僕が四半世紀生きてきた中で、見たことも聞いたこともない。ありそうでなかった絶妙なラインをついている。

スティーブ・ジョブスは生前、「創造性とはいろいろものをつなぐ力だ」と語ったという。

クリエイティブは一見、無から有を作り出す、特別な天才にのみ限られた資質と考えられるが、実際はそうではない。

既知のもの、過去のものを繋ぎ合わせる(新結合させる)ことで、現在の常識を打ち破り、新たな価値を生む事ができるというのだ。

この名も無きお爺さんは、まさにそれを実践していると言える。

そうして僕の心に、確実に何か変化を与えたのだ。


ここで一つの疑問が浮かんだ、

「大便の場合も、両ポケットに手を突っ込むのだろうか」

もちろん、こんなこと考えるだけ無駄だ。

憶測や思い込みによって、どれだけの人が傷付いてきたのか、僕達は学ばなければならない。

しかし、僕は夢想せずにはいられなかった。

「大便時に両ポケットに手を突っ込むなど無謀」

「そもそも和式か洋式かで、話は全く異次元なものになる」

「ヤンキー座りが”うんこ座り”と形容されることがあるが、それとの相関は?」

「妥協点として腕組みという手段も考えられるが、彼がそんな半端な事をするか」

・・・これ以上は野暮だ。

両ポケット手突っ込み小便という神聖を冒涜することになる。


お爺さんをもっと知りたいという欲求を抑え、
僕はここで筆を置いた。

あれからお爺さんが両ポケット手突っ込み小便を続けているかは分からない。もしかしたら、ただの気まぐれだったのかもしれない。

そんな僕の思いを余所に、今日も地球は回るのだろう。

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