心の回転を止めて安らぎを得る ~ブッダの実践心理学 第4巻~
1.ブッダの実践心理学第4巻とは
ブッダの教えをダイレクトに伝えるテーラワーダ仏教の僧侶、スマナサーラ長老が、アビダンマという仏教のテキストを判りやすく解説した書籍。
第4巻は、心の種類と認識が生じるプロセスを詳しく解説してある。普段使わない用語がたくさん出てきてさらっと読めるものではないが、心とはどのようなものか、認識がどのように生じるのか、科学では説明されないであろうメカニズムがこれでもかと詳細に解説されており、がんばって読んで良かったと思えた。
2.読んで良かったこと
なぜこの本を読んで良かったのか。苦しみの原因を知って、それを抑える方法が判ったから。
苦しみの原因はまさに心の回転であって、それを抑えるには、ヴィパッサナー瞑想で心を観察すること。
心の回転を抑えて、安定させることが真の喜びであり幸福である。それが改めて判ったから。
3.心とは、心が回転するとは
仏教では、心は認識する働き、と定義されている。そして、認識するものは生きている。確かに、机や椅子など、ものは何かを認識することができない。
心はそもそもずっと同じものが続いているのでは無く、瞬間、瞬間生まれては消える、消滅を繰り返している。一つの心が生まれ、消滅し、すぐに次の心が生まれる。
なぜ次々と心が生まれるのか。心が生まれるのは、渇愛というエネルギーがあるから。生きている限り、渇愛によって心が生じる。
心が回転するとは、心が消滅を繰り返すということ。
4.心が回転するプロセス
心が回転するプロセスには、大きく2つがある。一つは、外界からの刺激によって回転するプロセス。もう一つは、心だけで回転するプロセス。
(1)外界の刺激によって心が回転するプロセス
人間が外からの刺激を受ける入り口として、5つの門がある。眼、耳、鼻、舌、身である。そして刺激は、色、声、香、味、触の5つ。外界からの刺激はそれがすべて。
例えば、色が眼に触れると、次の順番で次々と心が生じる。
① 有分心:これは刺激を受ける前の心
② 有分動揺心:刺激によって少し動揺した心
③ 有分遮断心:刺激によって目覚めた心
④ 五門引転心:門に引き寄せられる心(この場合は眼)
⑤ 眼識心:刺激に気づく心
⑥ 領受心:刺激を受け取る心
⑦ 推度心:受け取った刺激が良いか、悪いか、好きか嫌いか、分ける心
⑧ 確定心:刺激を確定する心
⑨ 速行心:確定した刺激に対して走る心、感情、妄想
⑩ 彼所縁心:刺激は終わっているが余韻が残っている心
⑪ 有分心:最初の状態に戻る
このようなプロセスで、次々と心が生じて消える。
このプロセスの中で、感情、妄想が生まれるのは⑨の速行心。
例えば花を見て「きれいだ」という感情が生じるのは速行心。花は単なる色として眼に触れるだけ。きれいだという感情は速行心が勝手に作っている。速行心は、確定された刺激に対して勝手に走る。これが妄想になる。
(2)心だけで回転するプロセス
仏教では、五門以外にもう一つ門があるとされる。意門である。意門での認識のプロセスは以下の通り。
① 有分心
② 有分動揺心
③ 意門引転心
④ 速行心
⑤ 彼所縁心
⑥ 有分心
このプロセスは、外界からの刺激によって心が回転するプロセスに比べて、速い。あっという間に速行心、感情、妄想が生じてしまう。
意門での認識、意識は、外界からの刺激のように、自然法則によって制約を受けることがない。だから本当に勝手に、好き勝手に回転することができる。
また、五門を通じて認識される外界の刺激は、今、現在の瞬間のものに限られるが、意門から生じる意識は、過去のこと、将来のことも認識する。そして、実際にはないものでも認識する。
だから意識には、よくよく気をつけなければいけない。
5.心の回転による苦しみ
私たちは外界からの刺激を元に、勝手に妄想して苦しむ。
例えば、誰かに無視された。その人は、たまたま自分に気づかなかっただけかもしれない。でも、ひどく怒ってしまう。あの人は自分を無視した、許せない、今度会ったら罰を与えなければ、などと妄想してしまう。
全く根拠の無いことを勝手に妄想する。心の回転がそうさせる。
外からの刺激がなく、勝手に心が回転する場合は、もっとやっかいなことになる。例えば、一週間前にプレゼンでうまく説明できなかった。みんなは自分のことを無能だと思っただろう。次の昇格は期待できない。どうしてもっと準備しなかったんだろう。何度も何度も思い出す。もう終わったことなのに、何度も何度もいやな気持ちになる。プレゼンで失敗することなんて誰にでもあるし、おそらくみんなはもう忘れているだろう。
6.心の回転を安定させる
心の回転を安定させることができれば、妄想、苦しみから解放される。そのためには、ヴィパッサナー瞑想で自分の心の状態をありのままに観察する。やはりそこに行き着く。
第4巻に書かれている心と認識の詳細な説明が、本当かどうか私には判らない。これが本当だと認識できるためには、瞑想を極めて禅定に達し、実際に心の回転を止める滅尽定に至ることが必要だろう。それを実現するには、出家して修行生活を送ることが必要だろうが、それでもそこまで到達できる保証はない。
ともあれ、この本に書かれてある、詳細な心の分類と認識のプロセス、これをヴィパッサナー瞑想で自分の心を観察するときに、ガイドとして活用する。それで、観察の精度を上げることができれば、それで良いのだと思う。
明日も瞑想しよう。