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「由来」が与える影響

もうそろそろ4月になる。

大学・社会人チームともに新歓活動が活発になる時期である。

各チーム魅力を伝える為に、いろんな発信をしているが、新歓は自分のチームを知る良い機会でもある。

世の中にはいろんなラクロスチームがあり、名前がある。

そこにはさまざまな由来があったりするが、いろんな思いや気持ちが込められており、現代でも重要な役割を成していたりする。

今回はそんな「由来」に関してのお話です。


「RATELS」


関東クラブ男子チャンピオンズリーグに2020年新たなチームが発足した。

その名は「RATELS」



以上の投稿からの一部抜粋だが、
ラーテルという動物からチーム名は由来している。

ラーテルはイタチ科に属する哺乳類であるが、アメリカの科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』が2009年に発表したところによると、「世界でもっとも恐ろしい陸生動物」と言われたり、ギネスブックで「世界一恐れを知らない動物」として認定されてる生物である。

不器用だけど勇敢なラーテルのように、
新しいことにチャレンジし、格上の相手に喰らいつく。



RATELSは、他にもチームビジョンやフィロソフィーなどを複数掲げていて、RATELSというチームをより強く、長く、意味有るものにしたいという思いで発足させたのがとても伝わってくるし、ここまで明確に提示出来るチームは多くはないのですごいチームだと思う。

実際、試合終了時の撤収作業を試合後にも関わらず率先して手伝ってくれたり、チームビジョンやフィロソフィーに基づいた行動を各々出来る人が集まっているような印象だった。

このように由来やチームビジョンが明確なチームは自然と似たような人達が集まってくるイメージがある。


「HUSKIES」

私の母校である明治大学男子ラクロス部には通称名がある。


「HUSKIES」


シベリアンハスキーのハスキーである。

先日、現役生と創設時のOBの方々との対談が公開されていた。



私も初めて知ったが「HUSKIES」というチーム名は創設時には無く、後々付けられたそうだ。


由来について記事では言及されていないが、私は2年生の頃、新歓チームに関わっていて、当時の新歓リーダーから「HUSKIES」の由来を聞いたことがある。

ちなみに、対談の途中で出てくるHUSKIESを付けたと言われる2期のOBの方からOB総会の後に聞いたそうなので恐らく本当なんじゃないかと思う。


「ハスキー犬は、南極の厳しい大地をがむしゃらに前に向かって走る。
それも、一匹ではなく十数匹の犬が力を合わせて前に走るから、ソリが引ける。
明治大学男子ラクロス部も、時代によって戦術は変わるかもしれないが、根底の魂のところは忘れずに、みんなでがむしゃらに前に向かう姿を忘れないように」

一言一句はあっていないが、このような由来だそうだ。


この由来をどれくらいの人が知っているかわからないけど、何となくこの“時代によって変わるものもあるが根底はがむしゃら”というところがハスキーズっぽい。
個人的に好きである。

私が知ってる先輩も同期も後輩も、そんな感じがしている。

由来やそこに込められた思いが、チームや組織を形取り、脈々と現在まで引き継がれていることもある。


以上のように、「由来」というのは作った人の思いが込められたものであり、組織を構成する核になり、作った人達から現代の人達へ影響を与えるものである。また、今後所属する人の意識を形付けるものでもある。

なので、チーム名だけでなく、ロゴやチーム理念などチームを象徴するものを作る時は時間をかけて、たとえ後付でもそれが何故出来たか、どんな価値があるのか、考えるべきだと思う。

そこに今後来る人達へバトンを渡すために、必要なものだと思っている。
所属する人達が、所属する意味や方向性を感じることでより強い組織や個を作ることが出来るように。




「自分の名前」

「由来」はチームや組織だけではなく、もちろん人にもあり、名付けた人がその人を大切に思う気持ちが込められている。

余談だが、そんな由来が私の名前にもあるのだ。

ここからは私の話である。

ラクロスの話で終わりたい人はここで記事を閉じてもらって構わない。




「オオサワ カイ」という名前は漢字にすると「大澤 開」と書く。

ちなみにこの「カイ」という名前、ラクロス的には漢字表記にするとあの開塾の開歩さんと被るし、ローマ字にすると岩本海介さんに被るというどちらとも畏れ多いことになるので、いろんなアカウントはカタカナ表記にしている。

さておき「開」という名前。

自分で言うのはなんだがめちゃくちゃ好きである。
覚えてもらいやすい名前だし、かといって俗に云うキラキラネームでもない。
何より親と祖父の考えた由来のおかげでもある。


私の母は「キミコ」、父「キヨシ」、兄は「コユル」という。
私が「カイ」なので全員か行から名前が始まる。
つまり、私含めて家族全員が「イニシャル同じ」である。

また、兄の「コユル」は「超」と書き、漢字1文字で12画である。
私の「開」漢字1文字で12画である。
父の「キヨシ」は「清」と書き、画数は違うが僕ら兄弟と同じく漢字1文字だ。
「超越」の「超」だったり、「開拓」の「開」だったり、どちらも前向きなイメージのある漢字である。

か行から始まる読み・漢字1文字・12画・前向きなイメージ

兄弟揃って作り込まれた名前だ。

これ以上に無い、価値ある名前だと思っている。


母は今でも元気だが、由来を考えた父と祖父はもういない。

父は私が4歳の頃、急死し、祖父は14歳の頃に私だけでなく兄の成人も見ないまま亡くなった。

祖父とはたくさんの思い出があるが、父の記憶は数えるほども無い。

しかし、この名前の由来が兄や私が父から大切に思われていた証だと思っている。

今年の3月で父が亡くなってちょうど27年経つ。
この歳になってもこの由来が父からのメッセージであり、繋がりを感じさせてくれている。


なかなか由来というものは知られていなかったり、忘れられてしまうものである。
しかし、そこには様々な人の思いが込められていて、そこに思いを馳せることは価値のあることだと思う。

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