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最後の電話

小学校低学年の頃、学校帰りは祖母の家に帰るのが常だった。

ある時、両親がここを建て替えて二世帯住宅にしようと言い出し、休日になると住宅展示場に出かけて様々なタイプの家を検討した。祖母は一緒に出かける元気がある時もあれば、疲れたと家に居ることもあった。

その日は、家の片付けするわと祖母はお留守番。そこで、私は「いたずら」をした。住宅展示場慣れした私は、こっそり展示場の電話を借り祖母に電話をした。「なんかね、いま見てるのは茶色の多い家だよ。」とコソコソ話。「楽しみね」「うん、もうすぐ帰るよまたね」。

話が飛ぶが、最近NPO法人PIECESの行なっているCitizenship for Children✳︎のプログラムを受講している。(✳︎ 子どもたちの生きる地域に、「優しい間(ま)」を広げることを目的とした市民性を醸成するプログラム)そのプログラムの中で、小澤いぶき先生が「子供の心や認知」についてお話しくださった。例えば、子供は自分と世界の出来事との切り分けが難しい。その時にフラッシュバックのように祖母の顔が浮かんだ。

おばあちゃんが亡くなったのは私のせいじゃなかったんだ。

住宅展示場からの電話をしたあの日の夜、帰宅すると祖母が意識不明となり倒れていた。救急車で運ばれ、脳梗塞の診断でその日のうちに亡くなった。

私が電話を勝手に使って悪いことをしたから、すぐ帰るよと言って私がロイヤルホストに寄りたいと言ったから、だからおばあちゃん死んじゃったんだ。

長い間、自分のせいだと思っていたことを思い出した。規則を破ることへの恐怖心の強さ、ロイヤルホストには行かないという自分の中での決まり、ずっと心の片隅にあったことが、子供ならではの思考だったのだと腑に落ちた。

子供たちのはまりうる穴は、あちこちにあるし、親も子供自身も見抜くのが難しい。

子供たちを守るにはどうしたら良いのか、正直まだわからない。月並みな締めになってしまうが、だからこそこれからしっかりと学んでいきたい。

内科医。過去の自分、今の自分。言葉にしておかないといけないことがあるような気がしてきています。