蟹江敬三、牛になる/『ウルトラマンA』覚え書き(16)

夏の怪奇シリーズ第2弾。今回の脚本を担当した石堂淑朗は、1960年代前半、大島渚監督と組んで『日本の夜と霧』(1960年)、『天草四郎時貞』(63年)などの問題作を書いた。大島が監督した、小松川事件をモデルに、在日朝鮮人死刑囚をめぐる日本におけるマイノリティ問題を、死刑執行室という狭い舞台で展開するグロテスクな喜劇として描いた『絞死刑』(68年)では教戒師の役で出演している。

その後、無頼派肌で「酒と女と歌には極めてだらしない」石堂は、「関西風合理主義」者で「絶対外泊しない」大島と肌があわず、袂を分かつ。その後、主にテレビ界に活路を見出し、朝の連続テレビ小説『火の国に』(1976年)の脚本を担当したりする等活躍したが、晩年はむしろ保守派の論客として、いわゆる論壇誌上で進歩派や左翼を滅多斬りしていた。

ぼくは一度だけ、石堂さんと接した事がある(個人的な思い出なので、この段落は敬称で呼ばせていただく)。出版社の新米編集者だった頃、石堂さんが書いたエッセイを担当させられた。すでに原稿は出来ていたから、印刷所に入稿したり、校正刷り(ゲラ)を郵送して著者チェックをしてもらっただけだったが、最終段階になって、校正者から疑問が出た。回ってきた校正刷りを見ると、文中に使われている四文字熟語が、誤用ではないかと鉛筆で書き込まれていた。そして、本来の使い方はこうではないかと具体例も挙げられ「岩波国語事典によると」と書き添えられていた。時間もないので、電話で確認する事にした。顔も合わせてない著者だ。緊張しながら要旨を伝えたが、その際「校正者から、岩波の辞書によると、こうだと指摘されまして……」と言ってしまった。途端に電話の向こうで石堂さんが激怒した。「なんで、岩波の辞書なんぞに従わねばならんのかね!」

当時、岩波書店といえば、朝日新聞と並んで、進歩派や左翼の牙城扱いされていた。国語辞書にイデオロギーが関係してるわけはないのだが、地雷を踏んでしまった事に変わりはない。うまく上司が取りなしてくれたので騒ぎは拡がらずにすみ、その後、ご縁はなかったけれど、保守派論客の原稿を扱う際は、岩波の名前は出すまいと、一つ学んだ次第である。

閑話休題。そういうわけで、石堂淑朗脚本の回となると、どうしてもあの時に受けた、頑なな保守論客としてのイメージと照らし合わせて見てしまう。子供向け特撮を見る上で、ある意味では「邪道」なんだけれど、そういう経験があるのだから仕方がない。

『ウルトラマンA』第16話/怪談・牛神男

脚本=石堂淑朗/監督=山際永三

前回は岡山県の鷲生山とのタイアップだったが、今回は同県の牛窓町が舞台。TACのなかでも影が薄かった吉村隊員(佐野光洋)の出身地だった。お盆休み、竜隊長(瑳川哲朗)は父親の墓参りをしてこい、と、母親が独り暮らす実家に送り出す。

ちょうど開通したばかりの山陽新幹線に乗って、岡山に向かう吉村隊員(前回に引き続き岡山県とのタイアップとなったのは、当時はまだ岡山が終点だった山陽新幹線開通と関連があるのだろう)。駅弁を食べていると、隣の席にずかずか座り込んだのは、長髪にバンダナを巻いて髭をはやし、派手な花柄アロハに白いラッパズボンと、いかにもヒッピー姿の蟹江敬三だった。

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