関東大震災後の朝鮮人虐殺を描いた、唯一の邦画

https://www.youtube.com/watch?v=xfCcdki-1Ck&t=421s

1960年の新東宝映画『大虐殺』が動画サイトにアップされた。

この作品は、1923年の関東大震災の後、憲兵隊に暗殺されたアナーキストの巨頭・大杉栄の弟子たちが、その復讐のため、爆弾を入手してテロをはかった、いわゆるギロチン社事件を題材にしている。
ギロチン社については、最近、『菊とギロチン』という映画で描かれたので、ご存知の方もいるかもしれない。

私は、関東大震災直後に検挙され、大逆罪で死刑判決を受けた金子文子について調べている際、ギロチン社の存在を知った。金子文子の夫・朝鮮人の朴烈は、朝鮮の抗日組織・義烈団から爆弾を手に入れようとして果たせなかったが、ギロチン社の連中は京城に赴いて爆弾入手に成功した。だが、爆弾投擲の訓練をしているのがばれて捕まった。主犯格の古田大次郎は、資金集めのため銀行員から現金を強奪した際、誤って相手を刺殺して手配中の身だったので、その罪科で死刑となった。

この映画は、その古田大次郎をモデルとする若きアナーキストが主人公で、ごぞんじ天知茂が演じている。天知茂といえば、私の世代だと、真犯人の前で変装をとき、カツラを取って顔をおおった皮膚を剥いだ後、ぼろ着を脱ぎ捨てるとまっさらなスーツ姿に変身する『明智小五郎』シリーズが印象深い。眉間に皺を寄せて刑事ものや時代劇のヒーローを演じてる姿を覚えてらっしゃる方も多いだろう。

若き日の天知さんは、テロリストや、逆にテロリストを拷問する憲兵など、偏執狂的な役柄が多かった。
この作品では、権力悪への憎しみにテロに走りながら、無辜の犠牲を生んでしまった罪悪に苦悩するラスコーリニコフ的青年を、みごとに演じている。

ちなみに、モデルとなった古田大次郎は、獄中手記を二冊残しているが、それを読んだ時、私は好感を抱けなかった。
革命運動に身を投じたものの、運動では収入が得られないので、金持ちや企業を恐喝して寄付金を得るも、すぐ生活費に消えてしまう。次第に、革命運動をやっているのか、恐喝をやっているのか分からなくなり、心がすさんでくる。そんな堂々巡りを断ち切るため、一攫千金を狙って強盗を働いた結果、罪もない人を殺してしまったのだ。
ところが古田は、獄中手記で、銀行員を死なせてしまった事をちっとも悔いておらず、それどころか「革命の邪魔者は殺していい」、とさえ言い切っている。
映画の作り手たちは、脚本づくりのためその手記を読み、私と同じ嫌悪感を抱いたに違いない。主人公が殺した銀行員の娘が、生活苦から水商売に身を落とし、それを知った主人公が苦悩するフィクションを付け加えている。

この映画の最大の見所は、なんといっても、関東大震災直後の朝鮮人虐殺を映像化している点だ。そんな映画は日本ではこれ一本だろうし、今後現れるとは思えない(大河ドラマ『いだてん』で、それと匂わせる場面があったけれど)。
映画はいきなり、関東大震災のシーンから始まり(CGのない当時、貧乏会社の低予算映画にしては、なかなかのスペクタクルだ)、流言飛語が飛び交い、自警団が結成され、朝鮮人が虐殺され、混乱に乗じた憲兵隊が社会主義者や朝鮮人弾圧に乗り出し……という具合に、保守派が観たら眼をむいて怒りそうな場面が立て続けに描かれる。

しかし、これは左翼映画ではない。新東宝という映画会社は、大蔵貢という無声映画時代の弁士あがりのワンマン社長の下(スター女優を愛人にして「午後三時までに彼女の出番を終えろ」と撮影現場に電話してくるような男だった)、憲兵が半裸の左翼女性を拷問したり、美人海女さんが活躍したり、エログロ路線を突っ走っていた。その一方で大蔵社長は尊皇精神が篤く、明治天皇を初めてフィルムに登場させ、英明な君主の下大国ロシアの横暴に国民が一丸となって戦った一大国民的叙事詩『明治天皇と日露大戦争』をヒットさせた。これは別に驚くべきことではない。天皇制を支える家父長精神は、エロやグロを好む男性性と矛盾しない。


監督の小森白は、『明治大帝と乃木将軍』『皇室と戦争とわが民族』と、明治天皇や昭和天皇(!)を大絶讃する映画を監督している一方で、東京裁判やひめゆり部隊など、左翼が喜びそうな題材の映画も監督している。むしろ、そちらの方が体質にあっていたらしい。新東宝倒産後はピンク映画の製作にのりだし、山本晋也監督の師匠筋にあたる。

この小森監督の作品に、『女の防波堤』(1958年)というのがある。太平洋戦争に敗北し、玉音放送の翌日に成立した東久邇宮内閣は、元総理大臣で藤原摂関家の末裔という天皇につぐエリート政治家・近衛文麿の発案で、戦後最初に出した政令は、やってくる米軍向けの『慰安所』開設だった。いわゆる“特殊慰安施設協会”(RAA)だ。

空襲で家族を失った上、身を寄せた先でレイプされたヒロイン(小畠絹子)が、生きるために米軍向け慰安所に就職する。米兵の多くはろくでもない連中だったが、なかには純情な青年もいて恋仲になるが、彼は朝鮮戦争で戦死する。やっと苦海から抜け出して結婚するも、初夜にvirginじゃないのか!と夫になじられ家出……と、男たちの戦争で犠牲になった女たちの苦難を描いた作品だ(『大虐殺』で、革命のためのテロに巻き込まれた銀行員の娘が、水商売に身を落とす羽目になるというフィクションを付け加えたのは、こういう映画を撮った経験があったからかもしれない)。

当時の右翼には、過去の日本がおかした過ちを、きちんと見つめる心持ちの深さがあったという事なのか、あるいは、当時の新東宝は経営が傾いて(この映画の翌年に倒産)、そういうドタバタした時期だからこそ、社員が社長の眼を盗んで好き勝手できたのか、よく分からない。
ともあれ、今こそ一億必見の怪作だと思う。ぜひご覧ください。

【追記 2020.7.15】

この映画に携わった方の証言を、いくつか紹介します。

監督・小森白(きよし)「ホン(脚本)が面白かったんで、みんな(主役の俳優たち)それぞれツボにはまってやってたね。…この頃は撮影日数もドンドン削られていたりしたんで、ちょっとヤケクソ気味に(朝鮮人虐殺のような危険な場面を)やっちまえ、みたいなところがあったのかな。…あれ(虐殺シーン)は多摩川。原っぱ一杯を使ってね。この時、天知(茂)が川に飛び込むシーンがあって、上がって来たら川の底の岩で足を切って血だらけになっててね。みんな『いやぁ~大変だぁ!』なんて言ってたんだけど、天知は『大丈夫です』って言うから撮影続行してね。天知は気合が入ってたね。…これは僕にとっても思い出のあるシャシン(映画)ですね」


脚本・内田弘三「これは宮川一郎(クレジットでは笠根壮介)の企画になっていますが、元々は僕の企画なんです。朝鮮人の虐殺、アナーキスト大杉栄の虐殺など、当時としてはかなり過激な内容のものでしたが、意外とすんなり企画は通ったんじゃないかな。企画が通った段階で小森白(監督)がこれをやりたがってね。これは自分でも好きな作品で、自分の代表作の一つだと思っています。役者はみんないい芝居をしてくれたんだけれど、特に天知茂がいい演技をしてくれましたね。今じゃこんな企画はとうてい無理でしょうね」

企画・宮川一郎(笠根壮介名義)「これは僕が脚本を書こうと思って企画を出してたんです。いつかやろうと思って資料を集めて、かなりな厚みな企画書をね。でも、当時の新東宝でまさかこんなの出来るとは思わなかったのに、突然出来ることになったんです。僕はその当時、(新藤兼人の)近代映画協会に出向してたから、内田(弘三)くんに頼んじゃったわけです。今考えると凄い話ですよ。朝鮮人虐殺だの何だのってムチャクチャやってるんですから。今だったら絶対にこんな企画は通りませんよ。今だったら大変な抗議が来るだろうけど、当時はまだあまりそういうことも無かったんですね」

助監督・小池淳「小森(白)さんには…『大虐殺』など数本につきましたが、思い出と言うと撮影の前の日に遅くなるとよく小森さんの家に泊まって、徹夜で絵コンテ描くのをつき合わされたことですかね。絵コンテ描いたって、決してその通りに撮るわけじゃないんですけどね。…小森さんは…器用な人じゃない。でも牛のように鈍重だったが、簡単には妥協しない人でした。あの大蔵(貢社長)体制の中で、小森さんなんかはかなり粘った監督だったと思います」

岩佐作太郎役・川部修詩「天気が悪くて、ロケがほとんど出来なかったんです。でも軍隊がアカ(社会主義者)とチョン(朝鮮人)を河原で虐殺するシーンでは、雲がどんより曇ってていい感じになってたでしょう」

ダーティ工藤・編『新東宝1947-1961創造と冒険の15年間』(2019年、ワイズ出版)より












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