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刺す(20240619)

憂鬱な気分からの脱し方は、明るい音楽を聴いたり、映画を見て泣いたりして気分転換をするというのは、よく聞く話だが、自分にはどうもそういうポジティブな方向にもっていこうとするのは出来ないらしく、明るい画面の向こう側とこの次元に存在する自分とのギャップに目が行ってしまい、さらに傷を抉られる感覚がある。元気な歌は元気があるときに聞きたいし、精神的に余裕のある時に泣ける映画を見たい。鬱屈した気分に塩を塗るが如く、暗い曲を聴くのが意外にも合っている気がする。(解消していない!)早速余談。何を思ったのかよく分からないのだが、出かける前に包丁を持ち、自決を試みた。この日記を書いているのだから当たり前だが失敗している。怖気付いて包丁を床に落とした。人生キャンセル界隈だけれど、いざ自決するとなると怖気づいて出来ないので、たぶんそこそこ楽しくやっているところはあると思う。この家にいると、死にたくはないけど生きた心地がしない。まぁ、楽しめるコンテンツがあるだけいい。本題に戻る。大抵、憂鬱の素は過去の別離であることが多い。何度か話題に出している。そのことばかり書いていて、むさくるしい。自分でも思う。過去の出来事を思い起こしては(日常の些細な出来事で思い起こされるのであって、能動的に思い出しているわけでは無いということを、はっきりと明言しておきたい。)感傷に浸る、という行為を何度繰り返しているのかもうわからない。仕事中にも思い出してしまい、憂鬱な気分で作業を進めなくてはいけないのは精神的に疲れる。今日も、もういないかの人のことを思い出しながら、ptpのResurrection、Crystal LakeのSanctuary、DYSTOPIAを聞く。逆かもしれない。曲を聞いて、思い出してしまうという表現のほうが正しいのかも。こんな泥沼を掬ってきたような人間を受け入れてくれて必要としてくれた人はキミしかいなかった。治そうにもどうしようもなく、隠すのに必死だった自分をだ。できることは全てしてきて全力で向き合ってきた(主観的にも客観的にもそうだと言える。というのも一連を見ていた友人たちの評価がそうだったからだ)けれど、どうやら自分ではだめだったらしい。もう二度とまみえることはないだろうが、キミに死ぬまで寄りかかって死ぬ人生が良かったと思いながら最悪な気分になれるプレイリストを再生する。ああ、この前のライブよかったなあ。もみくちゃになって、最高の笑顔で、アーティストを見れるのは素晴らしいなあ。キミもこんな空気を知らない間に味わっているのだろうか。
やはり時間の流れというのは残酷で、パッと『キミ』の顔を思い出せなくなってきた気がすることに何故か漠然とした焦りを感じている。見れば一瞬で分かるだろうけれど。もう二度と会うことはないとはいえ、完全に分からなくなってしまう前に、少しでもいいから顔を見れればいいのにな、くらいに思っている。
最高の人生じゃないか。そんなことを考えながらプレイリストを再生していたら、太陽が昇っていた。5時半。最後くらいは明るい音楽を聴いて今日も生を這いずってもうひと頑張りしようじゃないか。PALEDUSK。
ではまた。


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