デジLIG卒業
初めまして。ご覧いただきありがとうございます。
webデザイナーになりたくて、デジLIGに入学、そして卒業し、
久々の転職活動に怯えているかほです。
デジLIG生活を終えたので一区切りということで色々と書きます。
■自己紹介
一言で言うと、女子大を卒業後、商社にて4年間営業職として働き、WebデザイナーになりたくてデジLIGに入学した26歳です。
でもせっかくなので自己分析も含めて過去を色々と書くので、私を知っていただければと思います。
-幼少時代
・4つ上の兄のことが大好きで、なんでも兄の真似っこを過ごしてきた幼少時代。ただずる賢いちびっ子だったのでいいところは真似、兄が怒られていることは絶対にしない、喧嘩したら泣けば勝ちだと思い混んでいた少女。
(なんとも最低な妹ですね。笑)
・幼稚園から塾に通ったり、受験をしたり、週5で習い事をしたり、とにかくいろんな経験をした。習い事は自分がやりたいと言って始めたものに関しては、自分でやりたいと言ったのだからやめないで続けなさい、という親の教育の元、ピアノは小学1年生から高校3年生まで、書道は小学2年生から大学4年生の師範を取るまで続けた。
おかげで小学生時代は、ピアノのコンクールに出たり、書き初め大会で4年連続金賞を取ったり、人生のピークぐらいにいろんな賞を取っていた。
(ちなみに運動神経だけは皆無。体育も一番嫌いな教科だった)
・性格はとにかく明るい、先生が好き、なんでもやりたがるが興味がないとすぐ飽きてしまう。小学一年生の担任の先生が大好きでその頃からしばらく将来の夢は小学校の先生だった。
-中・高校生時代
・中高一貫校へ入学。オーケストラ部へ入部。ピアノをやっていたので音楽には興味あったが楽器は未経験。目立ちたい、という理由でトランペットを志望するが経験者優先だったため落選。他の楽器を見学していた時にオーボエの音色に憧れ、当時の先輩にオーボエは管楽器の中の指揮をとる位置でソロも多い、と言うことを聞き、これも目立てるかも、と思いオーボエを志望。
・高校1年生ではパートリーダーを、高校2年生では部長にもなった。
中高時代は何かとリーダー的な位置を任されたり、志望することが多かった気がする。
部長になった時は、部員150人いる部活をまとめることが難しく初めて挫折を味わった。人に任せることも最初が苦手で、全部一人でやろうとして精神的にもキツく初めて部活を辞めたくなったこともあった。
だがその時の恩師に、一人で全部やるのは人を信頼していないのと同じ、と言われ徐々に仕事を周りに振り始めた。
人に仕事を任せることで客観的に部活を見れたり、自分自身に余裕ができたり、新しいことに挑戦できたりといいことしかなかった。
・勉強はというものあまり得意ではなかった。
数学などの答えのあるものは良かったが、歴史は意味がわからなかった。暗記だけであればテストの点数は取れるのだが、内容を理解しようとすると歴史上の出来事が想像以上過ぎでなんで、どうして、ばかりだった。
当時の日本史の先生に、お前は天然なのか馬鹿なのか、真面目なのか優しすぎるのかわからないけど歴史は向いていないと言われた。
-大学時代
・大学は女子大へ入学。心理学や社会学、広告学を学んだ。
学園祭の実行委員を3年間続け、ここでも副委員長をやった。
大学生ながらに予算どりや、大学の総務部や外部の会社との連絡、委員会の運営など様々な経験をした。
・アルバイトは品川にあるホテルのレストラン。
きっかけは兄がバイトしていてキラキラしていたのと、ホテルのバイトっていう響きがかっこよかったからという単純な理由。
小さい頃から簡単にはやめるな、という親の教育のおかげでこのアルバイトも4年間週3~5で続けた。
有名ホテルだったためマナーや言葉遣いは自然と身につき、どうしたらお客様が楽しい時間を過ごせるか、心地よく食事をしたいただけるか、
どのようにスタッフを配置し指示をすれば効率よく動けるか、など考えながら仕事をする癖をつけることができた。
・サークルはスノボサークル。これまたハマり今でも毎シーズン滑りに行く。
-社会人時代
・新卒でIT商社のいわゆる大手の会社に入社。営業として4年間働く。
(中小企業様向けに基幹ソフトや業種アプリケーション、OA機器、PC、電話機、什器などオフィスにあるありとあらゆるものを提案営業。既存顧客へのルート営業をしつつ、飛び込みや電話などで新規営業も経験)
・新人研修で周りの勢いに圧倒され、研修帰りは半泣きで毎日帰宅。改めて社会は積極性が大事だと実感し、次の日からでなるべく挙手して、人の前で営業のロープレの場数を踏むようにした。
・配属後半年間は新規開拓営業のみを行なった。最初は知らない人と話すのが楽しかったが、真夏に真っ黒になりながら歩いて営業をしていても、なかなか成果が出ず苦しい日々を過ごす。
その中でも同期よりもいい成績を取りたい一心で、先輩に同行していただき自分の飛び込み営業トークのフィードバックをもらったり、
とにかくお客様と関係力を構築するためにどんな小さな仕事も丁寧に、迅速に行なったりいろんな工夫をした。
その結果一年目の終わりには同期の中で一位の成績をとり、定年次の中でも優秀な成績を取ることができ表彰された。
・その後も順調に成績を取ることができていたが、四年目になったあたりでコロナの緊急事態宣言。オンラインツールを使用しながら営業するも、お客様があっての仕事、現場に出る必要が必ずあった。家にいる時間が増え、自分自身と向きある時間が多く仕事に対して考えることも増えた。
と同時に今後の働き方や将来についても考えるようになった。
-Webデザインを勉強しようと思ったきっかけ
当時は、とにかく欲しいものを売るモノ提案、課題解決のためのコト提案、DXやSDGs推進のためのコト提案など様々な営業をしていた。
ですがその中でいくらコト提案、価値提案とは言いつつ商品ありき、値段ありき、大人の事情ありき(自社のミッション達成のため)、で販売していることに違和感を覚えるようになった。もちろん会社だから、サラリーマンなんだからといえば元も子もないが、お客様のためになっているのか、と思うようになるとどんどん自分が苦しくなった。
だが、5年目を迎えるにあたり、このままこの会社で営業として違和感を持ちつつ働いていけるのか。中途半端な気持ちでは迷惑ではないか、入社時から価値提案をしよう、と決めているのに本当にできているのかと自問自答を繰り返すようになった。
転職も考え、いろいろな業種や、当時のお客様である経営者の方々や上司とも色々話を聞く中で、
・私は人と話すのが好き
・ゴールが見えることが好き
・何かを作り上げることが好き、
・誰かに喜んでもらえることが好き、
・繋がりは大事にしたい
・営業が嫌ではない、提案してお客様に喜んでもらいたい
・いろんな業種のお客様と関わって得た知識を無駄にはしたくない
などと行った自己分析を行なった。
そこからは、じゃあこれができる仕事は何かと模索する日々だった。
本屋に行っては興味がありそうな分野の本を読み漁り、
お客様の仕事内容を細かく聞き、興味のある業種を探した。
そこで出会ったのがWebデザインだった。
クリエイティブなことに挑戦したい、という興味が出てきた。
もちろん絵がすごく得意なわけでも、センスがあるわけでもなく、美大を卒業しているわけでもない。
だが、デザインはセンスだけではない、ということを知り、
これは私でもできるのでは!やってみたい!そのその一心だった。
やってみたいと思ってからは早かった。
その日のうちにスクールを探し、資料請求をして、説明会をうけ、
気づいたらデジLIGに入学をきめ、退職まで決めていた。
その勢いでApple StoreにいきMacを購入。
そして8月間勉強をし、卒業、今に至る。
■デジLIGでの8ヶ月間
デジタルハリウッドbyLIG、通称デジLIGに8ヶ月通った。
(デジLIGについては、以下のサイトに詳しいことは書いてあるので省略)
8ヶ月間はとにかくあっという間で、楽しくて、
でも周りと比較したり、自分はこの先デザイナーとして就職できるのと不安になったり、コーディングも楽しくなったり、とにかくあの時一歩を踏み出した自分に感謝したい。
まだ転職していないのでスタート時点にも立ててはいないが。
楽しいけどセンスなくない?
基礎の基礎からやったイラレとフォトショはとにかく全部が新鮮で楽しかった。
毎日新しいことを動画で学び、手を動かしてできると、簡単な図形を作るだけでもテンションが上がった。
楽しいだけではうまくいかないのも当たり前。
最初の課題のロゴ作成ではイメージしたものをうまく表現できず苦しみ、
バナーの課題では自信満々で提出したがコンセプトが全く違うと指摘ももらった。
この時点で私ってこれセンスあるのか?できるのか?と不安になった。
今思えば参考もなにも探さず、雰囲気だけで下書きもせずにすぐ手を動かしていたのだから当たり前だ。
勉強方法に模索
新しいことを学ぶのが久しぶりでとにかくやること全ては楽しく1ヶ月過ごしていたが、途中でふとこれってほんの一部で、全然インプットもアウトプットもできていないと気づく。
トレーナーさんやスタッフさんに相談しながらいろんなインプットやアウトプットを始める。
(勉強法に関しては次の記事で書くので省略)
色彩検定2級を受験
基礎知識をつけたいと思い、色彩検定を受験を決意。
感覚ではなく論理的にデザインするためには必要なのでは!?とふと重い、即申し込み。(思い込んだら行動が早いは相変わらず…)
合格したから転職が有利や、デザインができるわけではないが、
結果的に受験し、合格してよかったと思う。
色の知識を得られたのはもちろんだが、
今まではなんとなくこの色とこの色を組み合わせよう、や、
配色サイトを見ながらこんな感じ、と選んでいたのが、
少しながら根拠を持てるようになった。
デザイナー直伝!即戦力デザイン集中講座を受講
デジLIGに通い4ヶ月過ぎた頃、
ふとこのままで転職できるのか、ただ学んで終わっていないか、
もっと実践的なことをしたい、
なんか素人感がありすぎる、と思ってこの講座を受講。
講座を受けないで早く転職して、現場に出て、いろんな経験をした方がいいんじゃないか、とも考えた。
しかし納得していない状況、自信が全くない状況で卒業したくないと思い、少しでも成長できる幅があるならやってみたいと思い、この講座を受講。
結果的に受講してよかった。
デザインのことだけ考え、参考サイトをひたすら見て目を鍛え、
Webらしさ、デザイナーぽさ、を少しだけだが表現できるようになった。
情報設計の仕方や、ターゲットに対してどのように表現したら意図した伝わり方をするのか、などを学ぶことができた。
そして何より他の受講者の作品を見て考え方を学び、プロのフィードバックを見ると同じ作品でもイメージがガラッと変わる。
その過程を見れただけでも多くのことを学べたと思う。
卒業制作
卒業制作はクライアントワークに取り掛かった。
制作が大変だったというよりも企画書の作成、つまりブランディング、ディレクションが大変だった。
今までは自分の意思でこんな雰囲気にしよう、このデザインをやったことがないから挑戦してみよう、と自分中心に考えられたが、
クライアントワークだとそうもいかない。
目指すべきゴールがあって、そのための手段としてホームページがある。
ブランドイメージやコンセプトがあってそれを崩さないように表現する。
頭ではわかっていても意図して表現するのは難しい。
営業時代企画書や提案書は何度も作成してきたが、切り口が異なるだけでここまで時間がかかるのかと感じた。
ただ共通することは、「価値提供のための手段」ということ、
そして「お客様のお客様のことまで考える」ことだ。
クライアントのお客様に喜んでもらえるためにはなにをすべきかということを忘れてはいけない。
今回私はパン教室の新規ホームページ作成を請け負った。
クライアントからはあったかい雰囲気でナチュラルな感じ、というざっくりとした要望が主だったが、
近隣の教室の調査や、値段設定、内容なども一緒に考えた。
まだ本格的な運用は先になりそうだが、これからも一緒にこのサイトを育てていきたいと思う。ひとまず完成して何よりだ。
最後の1ヶ月
卒業制作が終わってからはいきなり焦り始める。
(いやもっと早く焦りなさい)
履歴書、職務経歴書はすでに準備が終わっていたが、ポートフォリオに載せる作品少なくないかと…
ポートフォリオサイトよりも作品を作り始める。
バナーや架空サイトを何個か作成。
トレーナーさんに綺麗すぎる、と言われ面白くないと言われる卒業2日前。
色々とあったけどとりあえずなんとかなんとか納得する形で卒業。
正直まだまだ通いたい気持ちもあるし、全然未熟だけど
こっからは一人で頑張るしかない。
転職活動も徐々に進めていかねば。
正直な話、デザイナーもコーダーもディレクターもどれも魅力的すぎて
絞れていない。
デザインは憧れでもあるし、とにかく楽しい!
コーディングは答えがある感じなのと時間を忘れて取り掛かれる!
ディレクターは前職の経験が少しでも活きる気がする!
だがひとまずデザイナーとして就職できるようにチャレンジしていきたい。
4月仕事開始!これを目指す!!頑張れ自分!
めちゃめちゃ長くなりましたが、読んでいただいた方、
ありがとうございました。
以上かほでした☺︎
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