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自己紹介 

私の名前は上垣楓歩(うえがきかほ)
兵庫県宝塚市に住んでいる22歳。
私が何故noteを書くことにしたのかを語る前に、私のこれまでの人生を簡単に振り返る。今後の人生語る上で外せない私の大切な経験だから☺️

保育園 

私が初めて保育園に入園したのは6ヶ月。それから(小学校の後にも行っていたので)小学4年生まで通っていた。最初に行ってお迎えは大体最後。1日のほとんどが保育園の生活。鈍臭くて人見知り。何をするのも怯えて端っこでみんなが遊んでいるのをぼーっと見る。そんな周りが気になる女の子だった。お昼寝ができず毎日怒られてた記憶しかない、、。ただそれでも保育園の先生は大好きで甘えていた。今考えると忙しい親には求められない愛情をもらっていたのかもしれない。

小学校

人と関われない。常に頭の中では色んなことを考えていた。人とどう接すればいいか分からず結局何もできない。人を避けて生きていた。私の人生の最も黒歴史かも。この辺りは気が向いたらまた今度。

中学校・高校

とにかく部活してた。ちなみにソフトボール部→ハンドボール部。部活をすることで、違う自分になれた。人とも関われた。この頃性格が少し変わった気がする。人から見える自分を変えた、の方が正しいか。自分らしく生きて居られてる自分と、疲れてるのにそれ以上を求めてしまう自分。が居た気がする。ただこの頃はそれにすら気づいてなくて、あんまり何も考えてなかったな。毎日生きているのが必死すぎて。
進路は、と言うと、保育園の時から親と働くのが夢、看護師になるのが夢だった。それを高3の私は一瞬にして変え、関学文学部総合心理科学科に行った。それは運命的な出会いによって。その頃考えてたのは「自分が関わることで人の心に寄り添いたい」

大学生

大学生活を語る上でコロナは切っても切れない。とにかくきつかった。私は如何に外に居場所が沢山あったのか、自分の辛さから距離を取れていたのか、それをコロナ禍で実感した。
コロナが少し落ち着いてきて、私は正直焦っていた。何かしなければ。このままじゃ知識と経験がなさすぎる。一般企業には入りたくない。そんな謎のプライドが私を支配していた。
それから
・ホームレス支援をしているHomedoorでのインターン
・D×Pで高校生の居場所作り
・learning for allでの子どもの居場所作り
・学童でのアルバイト
・児童養護施設・自立援助ホームへの訪問
・SNS相談員
・子どもアドボカシー講座をはじめとする様々な研修への参加。
・心理学検定特一級を取るための勉強
とにかく目につくものをひたすらやってきた。
親ガチャ、家ガチャで、生きづらさを感じる人を減らしたい。自分が関わることで今日が楽しくなれば、今日を生き延びられる理由になれば。
私自身が常に生きづらさを感じている「ピア」であることを自覚しているからこそ、「専門的な知識や経験を持った大人」として子どもや若者の隣に居たい、と言う気持ちが強かった。その経験を積むために必死に4年間積み重ねてきた。
そんなこんなで就活もせず、これ(現場で色んな人と接して対話しながら、今後について考えること)が一生の仕事になればいいのになーっとか思って就職と言う現実から目を逸らしてここまできた。

とうとうこの3月に大学を卒業した私が、今何を感じて何考えてこのnoteを書き始めたのか、それはまた次回。
興味を持ってくださる方はフォローして待っていてください。

2024.5.1

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