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「おいしい」の源
私にとって「おいしい」の源はお米だとつい最近発見した。それも祖父の作るお米。
幸せ者なことに私はこれまでお米を買ったことがない。お米農家の祖父が親戚分のお米を作ってくれているのだ。
それもこだわりの天日干し米。作るのには相当な労力がいる。
御歳82歳で未だ現役の祖父には尊敬と感謝の気持ちでいっぱいである。
私はこれまで食べ切る前に次のお米をもらいに行っていたのでお米に困ったことがなかった。
しかし、このコロナ禍で初めてお米を完全に食べ切り、お米がない状態に見舞われた。
すると、パタリと料理を作らなくなった。
毎日欠かさずお米を食べ、それに合う料理も何かしらは作っていたのに。
気力が湧かなくなったのだ。
そのとき、これを作ったらご飯に合うだろうな、、おいしいだろうな、そんな風に考えながら食と料理を楽しんでいたのだと気づいた。
その後2週間ほどして、新米の時期になり農作業の手伝いも兼ねてお米をもらいに行った。
(作業中はマスクをつけ、お互い距離を保った。
普段は親戚と集まって賑やかに作業をするところだが、今年は日程をずらして手伝いに。
去年まで当たり前だったことができないのがもどかしいけれど仕方がない。。)
2週間ぶりのお米。それも新米。
私は帰ってすぐに炊いた。
炊き上がりの湯気、混ぜた時のピカピカ光るお米、そのあたたかさに心も身体もほっこり。
なにより白米のおいしさにこれまでで一番感動した。
コロナ禍でお米を完全に食べ切るまでは、お米を炊くことが面倒臭いとすら思っていた。
でもいざ無くなってみると、私の「おいしい」の源だったのだと気づいた。
それも今は自主期間中の楽しみになるなんて。
炊き立てのお米を想像しながら丁寧にお米を研ぐところからはじめる。おかずを作る。
炊き立てのご飯とおかずを頬張る。
シンプルだけどこれがなんと幸せなことか。。
コロナの自粛期間も無駄では無かったと、むしろ、ほんの少しだけ自分の境遇を振り返り感謝できたエピソードでした。
引き続き私のおうちじかん、お米じかんを楽しみたいと思います。
#おいしいはたのしい
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