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名古屋遠征0日目&1日目

 4月3日アイドルマスターシャイニーカラーズ3rdライブ名古屋公演1日目が開催された。幸運にもそれのチケットを入手できたためこの日に名古屋に行くことになった。しかしその前の数日も予定がないことが分かり、今回は名古屋へ向かう道中に紀伊半島も一周することにした。

0日目

 目的地が名古屋であるため紀伊半島のルートは和歌山側から三重方面に向けて反時計回りに向かうことになった。そのためまず飛行機を使って和歌山に向かった。和歌山県には紀伊白浜空港という空港があるがこれは紀伊半島の南西に位置し、この空港の使用は今回の旅行の趣旨から外れてしまう。そのため今回は和歌山に近いところに位置している関西国際空港を利用した。今回は安さを重視してジェットスターの成田国際空港6:45発関西国際空港8:15着の便を利用した。
 さてこの便はとても朝が早く当日の自宅の最寄り駅の始発の列車に乗っても空港には間に合わない。そのため前泊が必須になる。そのため前日の夜に成田国際空港へ向かった。最近成田空港の利用回数がめっきり減り、コロナ禍前はほとんどバスで行き来しており鉄道を利用して成田空港へ向かうのは新鮮であった。しかし成田空港は想像以上に遠かった。
 成田空港に到着したらすぐに寝床を確保する必要がある。特等席は足を伸ばして横になれて、コンセントが近くにあるところだ。そしてこの場所にこころあたりがあった。第2ターミナルと第3ターミナルの間のプレハブの休憩所はこの条件を満たしていた。駅に着くとそこへ向かった。途中PCR検査場の案内があり、時代を感じるとともに専用の施設をきっちり作っていることに驚いた。そして到着して入ろうとするも入れない。さっき見かけたPCR検査場とはまさにここだったのだ。急いで代わりの寝床を探すべく奔走した。使える場所がコロナの影響で少なくなり、良いところはだいたい人がいた。最終的に第3ターミナルの到着ロビーで眠った。成田空港は深夜着便がなく深夜の到着ロビーは閑散としており眠りやすかった。しかし一晩中エスカレーターの自動音声を聞くことになった。

1日目の始まり

 5:30頃起床した。空港の椅子であることを考慮すれば眠れた方だと思う。朝ごはんは関西国際空港で食べる予定だったが、体が冷えたのでスープだけ飲んだ。そして6:45定刻通り飛行機は離陸し、8:10には予定より少し早めに関西国際空港に到着した。西日本の空の玄関である関西国際空港だがこの空港を訪れるのは今回が初めてであった。一通り空港を探索した後、朝食を取り、時間があったのでラウンジでスマホを充電した。

串本へ


 関西国際空港の訪問も今日の目的だったが、今日の最大の目的は紀伊半島の最南端にある本州最南端の街の串本を訪問することだった。串本に行くには関西空港線、阪和線、紀勢本線に乗る必要があるが最後の紀勢本線が非常に長かった。日根野、和歌山、御坊で乗り継ぎお昼に紀伊田辺駅に着いた。ここの乗り換えは時間が開くので駅前の定食屋で昼食を食べた。またこのあたりは梅が名産品だったので、車内で飲む用の小さい梅酒と持ち帰り用の瓶の梅酒を購入した。この梅酒はこの後の道中で常にその重さと大きさを以て苦しめ、飲むときもふたが異様に固く開けるのにも苦労したが、味は非常に美味しかった。

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トルコの街串本

 紀伊田辺から串本へは一本で行くことができた。そして15時に串本に到着した。串本は日土友好のきっかけとなったエルトゥールル号事件の起きた街であり、今回はその資料館であるトルコ記念館を訪問した。しかしこのトルコ資料館は駅から10キロほど離れた樫野灯台というところにあり、そこまでバスを利用する必要があった。このバスに乗り込み樫野灯台口を目指した。乗客は三人で自分以外は自衛隊員と地元の人であった。他の二人は樫野灯台口の手前のバス停で降りたため樫野灯台口へ行ったのは自分だけであった。

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 トルコ資料館は小さいながらも面白い展示が多く非常に見ごたえのあるものであった。ムスタファ・ケマル・アタテュルク像も近くにあり面白かった。しかし小さな資料館と像と記念碑しかない場所で次の串本駅へ帰るバスの出る二時間後まで待つのは退屈だ。そう思っていたら、行きに利用したコミュニティバスとは別に観光バスがあり、それは45分後に出ることが分かったのでこれを利用して串本駅まで向かった。トルコ資料館へ行く際は必ずすぐに見つかるコミュニティバスだけでなく観光用バスの時間も調べた方が良い。この観光バスはトルコを意識してか運転がとても荒かったが、このトルコ要素はいくらトルコ推しの街でもいらないと思う。 

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 串本駅までは早く戻ることが電車の到着まではまだ時間があった。そのため事前に目星をつけていた駅前のカフェを訪問した。このカフェではトルコのお酒であるラク(rakı)を取り扱っていた。早速注文し、提供されるまで待っていた。ラクは飲む際にコップを二つ使う洗い物泣かせのお酒なのでこちらもコップを二つ用意して提供されるのを待っていた。そしたら提供されるときに店員さんもコップを二つ用意してきており、図らずも知識マウントをとるオタクになってしまい恥ずかしかった。 

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紀伊勝浦へ

串本駅からこの日の宿のある紀伊勝浦駅までは特急くろしおを利用した。当初の予定ではこれを使わざるをえなかったが、結局この一本前の鈍行に乗れていたので無駄な出費になってしまった。時間も遅くあたりも暗くなっており、せっかくのオーシャンアローも意味がなかった。 紀伊勝浦を宿に選んだのは夕食を食べられる店がこの周辺の中では多かったからだった。確かにこの町はマグロが名物らしく飲食店はあった。しかしそれ以外のものはほとんどなく、コンビニですらしばらく歩かないとないという場所だった。夕食はマグロ定食を食べてこの日は眠った。

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おまけ
 トルコ記念館で見たこの史料が典型的なオスマン朝の公文書(オスマン帝国発行の文書なので当然だが)でテンションがあがってしまった。

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