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学びの“濃さ”は自分の姿勢次第。

こんばんは。

今晩はとても静まっていますね。外はぽつぽつと雨音が聞こえて部屋はちょっと湿ったい空気がじんわりと。今日はのんびりと過ごしました。

のんびりとはいっても「無」の時間はほとんどなく、常に手は動かしているような感じです。

そういえば『進撃の巨人』の続きを見ていないなっていう悲しみが…。アニメや映画をじっくり見る日をつくろう。つくろう。

自分で濃い学びにしてしまう

午前中はSHIRUBE二十一期リーダーズクラスがありました。ここでの学びはいろんな視点から見ることで全て吸収してやるぞという気持ちで望んでいます。

何かしら得られるだろうという受け身の心もありましたが、僕には「何かしら得てやるぞ」という能動的な気持ちが根底にあるのでその受け身の心を持てるということもあります。

そして実際に今日もとてもたくさんのことを学びました。その中でも印象的だったのがこれです。

他にも学んだことはこの中にもあります。

リーダーズの中で何度か発言する機会があるのですが、正直主体的にやろうと思ったらいくらでもできるし、受動的に当てられるのを待とうと思ったらそれはそれでいくらでもできるわけです。

こういう時って大体先陣を切るものが好印象を持たれがちです。表出した主体性は認められやすい。

内側に秘めているものを評価することは難しいので、しゃべったもん勝ち、みたいなところはあるわけです。

でも、その点に関してはちょっと格差だなぁと感じつつもあまり関心を示していません。僕が大切にしていることは、この学びの時間をいかに濃い学びの時間にするか、ということです。

そうすると、必然的に能動的に発言してアウトプットをすることで染み込ませることができるし、チャットを使ってアイデアを出してそれが自分のためになるわけです。

そのほうが、シンプルに楽しい。

正解不正解はありませんが、どうせやるなら自分から。形から入っても、意外と楽しめるってことはあると思っています。

その時と場合は僕でも選んでいますが、、、それでもやっぱり受け身の時間は楽しくないし、自分から行くときは楽しい。そこは結構変わらないなぁって。

学びの濃さは自分次第だという話です。もちろん、全てを自己責任論で片付けるっていう極端な話ではなく、ですね。

「自分にできることはなんだろう」っていうのを1番最初に考える癖はつけても損はないかも。

長い関わりが育む「無」の時間

同じ人と何度も、は厳しいのですが、1人の人とじっくり過ごしたり話したりすることが増えました。

今朝は1時間しかお話できませんでしたが、午後は昼ごはんを教育学類の仲良しの学生と食べに行って、そのままカラオケに行きました。

じっくりと過ごす人との間には必ず「無」の時間があります。

その空間までもを楽しむことができるのが親しい人、になるのかなぁと思っています。何を話すでもなくただ一緒にいることが良いなぁって感じるあの安心感。

ここは安心ゾーンです。ってふと気づいたら思う。

そんな人との関わりを大事にしていきたいです。

Teacher Aideで一緒に活動する人募集中!

夕方はTeacher Aideの新歓がありました。新歓といっても新入生だけじゃなくて、TAに関心のある方が何名か参加してくださって、Gatherっていうちょっと変わったアプリで顔合わせをしました。

ここでまた5月にイベントを開催予定ですが、自分がやりたいことを形にするにはもってこいの団体だと思うので、もし茨城支部のメンバーになりたい!とかTAの活動に関わってみたいとか、ただただ繋がりが欲しいとかいう方はぜひご連絡ください。

それにしても楽しかったなぁ。久しぶりにじんぺーちゃんの顔も見られたし。(リアルタイムで)

https://twitter.com/hitsuwari5th/status/1383392302442303488?s=21

イベントはお楽しみに。😊

夜もじっくりお話したり書類書いたりなんなりしていましたが、そろそろ寝ましょうってどこかの誰かの仏様に言われているので、歯を磨いて床につきます。

おやすみなさい。