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僕の発信の役割を見出だす。
こんばんは。
研究室からお家まで「ドライフラワー」が流れ終わる前に着くという事実が判明した、かぐやです。
今日は金曜日。乗り切った自分に乾杯をしましょう。
#かぐやの学び 22日目(昨日)
— かぐや☘️Daiki Takenouchi☂️毎日学び発信中📣地球環境ありきの人類の豊かさ🌍 (@kaguya_daiki) April 23, 2021
・生活の水準を下げることに対する抵抗。
・高学歴の「大学行かなくていい」は?
・「なんでもいいよ」は厳しい言葉。
・格差がある中での好循環は不可能。
・ミニマリストの人と話したい。
・選択できる人は悩まない。
・自分の“豊かさ”の更新。
・収入による体力格差。
#かぐやの学び 23日目
— かぐや☘️Daiki Takenouchi☂️毎日学び発信中📣地球環境ありきの人類の豊かさ🌍 (@kaguya_daiki) April 23, 2021
・スポーツの退廃化。
・スポーツの体制化→格差。
・適応と“過剰適応”のバランス。
・仮入部(初任者研修)の効果。
・高度スポーツは一部の人の特権に。
・プロスポーツと大衆スポーツの分断。
・スポーツは質的に向上しているのか。
・スポーツ政策関係者が歴史を学ぶべき。
かなり批判的な視点での学びを書いていますが、ゼミで扱われるスポーツに関する情報がそのような質なので、まとめもこうなります。
スポーツについて学べば学ぶほど、スポーツに対する懐疑的な視点を持ってしまいます。ということは学群生の時代にも言っていた気がします。
スポーツの“当たり前”に疑問を持ち、良いものだと盲目的に錯覚して扱われているものを考え直す。この視点を僕は発信する義務があると感じました。
なぜなら、そのように考えている人はほとんどいないからです。スポーツの競技力向上や、スポーツによる〇〇活性化に関心のある人は多いですが、スポーツの機会の格差や、スポーツが退廃化してきた歴史に関心のある人は少ないです。
いや、関心がある人はいるかもしれませんが、実際どのようにスポーツが今の現代社会の仕組みの中に取り入れられてきたのかを学ぶ機会がありません。
僕でさえ授業をとってなかったり、このゼミに入らなかったら学ぶことのできなかった部分がありますし、もちろんこれだけ学べばいいでしょ、というレベルに達することは一生ないと思います。
この界隈で、研究をしながら発信をする人は意外と少ないと思います。僕の研究も理論も学びもまだまだ未熟ですが、少しでも多くの方にスポーツに関する知見を分かりやすく伝えることができるようにしたいです。
今夜は久しぶりに何にも予定がなかったので研究室の人とラーメンを食べに行きました。
汁なしそば。本当に美味しくて幸せでした。大盛りは少々多かったかなと思いますが、それは良いです。
明日は学びの多い日になります。これは決まっています。リーダーズクラスと起業家育成プログラムがあります。
濃い1日に。おやすみなさい。