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「喜怒哀楽を大切にしている」という言葉が沁みた。

こんばんは。カルピスの原液より濃い1日を過ごしてしまい、コカコーラより研究対象として選定されるんじゃないかと思っている、かぐやです。

纏まるか分かりませんが、今日という日を振り返ってから寝ようと思います。長くなるかもしれないし、短くなるかもしれません。

今日は高校生とお話したりNPOの活動をされている方のお話を聞いたり、久しぶりにカラオケに行ったりしました。そして最後。元祖ガイドゲームの方がファシリテーションでガイドゲームをじっくりやりました。そこで得た気づきや学びが沁みたので、新鮮なうちに書き留めておきたいのです。

◆喜怒哀楽を大切にする◆

僕が今日一番響いたのはソルティーさんのこの言葉。

喜怒哀楽を大切にする。

この言葉は僕にはない言葉でした。なぜなら喜怒哀楽を抑えることが正義だと思い込んでいたからです。

テニスの時は怒りを出さないようにマインドセットをして「テニスを楽しむ」ことに集中するように努めた。

喜んでいる時も、なぜか一歩引いて楽しんでいる自分を見て「楽しんでいるけど、これって俯瞰してるし心から楽しんでいないよな」って思っちゃう。

雨というコントロールできないものに対して怒りを爆発させていた自分を俯瞰して「それに怒りを持っても仕方がないよね」と言い聞かせるようにした。

これがいいと思ってきた。でもそれは向き合っていないということでもあるのだと気づきました。感情を抑えることは簡単です。でもその感情に含まれている本質的な自分の感性とか価値観みたいなところを感じ取る努力をしてこなかったのかもしれないと思いました。

喜怒哀楽を愛したい。もっと感じたい。

◆感情はもともと持っている、はず◆

僕は喜怒哀楽の「哀」がないとずっと思ってきました。いや、今もまだ思っています。でも、確かに感情はあるんです。怒りも喜びも楽しいっていう感情も。

それを一番感じていたのはテニスをしている時でした。試合をして負けて悔しいという感情。うまくいかずに自分に対して生まれる怒りという感情。チーム戦で応援している試合ですごくかっこいいポイントを取った時に本人のように喜んだあの時の感情。

でも悲しいという感情は本当にどこから消えてしまったのか分からない。原体験も記憶にない。意外なところに詰まっているのだろうか。それを知るよしもがな。

卒業式はいつも笑っていた。人と一生別れるわけでもないのに泣ける人を見て「すごいなぁ」って思っていた。

「なんで泣いてるんだよ」って不思議に思っていた。(小馬鹿にしているわけではなく、純粋に。)

映画でボロボロに泣ける人を見て「羨ましいな」って思っていた。自分にはできないなって思っていた。

どこか心から感じ取ることが難しい身体になってしまった。原因は分からない。追い求めるものでもないかもしれない。でもこのままでは“本当の幸せ”は舞い降りてこないかもしれない。

◆全てを失っても「自分は価値がある」◆

この言葉を聞いて「すごい」と思ってしまった僕はまだ自分を自己肯定しきっていないと気づいた。

僕は断捨離が苦手だ。いや、苦手だと思い込んでいる。全てを失うことが怖いから。きっとそれがなければ自分を守っているものがないのではないかとどこかでは思っている。

実際に火事とかでものが全部なくなってしまば楽なのに。そこで自分の価値を心から実感することはできると思う。それは想像できる。でもここから一旦を切り捨てるという選択肢は選べない。

一旦捨て去ってしまえば自分が本当に大切にしているものが見える。何回も繰り返すうちにきっと共通の何かが目の前に転がっている。それがきっと自分にとって大切なもの。重要なこと。

今は勇気はないけど、愛が溢れているところで続けてみるっていうのを大事にしたい。そう思いました。新しいことにどんどんチャレンジしていくのもいいけど。ね。

◆ぼっちコミュニケーション◆

「人との関わりが好きだ」という言葉も僕は良く使うが、これもカラクリだ。

自分は「自分との対話」をしていない。人との関わりを通して自分の価値や存在を確かめようとしている。

それが悪いというわけではない。いいんだ。でも。誰かとの関わりを経て「自分との対話」をすることで新しい自分に気づくこと。「自分との対話」をすることで“感じる”自分を育てること。そこから僕はしていくことが大切だと思う。

余白をつくることが苦手だと思い込んでいる状態に気づいてからこれも全て繋がっているのだと分かる。余白を作っている自分が価値がないのだと勘違いをしている。もっと自分の感情に触れてありのままに向き合うこと。グラデーションの感性に心を傾けること。ここを

そんなことを学んだ会でした。ファシリテーションのhopefulさんの繋げ方が非常に爽快でした。ガイドゲームの面白さを改めて実感しました。

濃い時間をありがとうございました。

そして繋いでくださったソルティーさん、ありがとうございました。

同じように、一緒にお話してくださったお二方、ありがとうございました。