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彼女がスイスで尊厳死するまで(10)

宗谷岬

彼女が最期に行きたい場所として選んだのはラベンダー畑だった。それを見るために二人は北海道へ渡り、せっかくだからと稚内からクルマで移動しながら富良野を目指す事にした。それに公共機関での移動で気を遣うより二人としてはずっと気楽だった。

到着した日に宗谷岬(日本最北端)を訪れ、市内に1泊してから日本海沿いに札幌をめざして南下した。富良野に泊まるよりは札幌の方が便利だと思ったからだ。

しかし、北海道はでっかい。走っても走っても札幌どころか留萌にも着かない二人は、いまさら予定なんてどうでもいいや、ってむしろ寄り道ばかりしながら札幌をめざした。「ソウルへの飛行機はまだ先だから大丈夫だよ」と彼が言訳すると、「あなたの予定なんていつもこんな感じじゃない」と彼女が明るく笑った。

クルマでの長旅でものすごく疲れているはずなのに、彼女はずっとニコニコしている。

ラベンダー畑

札幌に宿泊した二人は中一日を休んで富良野へ向かった。夏休みなので人手が凄いだろうなと予想していた二人がマイッタのは暑さだった。北海道の夏は涼しいと思い込んでいたから30度を超える真夏日にぐったりし、車椅子をずっと押している彼の方が先にバッテリー切れになってしまった。

それでも雨に降られたりするよりずっといい。一面のラベンダー畑を見る事のできた彼女は、「ありがとう、これでもういいよ。あとはお姉さんたちにお別れしたらスイスへ行こうね」と言った。二人でソフトクリームばかり食べてた富良野だった。
見ず知らずの観光客の方が手伝いますよ~と言って写真を写してくれた。

故郷でのお別れ

二人は一旦、日本を離れて韓国へ向かった。彼女の故郷にお別れするためだ。
ソウル市内のホテルでは彼女の友人がお別れに来た。その一人は一緒に食事をして、涙を堪えながら彼女にチゲを食べさせてくれた。

翌朝、彼女の兄がホテルまで迎えに来た。長兄が経営している桃畑の見晴らしの良い場所にある彼女の両親のお墓をお参りして、その夜は近い身内が集まって宴会となった。お墓のある高台までは兄弟たちが彼女の車椅子を運んでくれた。

宴会の最中、身内の殆どが彼に御礼を言いにやってきた。彼は病気を治してあげられない事をただひたすら詫びてた。

翌朝目が覚めたのはソウルのホテルだった。彼は途中から泣いていた記憶しかなく、彼女のそばには姉が付き添っていた。
ソウルで姉と更に一日を過ごし、二人は羽田経由でミュンヘン~チューリッヒに向かうため金浦空港を後にした。さすがに姉と別れる時は彼女も寂しそうだった。それでも彼女は涙を見せることはなかった。いつも泣いているのは周りばかりで彼女は泣かなかった。

彼は少し前、姉に一緒にスイスへ行かないかと誘ってみたのだが、そんな悲しい場面には立ち会う自信がないと言って謝られたのだった。

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