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彼女がスイスで尊厳死するまで(9)

小〇さん

Dignitasとのやり取りに苦戦している時期、彼女は少し不安定になっていた。その間にも病気は彼女を自由を遠慮なく奪って行く。スイスに非常口があると確信していた彼女は、もしかしたら行けないのではないか?と不安になってしまっていたのだ。

バンコクではヘルパーさんにずっと身の回りを手伝って貰っていたが、彼女の聴き取り辛くなった日本語からヘルパーさんが全てを理解する事は難しくなっていて、バンコクを離れるまでの僅かな期間だけでも彼女の世話を手伝ってくれる日本人女性がいないかと彼は探していた。

やがて彼の知人がツテを辿って紹介してもらう事になった。その知人も病気で父親を若くして亡くしていた。
紹介されたのは年配の女性だったけど、彼はその人にお願いの手紙を送った。そうして6月のある日、小〇さんがバンコクへやってきた。ビザの問題があるので1か月間だけお願いする事にした。

小〇さんは高齢にもかかわらず献身的に彼女の世話をされていた。しばらくして彼女がスイスに行くと知ってからは、自分も来年にはスイスへ遊びに行きたいと仰り、二人を驚かせたりもした。

小〇さんにはそれとなくスイスへ行く理由を話してはいたけれど、よく理解されていないようだったから、二人ともそれ以上はあえて説明をしなかった。

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小〇さんが帰国する前の日にみんなでお別れ会をした。彼女は小〇さんがいなくなる事で少し不安そうだったけど、彼女だってバンコクを離れる日はもう目の前なのだ。

さよならバンコク

二人はスイスへ行くまでに最後の旅をしようと話し合っていた。彼女の希望は、お世話になった人に会ってお別れする、故郷にお別れする、ラベンダー畑を見るの三つだった。
すべてを叶えてあげようと思うのは彼だけではないだろう。彼は7月20日にバンコクを離れ、日本~韓国を経由してスイスへ行く旅程を組んだ。スイスでは彼の娘と合流する事になっていたけど、この時はまだ彼女には伝えていなかった。

彼女はバンコクでお世話になった方々に部屋まで来てもらって一人一人に御礼をした。日本から最期の挨拶にバンコクまで来てくれた人もいて、本当にありがたかった。

やがて予定日になり、二人は仲間に空港まで送って貰いバンコクを離れた。サヨナラをして、お世話になった仲間が泣いていたのを振り切るように保安検査場へ向かった。彼女は決して泣かなかった。

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なつかしい日本

久しぶりの日本では先ず東京に3日ほど滞在した。彼がちょうど東京で仕事があったため、昼間は彼の会社の事務員さんが彼女の面倒を見てくれた。ホテルでのんびりするくらいだったけど、彼女は久しぶりの日本にとても嬉しそうだった。

彼女はこのあとも旅行中はずっと笑顔だった。もし誰かが二人を見かけても、これが彼女の人生を終える旅だとは思いもしないだろう。まるで二度目の新婚旅行のようだった。

たった一年ちょっとなのに彼女は懐かしい思いがすると言った。

東京での滞在が終ると二人は仙台へ移動した。仙台はバンコクへ移住する前に二人で住んでいた大好きな場所だ。休みになると二人でよく泉ヶ岳に出かけていた。その日は泉ヶ岳の麓にある温泉宿に泊まった。お世話になっていた人にも会えたし、彼女はみんなと一緒に温泉に入って一緒に寝た。

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Dignitasとのやりとりを手伝ってくれていた方もわざわざ宿までお別れに来られた。その人は二人のここまでの行動を支えてくれただけでなく、彼女の強い意志を心から尊重すると言ってくれた。理解者がいる事に二人は感謝の気持ちでいっぱいになった。   

親しい人たちとの別れを惜しむひと時を過ごし、二人は仙台を離れ、ラベンダーを見るために北海道へ渡った。彼女は仙台空港でも泣きすがるような仲間に笑顔であいさつし、決して涙を見せる事はなかった。

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