見出し画像

彼女がスイスで尊厳死するまで(5)

バンコク移住

2015年になってからも二人は毎月のように旅にでかけた。冬の間は暖かい沖縄へ行く事が多かったが、彼女の病気の進行に連れてだんだん外出する回数が減り、彼は今後について考える時間は余り残ってないなと思うようなっていた。

そんな頃、バンコクで働く日本人の医療関係者に会う機会があった。現地法人を経営している日本人を通じてなのだが、この先生との出会いが二人の人生に大きな変化をもたらす事になった。

タイでは医療ツーリズムが盛んであり、一部の先端病院は日本と変わらない先進医療が可能である事を彼は知らなかった。経済成長に伴ってタイの物価は上昇中とは言え、まだまだ人経費などは日本より安い。親日的だし移住する人も多く、老後の移住先としても人気があると教えて貰った。

彼としてはまさに老後の移住先を探すような感覚だったから、これを聞いた彼は単独で何度かタイへ渡航した。いろいろな情報を集め、実際に住むにはどんなところが不便なのかなどを調べた結果、治療の引継ぎが出来るのであれば移住先として考えても良いと思うようなったのだ。

そして、タイが盛夏を迎える4月にお試し滞在として彼女を伴ってバンコクへ旅行した。様子を見るために最初にわざと一番暑い時期を選んだ。彼女は四季のある住み慣れた日本から離れるのを嫌がったが、思ったほど不便でない事は分かったようだった。

その後も二人で何度かバンコクでのお試し滞在した。6月、7月、8月と行く毎に滞在期間を長くし、紹介された医療機関へも足を運んでみた。医療機関はまったく問題がない事が分かり、この点については二人とも安心した。あとは彼女が決心すれば移住する事になる。彼は並行してバンコクで出来る仕事を探し始めた。

10月に5回目の渡航となった時、とりあえず日本の冬が終わるまでバンコクに滞在しようとなった。ヘルパーさんが泊まれるように2ベッドルームのまあまあ大きな部屋を借りる事にした。日本と比べれば天井も高く、解放感のあるいい部屋が見つかった。部屋に籠っていても伸び伸びと生活できそうだ。もしイヤになれば帰国すればいいので、日本のマンションは暫くはそのままにしておく事にした。

結局、二人はこのままバンコクに移住する事になったのだけど。

BDMS(バンコク病院)

海外移住を控え、かかりつけの大学病院の担当医に相談した。事情を理解した彼は、これまでの経過など医療情報を詳しく纏めて、タイの医療機関への丁寧な依頼状をしたためてくれた。予後についてどこまで話してあるかなど本当に詳しく伝えてくれたのだ。途中で逃げるようで申し訳ない気がしたけど、ほかにいい考えが見つからなかった。

タイでの医療機関はBDMSグループのバンコク病院に決めた。日本人窓口があり、日本人のコーディネーターも常駐している。神経内科にはいなかったが、内科などには日本人医師もいた。70言語に対応できる通訳も常駐していいて、タイの医療ツーリズムではリーダー格の病院だ。ただ治療費は自由診療なので高く、検査入院なんてすると高級ホテルより高い。ここでは神経内科と血液科の二人の先生と日本人コーディネーターN先生に担当して貰う事となった。N先生とはこの後、家族ぐるみでのお付き合いとなり、ずっとお世話になる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?