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彼女がスイスで尊厳死するまで(11)

スイスへ

ついに最終目的地のスイスへ向けて日本を離れる日がやってきた。
彼女はもう二度と戻ることのない故郷と日本にお別れして、羽田空港からスイスに向かいます。ミュンヘン空港で乗り換えてチューリッヒまでは14時間を超える長旅だ。

これまで気丈だった彼女がなんだか寂しそうに見えた。日本時間の明朝にはチューリッヒに到着する。

カレンダーはもう8月に替わっていました。

最終診察

チューリッヒのホテルについたのは現地時間の午後11時を過ぎていた。オペラハウスが見えるプチホテルに3泊して、その間にDignitasが指定する医師による診察を受けたり、当日の準備をしなければならない。それが終るとツェルマットに移動してバカンスを楽しむ計画だ。

翌日はスイスに住む日本人の通訳Sさんと合流した。Sさんは当日のDignitasでも立ち会ってくれる事になっていて、その日はSさんと3人で市内にあるDignitasの指定する病院に向かい最終の診察を受ける事になっていた。

病院では担当の医師が彼女の姿を見るなり、かなりつらそうな顔をしながら招き入れてくれた。その医師は診察をしながら、どうにかして自死を止めさせようと色々と話しかけるのだが、彼女の固い意志は覆らない。

諦めた医師は彼女の意志を再確認した後、当日に何をするかの説明を始めた。
先ず最初に医師は、食べ物を飲み込む事の出来なくなった彼女の場合、睡眠薬(とても苦いのでオレンジピールで包んである)を経口投与する事が出来ないため点滴により行うしかないと言った。

その理由を説明してくれたのだが、この説明は二人にとって恐ろしい内容だった。
睡眠薬は死に至るだけの十分な量であるものの、飲み込み切れずに吐き出してしまったりすると中途半端で悲惨な状態になってしまい、長い苦痛を伴う事になり、最悪のケースでは死にきれないと教えてくれた。

また、点滴のための針を腕に指す処置は医療行為のため、現地では出来ないからココでするしかない、とも言われた。
でも、これから1週間ほどスイスで過ごす時間がある事を知ると、「最後の思い出に針は要らないね」と言い、当日朝に再び病院に来るように言った。泣きそうな顔で作り笑いをする優しいポーランド人だった。

娘との合流

大学生である彼の娘さんは2日目の夜にドーハ―経由でやって来た。夏休みを利用してスイスに遊びに来たつもりだった。誘ったのは彼だ。
なんと娘さんはそこで初めて父親の再婚相手を見せられ、これからDignitasで彼女が尊厳死をするのだと教えられた。普通なら怒り出したり、驚いて帰ってしまうかも知れない。

でも、娘さんはすんなり受け入れた。彼はそうなるだろうと分かっていたから最期の旅に誘ったのだ。それから1週間ほど、彼の娘を加えた三人で旅をした。周りからは実の親子にしか見えなかったはずだ。彼の娘が来てくれた事を彼女はこのとほか喜び、「この子に会えて安心したわ。私がいなくても大丈夫よね」と言った。

ツェルマット

三人は合流した翌朝、チューリッヒ中央駅から鉄道でツェルマットへ移動した。今日からしばらくは鉄道の旅だ。
スイスは三人とももちろん初体験。アルプスの山々を巡る鉄道の旅に感動しながら、何度かの乗換をしてツェルマットに到着した。

三人が宿泊宿に選んだのはシャーレだった。ホテルよりも勝手気ままに出来るので気楽だからというのが理由だった。
暖炉のある大きなリビングと3つのベッドルーム。moutain-exposureの若い案内係が「夜になると暖炉を使った方がいいよ」と言い、三人を驚かせた。

こんなところに住めたらどんなに素敵だろう。べランド越しには遠くにマッターホルンが見える。三人で過ごすにはいい部屋だと彼は思った。

こうして三人でのツェルマットの短いバカンスが始まった。これからの数日間は二人にとってかけがえのない思い出となる。

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