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須恵器・土器を愉しむ【再訪 珠洲焼 中世日本海・黒のやきものグラフィック(渋谷:ヒカリエ8F )感想】現代復活窯のぐい呑みを購入。

渋谷ヒカリエ8階で9月29日まで開催の「珠洲焼」展。東京ではなかなか観られない「珠洲焼」の中世の器20点の一挙展示に圧倒されます。展示内容はこちら。

 中世に途絶えた「珠洲焼」が1979年に復興されて40年を記念した今回のイベント。最終2日となる9月28日・29日は、現在作家の作も物販されるというので再訪しました。同会場で、セミナー「珠洲焼の見方」もあると言うので、同時刻に國學院大學博物館で開催される古墳関連のミュージアムトークは諦めました。そんな渋い企画を渋谷で同日同時刻にやるなんて……。

今回の展示のポイントは次の2点。
 ■現代珠洲焼は、普段使いにほどよいシックな意志表示
 ■須恵器と珠洲焼の近くて違うが良く分かるセミナー

■現代珠洲焼は、普段使いにほどよいシックな意志表示

 珠洲焼展となりの物販・セミナー会場には、能登半島珠洲市の特産物が並びます。NHK連続ドラマ「まれ」に出てくる「伝統的な塩」は、実はこの土地の塩だそうです。「市内にもあまり出回らない、ふるさと納税返礼品の逸品」とのこと。しかし目的は「現代の珠洲焼」です。

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 須恵器「風」の現代レプリカは、釉薬も施し「なんとなく須恵器ぽい」ものをたまに目にするので、そうした感じかと予想していましたが、まったく違いました。焼きしめた、かたく、軽く、叩くとカンカンと鳴る、まさに土器。
 それでいて、やわらかなフォルム、多くの作家による多様な個性、現代の食生活に合ったサイズ。何より価格が「食器」なのです。まさに普段使いできる器。
 作品によりアクセントとして釉薬がからむものもありますが、基本無釉のシックな肌は少しザラッとし、それが手肌にしっくりと馴染みます。見た目より軽い、けどしっかり手に収まる質感が存在感を持ち、「ちょっといい器」感を常に感じさせてくれます。器自体の自己主張は抑えめなのに、確実に作家性を感じさせる、主張のささやきがにじみ出ます。
 欲しくなる、やつです。

 この機会に取りあえず1つとなると酒器が手頃。酒杯、ぐい呑み、カップ、片口等々あり、悩みます。ただ、個人的には「もう少し、土器寄り」の質感が「基準」なので、あと一歩の決断ができません。悩んでいると、会場のすみでお酒の試飲が行われていました。
 能登は「能登杜氏」を全国に送り出す土地。酒蔵も多いそうです。しかし、今回は地酒紹介ではなく、「珠洲焼の器で酒を飲む」が体験できる試飲コーナーとなっていました。そして酒はラベルのない「鑑評会出品用のどこかの酒」の吟醸と普通酒が飲み比べられる、とのこと。それは、飲むでしょう。

 1つ1つ、フォルムや主張の異なるぐい呑みがいくつか置かれ、好きに選べます。これが、どれもいい。その中の1つを選びました。グイグイとヘラで削られた側面が荒々しく見えて、指がスッと重なり、手の中にしっかりと身をおさめる。相当酔っても落とさないであろうほどの一体感。

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 火力の遠近による焼成時の影響か、黒の濃さが少し異なる壁周も面白く、何より口アタリが土器、須恵器な感じ。重厚な面の杯からサラリとした吟醸酒が口に届くを繰り返し、都度、指と杯との一体感を感じ、その収まりの良さは「しっくり」に至ります。もう手放したくありません。「これは売ってもらえるのですか?」とたずねました。

 試飲コーナーのぐい呑みはすべて「岩城伸佳」氏作とのこと。もし希望者がいれば販売可となっていたそうなので、そのまま購入させていただきました。

 器を買ったらまず撮影。自宅の新羅土器(と思われる)のビンと合わせると、違和感まったくありません。

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 同じ作家の他のぐいのみや、他の作家の器と比しても、これはかなり尖った表現のものと思いました。しかし、その後のセミナー「珠洲焼の見方」を聞くと、表現の自由度の高さも、そうしたことも珠洲焼の魅力の1つということが分かります。

■須恵器と珠洲焼の近くて違うが良く分かるセミナー

 二日にわたりいくつかあるセミナーのうち、この会は「珠洲焼」とは何か、見た目にどんな特徴があるのかを、展示品を事例に説明する内容です。陶芸研究家の森由美氏、須恵器焼資料館の学芸員の方による対談型式。25席と告知されていた30数席は満席。実際に陶芸をされている方も多いようで、かなり濃い内容でした。
 「須恵器好き」目線での「珠洲焼」理解のために観た展示でしたが、展示もこのセミナーも以前からの疑問を、頼んでいないのにズバズバ解決してくれるものでした。

・古くから山陰日本海側の各地には「黒い器」が残されてきたことが知られていたが産地は不明だった。
・戦後、珠洲市域のおいて、それが地元のものではないかと調査が行われ、専門家により「これは中世に途絶えた古代の器であり、ここがその産地だった」ことが確定。
・珠洲焼は須恵器の技術を継承したものだが、珠洲市域で継続していたのではなく、他地域同様に須恵器窯が途絶えた後、新たに領地にした権力者によって新たに生産が開始されたもの。

 では、なぜ「黒いのか?」。

 当時の「赤い」酸化とと「黒い」技巧の話から

・新興勢力の武士が求めた「赤い」と旧来貴族が求めた「黒い」清潔さ。

 須恵器の丸底の難しさを解消する

・行程を省いた、擂り鉢の上に土紐積み重ね。

 さらに器受容の変換期にさまざまな手法を取り込んでいく珠洲焼の主張。印花文、叩き目の技巧化、文字や植物の絵……、須恵器の復活ではなく、中世当時の貴族たちの必要から生まれた最新の器だった。森氏の「今の私たちの芸術性への視点からの価値の鑑賞もできるが、器には、当時の生活の実情からの変化も分かる。珠洲焼からは中世の世界の変動がいきいきと分かる」といった説明が、まさに展示から感じた圧倒的な存在感を納得させてくれました。

 森氏がイチ推しした展示物は、「やりすぎな装飾だが、欠けたことで、遺った部分とのバランスが自分の感性に合う」と表現した車輪印が全体の押されたこの遺物とのこと。画像7

 須恵器の伝統的技法の継承ではあるけど、中世のトレンドにも果敢に取り組んだ姿勢。それは、現在の作家にも受け継がれています。

 セミナー後半の質問「都内で珠洲焼が観られる場所は?」は本当に難題で、森氏の「まずは珠洲に行くこと。その関心が都内の企画に結び付く」という思いは我が意を得た感じです。これが「数十周年」のたまさかではなく、例年、渋谷で一番の珠洲焼が観られる起点になって欲しいものです。

フリーランスの編集・ライターとして活動しています。編集・ライター作品紹介webサイト「神楽出版企画」(企画から制作進行・執筆までワンストップ対応)
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須恵器・土器・考古・郷土史等々に関し、都内近郊の博物・資料館・展示の情報を整理記録がてらアップしていく予定です。