保育士10年目に鬱になったワケ。

実は、って程ではないけど保育士を長いことやっていました。

福岡で5年、妻(国家公務員)の転勤と同時に山口に引っ越して今日まで4年半、ちょうど今年で保育士としては10年目を迎える年でした。

原因はいくつかありますが、まずは職場全体の雰囲気の悪さとパワーハラスメント。実は元職場、市内ではとにかく評判が悪く、職員も次から次へと辞めていっていました。自分が働いていた4年半の間、毎年職員が数名入るものの全員辞めていきました。そのうち、寿退社は1名のみ。年度を全うした職員は記憶の限り1名(翌年退職)。後は年度途中で全員辞めてます。新卒の子が2年続けてGW明けに園に来なくなったりもしました。地獄。そして結局僕も辞めたので6年以上もの間新しい職員が入っていないというはっきり言って異常な状態。

余談ですが、実習生すら4年半で覚えてる限り3名しか見てません。職場体験の中学生もそんなもんじゃないかな。福岡の保育園の頃は多い時では1年に10人以上は来ていました。

そして残る職員はみんな勤続年数の長い人ばかり。特にパートのおばちゃん先生なんか園長どころか理事長の代から務めてる人ばっか。若い職員が少なくなってるから環境を変えようと動く先生もいたし園長は一生懸命動いていたように思いますが、

「昔はもっと苦労してた」

ばかりで非協力的な職員ばかり。回るかよボケカス死ねだから人コネーんだよ

そして、無理解な人間によるパワハラ、セクハラ。

主任(独身)が「子供産むなら計画的にね、5月とかに抜けないでね」と保育士に抜かして殴り合いの喧嘩になったという恐怖のエピソード。そして俺に対する反応は以下。

「まだ若いんだから子供作らないよね、だから他の仕事振ったから!(他のパートの職員は振られてない仕事をガンガン回される)」

「男なんだし産休いらんでしょ」

「〇〇先生はおんなじパートだけど、子供が小さいから配慮してね(のちに俺に子供が生まれた時には配慮は一切なかった)」

ねえこの辺パワハラになりません?ならない?なれよ!男だから重い物運ぶとかその辺は性差だから別にいいんすよ。でも子供作る作らない産休とる取らないは関係なくねえか?ああん?

……改めて書き出すとほんとに狂った環境で働いていたんだなぁと思わされます。で、なんでそんな狂った職場で働いていたのかというとすごく単純な話で、給料が保育士にしてはかなりよかったこと、家からの距離がよく、勤務時間も妻の出勤前、帰宅後でちょうどよかったからです。

ほんと条件を見つけたときは小躍りしました。完璧やん。

今思えば地獄の始まりでしかなかった。その辺を振り返ってうだうだと書いていこうと思います。

1年目

3歳児。とりあえずつつがなくやってた気がする。気がするだけでよくわかんないんけど……担任の先生が割ときつい人だったけど適当に働いてました。

2年目

2歳児。
ここから何かがおかしくなる。いきなり新人二人を見る羽目になる。パートなのに。そして、一緒に組んだ担任が悲しいかな仕事ができない、隣のクラスの担任はスーパールーキー(前々回の記事参照)。いろんな意味でしんどかった。でも子供たち可愛いかったのでなんとか頑張った。問題のある子を一手に引き受ける羽目になったけど、それはそれで保育士の苦労としては普通なので別に。

3年目
2歳児。

一緒に組んだ担任(以下I)とソリがどうしても合わない。

保育方針が合わないし性格も合わない。たぶん向こうもそう。それだけならいいんだけど露骨に無視、伝達事項が俺にだけ伝えられない、他の職員に俺の悪口を言いまわるなどなど、露骨なパワーハラスメントを受ける。

我慢を続けたけど、意味の分からないことで怒鳴られ、挙句の果てにそれが当人の勘違いであったことがわかっても謝罪がなかった事でとうとう俺がブチ切れて園長と主任に辞めるか配置換えかどっちかにするか詰め寄り、配置換え。ここでさらに決定的に職員Iとの亀裂が決定的になり、結局これが最後まで尾を引くことになる。

4年目

年長組副担任。とっても楽しかったです。こんな楽しいことあんのか?ってレベル。でも今思うとパートなのにあれやらこれやら当然のように押し付けられていた気がする。行事も全部参加、キャンプとかもこき使われたなあ……子供生まれたばっかだったのに。でも楽しかったのでオッケーです。未だに交流がある子がいたりする。僕はやっぱり年長が向いてる。

5年目

保育士歴10年目にして初めての1歳児。ごめんなさい、無理でした。

気を遣うポイントがあまりにも多すぎること、言葉でのコミュニケーションが当然とはいえさっぱりなこと、今思えば発達障害の特性が出てしまうと、どうにも補えない事がメインなんですね1歳児。病名ついてなかったからわかんなかったけど。どうしても見落としとケアレスミスが湧いて出る。そして、横からチャチャ入れてくる職員I。

そしてコロナシーズン、なぜか他の職員の担当の子は休みまくるのに俺の担当の子は登園。他の職員が駄弁る中5人の子供を一人で見てました。慣れなかったな……

他の職員に迷惑かけっぱなしな事、できない自分への苛立ち、そして関係ない職員からはじまった無視。その辺がすべて心にのしかかり、最終的には、家のドアが開けられず、過呼吸になりぶっ倒れ、嫁に引きずられながら心療内科に担ぎ込まれることになりました。鬱病。

以上が10年目の退職の顛末です。

ざっくり思うのは、1歳児が致命的に合わなかったのと、自罰的な考えが行き過ぎてしまったこと、職員仲がクソほど悪かったこと、当時は発達障害の診断を受けていなかったことにつきるのかな、と。

適材適所って大事ですね。ほんと。まさかこんなことになるなんて。

結局誰か一人くらい抜けてもなんも変わんないってことを心に持つべきだった。。世界は今日も簡単そうに回ってる。

保育士になりたいあなた、就職する保育園はしっかり選ぼうね。難しいかもしれないけど。

俺みたいに心をぶっ壊す保育士がこれ以上出ませんように。

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