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自分語り

研修を受けている中で色々思うところがあり、とりあえず言語化したいのでnoteを書く。覚書なので読みにくいと思うし、めちゃめちゃ自分語りで、多分キモい。

小さい頃から、テスト返しが好きだった。
小学生・中学生の頃はそもそも成績が良かったため楽しかったのもあるが、成績が良くなかった高校時代も好きだったので、たぶん点数の良し悪しはそんなに関係ない。

私は『人から評価されること』が好きなんだと思う。そしてテストでは、それがはっきりと点数化されるので、「あなたの評価は何点です」と突きつけられるのが好きだったのだと思う。その上で、周りよりもいい評価をもらうのが気持ちよくて、気持ち悪い(けど率直な)言い方をすると、人より上にいたいのだと思う。逆に、自分が勝ちたいと思う事象の中で、自分の上にたくさん人がいるのが嫌だから頑張れる部分もあるのかもしれない。

さらに言えば、私は今までの人生で『頑張っても達成できなかったこと』があまりないのだ。まぁ細かいことを言えばあるのかもしれないのだが、というか中学受験に失敗しているのを書きながら思い出したのだが、基本的には『頑張ったら達成できる』ことの方が圧倒的に多いのである。私の中で、頑張る→達成して良い成績をおさめる→高評価を得る→褒められる、という流れが自分の中で当たり前になったため、頑張ることが好きになり、気持ちいいと感じるようになったのだと思う。

本題から早速逸れるが『頑張る』ことと『努力する』ことは同意ではないと感じている。私の中で『頑張る』はがむしゃらで短期的なイメージで、『努力する』は計画的にコツコツとやる長期的なイメージであり、「頑張ってるね」「頑張れる人だね」と言われるとスっと受け入れられるのだが、「努力してるね」「努力できる人だね」と言われるとちょっと違う気がしてしまうのだ。私はずっとコツコツ努力するのが苦手で、ただ一方で、頑張ることはできる人間だと思っている。そして、努力の方がかっこいいと思っている。

でも、もしかしたらこれは努力できてるんじゃないか、と自分を調子に乗らせたくなる時がある。そんなことはなくて、周りの方がずっと努力している。私は人よりちょっと器用でちょっとずるいから、人よりできるようになるまでのスピードが早いだけなのだ。

薄々、人より器用だなとは感じていた。物事にもよるが、同じタイミングで始めた人と比べて覚えるのが早く、できるようになるのが早いと思う。さらに、最近気づいたことだが、私はめちゃめちゃプライドが高く負けず嫌いらしい(23年も生きているのに気づくのが遅い)。だから、同じタイミングで始めたのなら負けるわけにはいかない、と考え、無意識に頑張っていたのかもしれない、と気づいた。

前置きが非常に長くなったが、以下がこのnoteで書きたかったことである。

最近の研修で、明確に点数化されて、その点数の善し悪しで同期が上下に分けられる機会があった。事前にそのシステムは伝えられており、私は下に行くわけにはいかない、とすごく焦っていたし、怖かった。同期はみんなそれぞれすごい所があるが、総合得点で負けるわけにはいかないと思っているのだ。

「総合得点」についての私の考え方をまとめておきたい。私は人より基本的に器用な人間だが、突出して得意なことがない。能力を表すときに使われたりする六角チャートを思い浮かべて欲しいのだが、私は自分を満遍なく80点くらいの人間であると認識している(六角チャートが綺麗な六角形になっているイメージ)。ただ同期は、自分だけの120点の武器を持っている人が多く(六角チャートで一部だけ突出しているイメージ)、故に私はどの分野でも誰かの120点に負けていて、目立つことはできない。一方で、バランスの良さ、総合点では負けたくないし負けないと思っている。

結果的に今回は点数が良く、上位に食い込むことができた。会社が割と競争的なところなので、これからもこういったことは続くし、でも毎回上位にいれることもないだろうと思う。そして、上位に入れなかった時に、傲慢だが、めちゃめちゃ落ち込むと思う。毎回上位に入れるのが理想ではあるが、下位になった場合の立て直し方、自分の機嫌の取り方、モチベーションの上げ方を早めに確立していきたいと感じた。

読み返してもキモすぎ、井の中の蛙感半端ない。
でもこれが私だし、ちょっとでも頑張れている私を、私は好きなのだ。

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