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あかしと道しるべ

ずっと、小説を書いてきました。

書いてきたのは「自分」を軸としたもの。というか、それしか書けなかったのです。書きたいけど、書けるものが「自分」しかなかった。

見えたもの、聞こえたもの、触れたもの、感じたもの、あるいは感じられなかったもの。そんなものを、ひたすら。

だから視野はものすごくせまいです。狭窄といえるくらいに。それなりに本も漫画も映画も、絵画も写真もみてきて、視野をなんとか広めようとした時期もありましたが、書けるものはやはり「自分」しかありませんでした。

だから、狭い視野のなかを、ただただうつしとり続けてきました。このなかしか見えないなら、せめて小石ひとかけ、草一本、チリひとつ逃すまい、と。繰り返しますが、それしかできなかったんです。

この度、嶋津亮太さん主催の「教養のエチュード賞」で、副賞に選出させていただきました。

拙作がこのようなかたちで選ばれたのは、もう20年近く前、地元紙の短編賞に選出されて以来でした。

その時も嬉しかったですが、今回はまた違った喜びがありました。

賞の主旨がとにかく魅力的だったので、すぐ応募を決めました。受賞うんぬんはあまり気にしていなかったです。本当です。

この賞に応募すれば、間違いなく主催嶋津さんという、顔のみえる方には読んでもらえる。これはすごく大きかった。他の公募賞は顔も名もわからない、いるかすら判然としない下読みの方にしか読まれない。そして目にとまらなければ、なんの批判もなく捨てられる。

いや、そういう世界だからこそ受賞に価値があるし、くぐり抜けた先のひかりがまぶしいのですが、落選を繰り返していると、それが悲しくなることもあるのです。罵倒でいいからなにかひとことがほしい、読んだというあかしがほしい、と。

だからこそ、嶋津さんに読んでいただける、そのことがありがたい。そんなふうに感じていました。

嶋津さんはすべての応募作を三回以上読み返したとか。息を飲みました。でもなにか救われた思いもしました。読んでもらえたあかしが、求めていたものが、そこにあった気がしたんです。

これからも、もしかしたら残された時間は多くないかもしれないけど、書き続けていくつもりです。先の見通しはいいとはいえないけど。

でも、この経験が、大きな道しるべになりそうな気がしています。だからもう少し、あがいてみます。

もう、視野を広げるつもりはありません。 

改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。



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