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邪馬台国論争の考察と問題点


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卑弥呼が暮らした里は、神河町「栗」 卑弥呼の居館は八幡山

魏志倭人伝に記された全ての道程の終着地点は、埴岡の里の「栗」でした。女王卑弥呼が暮らした里は、神河町栗で、卑弥呼の居館は八幡山でした。

邪馬台国論争の考察と問題点

魏志倭人伝は100%正しい

100%正しいとして考察せねばならない


南至投馬国水行二十日


魏志倭人伝に記された「南」は方角ではなく勢力範囲のエリアである

篆文(てんぶん)・篆書体の「南」にその答えがありました

魏志倭人伝に記された邪馬壹国は、
奈良県 大阪府 京都府 兵庫県 隠岐の島(島根県)
にまたがるエリアに存在しました。


邪馬壹国を論ずる人は、

下の3つを必ず正確に説明しなければなりません

1 郡より女王国に至る万二千余里

2 周旋五千余里

3 女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり


魏志倭人伝は100%正しいものです!


上記の3点を正確に述べられない人の論説は、無駄に日本の地位を下げ、
世界の平和を妨げる行為につながるかもしれません。


邪馬台国オリオン座説

現代に受け継がれた「栗石」の語源


能登半島地震と羽田空港事故は重大なメッセージ

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ワンダーランドの住人たち

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