インターネットは恐ろしい
YouTubeでぼっちざろっくに対するネット民の反応動画を見ていたら、虹夏ちゃんについてこんな言葉が出てた。
「虹夏ちゃんにはバブみがある!」
いや、怖くね?
どうも、アツシグラウンドです。
インターネットに依存するのは、ほかに依存できるものがないからなんじゃないかと思ってきました。思考に思考を繰り返すと、最終的に何が何だかわからなくなることがあります。脳みその中を渦巻く思いは、自分ではどうすることもできないほどに肥大化し、肯定も否定もすることができなくなった時、何かに依存しちゃうんじゃないかなって思います。他者に依存すると、裏切られたように感じ、物質的、いわゆる生きていない物に依存すると、狂気的に感じられるので、インターネットに依存してしまう自分がいます。インターネットはその匿名性ゆえ、生きていて生きていないシュレディンガーの猫なわけで、、、
ところで、たまに人間関係を全てリセットしたくなってしまうときがあります。ネコ人間となってしまうのです!いやだ!関わりたくない!誰も僕のキモチを理解してくれない!ってね。自由気ままに生きる、縛られずに生きるとは、めんどくさいものからの解放ではないか!と考えてしまう自分がいます。そしてそういうふうに生きてみようとして、、、
これまでの生き方をリセットして、新しい自分になろうと肯定する昨日の自分を、否定するのは明日の自分ですね。インターネットをやめて、音楽を聴かなくなっても、また数日後には戻ってくるのは、決意がどうとかじゃなくて、そもそもそれがないと生きていけないのに、断とうとするから限界を迎えるわけですよ。ちょっとした絶食みたいな。
ドキドキぎゃるげー展開が現実に起こる確率が低いことは丸わかりですが、それを現実化させようとして永遠に失敗し続けることになるくらいなら、その低い確率にかけて生きてみるってのも悪くないなと思いますが、年齢を重ねるごとに「まぁな」となってきます。このくそ長い文章を理解できるのは自分だけかもしれない、、、
とにかく!俺が言いたいことっていうのは、考えすぎるな!ってことや!あぁ、インターネットは恐ろしい!フェミニストにはなりたくない!だけども、あなたを守りたい!世界の平和を望みたい!湧き出る思いを否定したい!こんな社会はサイアクだ!運命なんて信じない!
結局内容はどうだっていいんでしょうね。学生運動で闘った敵たちは肥大化した自己の爆発なのかもしれません。そんなことを「母性」という映画で言っていたのを思い出しました。
さよなら!お元気で!!!
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