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古志の郷(出雲国風土記)

出雲国風土記の神門郡条に古志郷の地名由来があります。イザナミの時、日淵ひふち川を利用して池を築いた。そのとき、古志国の人々がやってきて堤を作った。そのとき、彼らが宿としていた所である、だそうです。

イザナミの時、とは日本神話の最初の頃の話。古志国とは越国(今の福井県敦賀から、石川県、富山県、新潟県、山形県の庄内地方まで)ではないか、と言われてます。

さて、池を作ったのは灌漑用のため池でしょうか?
堤を作ったのは、洪水の被害を防ぐためでしょうか?

ここで思い浮かぶのは、ヤマタノオロチ伝説です。
スサノオが、人身御供にされそうだった櫛名田比売クシナダヒメを櫛に変えて自分の髪にさして守り、高志のヤマタノオロチを退治します。

櫛は、髪留め、或いは髪をきます。堤も水をせき止め、或いは水の流れを良くします。髪に櫛をさすのは堤を作る暗喩かもしれず、洪水を引き起こす荒ぶる神と髪も懸けられてるかもしれません。時と共に蛇行して流れを変えていく川はオロチの動きそのもの。

スサノオが高天原を追われ降り立った地が出雲国の肥川(島根県斐伊川)の上流で、斐伊川から西へ数km離れた場所に出雲市古志町があります。高志=古志と考えると、オロチ伝説は古志の国から出雲へきて堤造りをした人々が元ネタだった可能性も。

さらに言えば、出雲の国引き神話は遠くの国を引き寄せたのではなく、堤を作れる人々や技術を引き寄せ、湿地帯を使える土地に変えていったのかも。
もちろん、六千年前の縄文海進時から寒冷化によって海水面が下がり、陸地が増えた背景もあるけれど。

神話ってロマンがありますね。
最後までお読みいただきありがとうございました💖

参照:wiki「ヤマタノオロチ」「櫛」「国引き神話」
出雲国風土記「神門郡条」、縄文海進時の日本地図

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