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「高遠城」 ~武田氏、保科氏、内藤氏の居城だった桜の名所~ [日本100名城No.30]

 長野県の高遠城を訪れました。

 高遠城は、戦国時代には、諏訪氏一門の高遠頼継の居城でしたが、1545年に武田氏に攻められ、以降、武田家の伊那への進出拠点として、山本勘助等が改修しました。

 その後、武田信玄の子、仁科盛信が城主となり、織田信長の武田攻めで、織田信忠3万の軍勢の前に、3千の仁科軍は玉砕しました。

 江戸時代に入ると、高遠藩の藩庁となり、京極氏、保科氏、鳥居氏から、1691年に内藤氏が入封。以降、内藤氏8代の居城として明治維新を迎えました。

 2代将軍秀忠の隠し子であった幸松(後の保科正之)が養子に出されたのが、高遠藩保科家で、1714年の絵島生島事件で流罪となった絵島の囲い屋敷もお城の隣にあります。

 また、高遠城址公園は、高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、全国でも有数の桜の名所です。

 4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつけます。

■アクセス■
・中央道伊那ICから、車で約30分

■料金■
・500円(桜の時期のみ)当日は無料でした。
  歴史博物館、絵島囲い屋敷は、400円
   ここにスタンプがあります。

「高遠城:大手門」
「保科正之像」
「絵島囲屋敷」
「高遠城」スタンプ


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