「宇陀松山城」 ~南北朝時代からの大宇陀の城~ [続日本100名城No.166]
奈良県の宇陀松山城を訪れました。
宇陀松山城は、福島正則の弟・福島高晴の居城として知られています。
もともとは南北朝時代に秋山氏が秋山城を築いたことにはじまりますが、豊臣政権においては、伊藤義之、加藤光泰らの居城となり、大規模な改修が行われました。
豊臣秀長の大和郡山城や、脇坂安治の高取城とともに大和国支配の要として認識されていたことが伺えます。
「関ケ原の戦い」後は福島高晴が入城しましたが、1615年の「大坂夏の陣」において豊臣方に内通したとして、高晴は改易され城も小堀遠州らによって破却され廃城となりました。
城下町は重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、現在も優美な町並みを残しています。
■アクセス■
・近鉄榛原駅から、バス15分、徒歩10分
■料金■
・無料
スタンプは、千軒舎にあります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?