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なろう系とJOKER

注意 !!!映画「JOKER」のネタバレ含みます!!!

結論
・なろう系に潜む絶望
・JOKERは逆ご都合主義のなろう系現代劇

今日の暴論の時間です。以下、たぶんに妄想を含んでいることは自覚できていないことも含めて自覚しております。


ここから書くなろう系とはナーロッパなどとも揶揄される舞台のあれです。個人的には現代において消費しやすい工業製品感さえ漂っているあれらをインスタントファンタジーと呼んでいます。ぼくは結構すきです。ご都合主義ファンタジー、ある種のデウスエクスマキナ。主人公(神)が全てを解決する物語、よくオタクの妄想なんて書かれますが、違います。とは言い切れません。そうです。というほど人はシンプルではありません。

理想の妄想、しかし僕が思うにその裏側にあるのは極めて冷静なオタクの世の中への視点です。主人公たちがあまりに似てるんですよ。最強で、高身長で、顔は特別イケメンではないが身だしなみは整えており、行動如何で補正がかかる。基本的には平等で、悪しきは許さず、欠点がない。(と描写されるだけで実際結構歪んでる)妄想だとするならば、仮にも自分の生まれ変わりなのにこんなハイスペックに出来ます?たまに欠点を強調される主人公がいたとしても、主人公なので当たり前ではあるんですが、欠点を超える能力を持っている。もっと言えば欠点とされてもいい性格や思想に対して、全て目を瞑ってくれる仲間たちしかいない。あそこまでしないと、あれほどまでに都合が良い世界でないと、主人公たり得ず、モテず。力を発揮できない。という、ある種の絶望を具現化したモノだと感じることが多々あるんですよね。ただ結局、根底にあるのは多くの物語と同じなんです。

物語の主人公って主人公であるためには平凡では許されないんです。

そんなことはない!特殊な能力で無双するだけではない、スローライフ系や凡人主人公のなろう系もある!って思いますか?そのあなたの好きななろう系凡人主人公、本当に凡人ですか?生死や世界や生活が懸かるシーンで、たった一つの正解を選んでいませんか?選んでるはずです。だってそうしないと死ぬから、物語が終わるから。本当の凡人って本当に何も起きないです。失敗さえ彩れるのが主人公です。特別ではないはずのものたちが特別ではないと言い張りながら、その実、特別でしかない。そうでないと主人公になれないと無意識に、自分自身にすら、その絶望を突きつけてしまっている。それがなろう系インスタントファンタジーです。

本来は現実の失敗も正解への道半ばなので彩られてもいいはずですが、なかなか上手にそう認識できる人は少ないですよね。僕も無理です。

でも実際、あの手の物語は好きです。僕ファンタジー大好きなんです。剣と魔法。主人公無双。チート転生。オタクの妄想大好きです。現実そんな好きじゃないです。ただし僕自身は転生したところで剣と魔法の世界だと即死する凡人だと思います。うどんはおいしい、くらい当たり前で悲しい事実。うどん食べよう。あと当然ですが全てが全て質の低い作品でもないです。質とは数から生まれます。僕はそう思ってます。玉石混淆な市場からは、価値ある宝石が発掘されます。

ちなみに宝石とまではいかないにしてもなろう系って商品としてはかなり優秀です。読者の物語世界への理解を全て簡略化して、どこかにある、何処かで見たテンションの上がるシーンをあの手この手のシチュエーションで提示してくれる産む機械。ある種の美しさすらあります。現代を象徴した工業製品です。言い方は悪いですが褒めてます。オタクの集合知が生んだ新しい構造です。

ってところでJOKERの話に移ります。

JOKERに共感する。みたいな言説が流れましたね。君たち本当かよ?と思いました。JOKERは誰しもがなる可能性がある?いやいやそれはありえないでしょう。強い言葉や悲劇性に引っ張られすぎだと思います。自我に誇りを持ってください。同じ憎悪を抱くことはあります。本当に僕が想像もできないような辛い立場に置かれている人間というものもいます。そういった方々を傷つけてしまっているならばごめんなさい。その気持ちは現実です。

それでも、アーサーの生い立ちと境遇がどれだけ物語の主人公として輝かしいものであるか、見えてないんですか?と思ってしまいます。あれは伝説のヴィランの誕生劇を現代風に語った作品(それだけではないことは後述)です。すべての歯車が完璧に噛み合わなかった結果、誕生した異常。閉塞感のある日常風景が挟まれるから身近に感じるんでしょうけど、電車で3人撃ち殺した後に走って逃げて、逃げて、トイレに駆け込んで、踊れる人っています?奇跡的に(悲劇的に)TVショーに呼ばれ、あんな状態で衆目に己を晒し、ジョークを飛ばし、司会者を撃ち殺す。そしてその殺人ピエロの誕生が街の住人達から祝福される?無理でしょ。あれは物語ですよ。現代って基本的には善人が多いです。いくら貧困層の代表だとしても殺人ピエロを祝福する人は限りなく0に近いと思います。無差別通り魔=JOKERとしているならば生まれるかも知れません。しかし僕が話しているのは「JOKER」です。ヴィランです。今回の「JOKER」は、今の時代における特別ではない特別の物語だったと思います。

ここまで来て、ぼくが前段で書いたものと似てる気がしませんか。逆ご都合主義。ある種のデウスエクスマキナ。特別ではなかったと主張しながら、あまりにも特別な出来事、状況が重なり、異常者が世界に求められる。

なろう系の誕生は社会現象のようなものです。総体としての構造。現代までの物語の進化の一つ。なろう系は恐らく知らないでしょうし僕みたいな捻くれた捉え方もしてないでしょうが、構造としては近さを感じます。機械仕掛けの神様を捏ねくり回して、狂気を一雫加えたものがJOKERです。素晴らしい作品でした。ヴィランの誕生劇を現代風に語った作品だと書きましたが、サクセスストーリーだったし、悲劇だったし、喜劇だったし、作り話だったし、現代劇だったし、寓話だったし、ヴィランムービーでした。実に多様に捉えられる、完璧なJOKERだったと思います。見た人、誰と話しても全然解釈というか、映画への捉え方がバラバラで面白いです。きっといつの時代、どの年齢で見るかでまた感想が変わると思います。そして確実に誰かに話したくなるでしょう。誰かと論争が起きるでしょう。好きか嫌いか共感できるかなんかは置いておいて、それは間違いなく傑作足りえている証拠となるでしょう。


それではこのあたりで、次の物語に期待して、筆を置きます。

お疲れ様でした。

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