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アウトプット:勇者、辞めます(アニメ)

アマプラで全話観た。
それなりに面白かった。ネタバレを大いに含むので気を付けて欲しい。
なにか間違っててもライターでもない素人なので許してほしい。
感想というかとっちらかった思考は下の方に書いている。

勇者レオにより魔王は倒され、平和になった世界。
魔王軍は壊滅的な打撃を受け、人材不足、兵站不足、労働環境の改善の必要性、教育方法の見直し等々…魔王軍の再編のためにてんやわんやの状態であった。
そこにかつての仇敵、勇者レオが俺を雇えとやってくる。
当然憎さ収まらぬ魔王軍としては倒したいが強すぎて倒せない、それなら追い返したいが、勇者レオは言い分だけでも聞けと追いすがる。
あまりに強大な力を持ってしまったレオに対して人類は怯えきってしまいレオを追放してしまったらしい。
そんな人類はもう知らない、それなら魔王側に就いて人類を滅ぼしてやる。お前らの労働環境は俺がブラックからホワイトに変えてやるぜ!
原因は勇者自身なのだが猫の手も借りたい状況、そんなレオの言い分を、四天王の面々はその働きから見てみようと、魔王には内密にしたまま各所で働かせてみることに…。

そんなスタートではじまる。

そして以下で、盛大にネタバレするが

上記のレオの言い分は間違ってはないが、別の目的があった。
まず、レオは3000年前、今の文明が起こる前に滅びた文明から生き続けている生体兵器であった。
製造された瞬間から人類を守る使命を植え付けられていたため人類を守り続けていた。
それと同時に人類へ反抗するための術を思考できないようにも作られていた。
だが長く稼働しているうちに後者は機能しなくなっていた。
人類を守り終えたレオは、自分が人類から必要とされなくなってしまうのではないか?という恐怖に怯え、自らの手で人類への脅威となる生体兵器を開発してしまう。
すんでのところで偶然、魔界からの侵攻があり生体兵器を破壊したが、このままでは自分が自分の手で人類を滅ぼしてしまうことを危惧したレオは自分の死に場所を探すことにする。

それでなんやかんやあって魔族がいいやつらだったんでそいつらに殺されよう、殺されて自分の動力源である賢者の石を使ってもらって、魔族にいい感じに使ってもらおうって考えて最初のあらすじの行動をとったりなんだりする(突然の投げやり)

普通に面白かった。
私はうたわれるものが大好きなのだが、ファンタジーと見せかけてSFです。みたいな展開は好物だ(飛び火したネタバレになってるが流石に20年くらい経ってるからこれも許してほしい)

魔王軍の環境改善に関しては、まぁご都合主義というか、平和な世界ですねという感じで、見どころはそこまでない。リリ(獣人ロリ)が可愛い。中学生くらいまでなら楽しく見れる気がする。
そこは別に作品が悪いわけではなく、こんな年になってまでアニメ見てる私の都合なので非難するつもりはまったくない。
だってそこをあんまりリアルにしてもしんどくなっちゃうし。

SF部分も特別なほどではないのだが、きれいにオチがついており良かった。ちゃんと起承転結の物語をしてる作品だった。

ここまですごい前置きが長くなったが、私が書きたかったのはそういう作品的な部分ではなくて

他人に頼らず、一人で答えを出して終わらせようした主人公が、それでも他人に必要とされて、生きていくことを選択できたことが羨ましい

と思ったことだった。
至極、当たり前のことかも知れない。
ただ改めて、自分ってそういうことを羨ましいと思うのだなと納得がいった。

自分のために動く場合と他人のために動く場合で、どちらのほうがやる気を出せるかというのは人によるとは思うが、私はどちらかといえば後者だ。たぶん。
(当たり前のことかもしれないが)感謝されることはすごく嬉しい。
自己肯定感が限りなく低いので、その乾いた心を満たすために感謝されようと「いい人」な言動をすることが多々あった自覚がある。
それと同時に、最悪どうにもならなくなったら死ねばいいやと考えて生きていた。
おそらくこの状態が良くない。
死ねばいい、というある種では安易な解決法を抱き続けているせいで、現実への執着がない。
こういったことを書くことは不謹慎というか、本当に死が身近にある人に対して申し訳ない気持ちもあるのだが、自分でも長年どうしたらいいかわからなくてこうやって吐き出しているので好きに書かせていただきたい。
読まれているかわからないし、誰に対してという感じだが、ごめんなさい。

話を戻す。
いまさら強い欲求を持てるのか、そもそもそういった人種なのかわからないが、とりあえずここはちゃんと生きていけてる人との差異であろう。
このアニメの主人公も3000年もの間、勇者という役割を続けていくなかで、自らの強い欲求というものを知らずに生きていた。
途中過去編で登場するとあるキャラクターが主人公に対して、本当に自分の役割が終わったら自分のしたいことを考えて生きていけ(うろ覚え)みたいなこと言っていたが、観ているときはよくあるシーンのよくあるセリフだなと思っていたが、ここまで感想を書いてきて、きれいに自分に刺さっていることに気づいた。
役割なんてものは持ってなかったが。
そこが良いと思ったわけではないと考えて書き出していたが、意外とそこがそもそもこの作品を良いと思った理由だったりするのだろうか。相変わらず自分のことでも何もわからないものである。

とにかく、これまでは意識せずに、自分のためだけに、投げやりに生きていたっぽい。
これを改善していくのが今後の課題になる気がする。

面白い作品に出会うことと、自己理解が深まることは生きている理由だと思っていたが、それだけではダメっぽい。

他人に責任を被せるということではなく。
何を喜び、何をできていないときに、何もできなくなるのか。
そのあたりの自己理解を深めたいと思う

というようなことをアニメを見ながらつらつらと考えていた。
私は、こういう風に見ているものから意識が飛んで、自分の思考が全然関係ないところでぐるぐる動いている時に見ていたものを良かったと思いがちである。
本当につまらない作品は、それすらない。ただつらい。
逆にもっともっと面白い作品の場合は、作品への解釈に夢中になる。

わかりやすい問題点としては、守る家も愛する人もいないので、人のために生きるというわかりやすい解決策が、現状とれないことだ。
実際、この解決策がとれれば本当に強かったのになぁ。
これまで生きてきて自分と似たような人間と出会うこともあったが、今は子供の成長だけが楽しみだという発言が本当に心の底から羨ましかった。
ただ同じ状況になったときに同じ言葉が吐けない気もして怖い。
ペットを飼うのもありだと思うが、これまで飼ったことがないし、人より無力な彼らの場合、命を預かる責任が重いのでどうしたものかと悩んでいる。


当たり前のことを書いただけな気がする、まぁそれでもいいか。

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