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日記 No.41 動き出し


本日のヘッダー

「海外 空」のカテゴリで出てきた写真。ARIAが好きなのでそういえばヴェネツィアには行ってみたかったんだよなというのを思いだした。ヴェネツィアじゃなくても違う国の空と街並は見たい。今年は色々と無理そうなので、来年はどこかに行こう。とりあえず沖縄あたりでもいい。

日記

「ルックバック」の映画がそれはもう本当に良いものだったので、感想を書いても良かったのだが、もう1回くらい観てから書きたいやら、公開する気のある文章をしばらく書いてなかったのもあり中々言葉が出ないやらで進まなかったし(映画は本当にとてもとてもとても良かった。これを書いている今も観に行きたい)連続投稿月記録が途絶えそうだったので、無理やり書いてみている。最近は書いても映画の感想や雑感想としてまとめて一気に書いているものばかりだったので、日記を書くのは久しぶりだ。前回の日記を見にいってみたら2023年の6月26日に書いていて、おおよそちょうど1年前だった。内容としては、いつのまにか楽しめなくなってしまったと思っていたものも意図的に楽しみ方を考えてみたらまた楽しめるんじゃないかといったことを書いていて、今現在それが実践できている状態にあると思えるので、意外と自分で書いたことをちゃんとやれていて少し驚いた。日記に書いていたものはその場その場の衝動的な思いだったので、もちろん嘘を書いているつもりはなかったのだが、継続する現実としての今の行動とおおよそ一致できていてなんだか嬉しくなった。

 あとは雑感想で備忘録を書いておきたい作品も溜まっているのだけど、今年の始めに日課にしようと宣言してしばらくサボってしまった小説の写経が復活できていて、それが色んな欲求を満たしてくれているので、無理に書かなくてもいいかとなっていた。と書いたところでこうやって引っかかっている時点で良くはないのでちゃんと書こう。とりあえず毎日文章を書いてはいる。半歩でもいいから日々積み重ねるのだ。この日記もまた積み重ねのひとつということにしておく。

 自分への言い訳はともかくとして、長らく無職生活をギリギリのところで続けてきたが再度働くことになった。自分なりに無職の期間も動いてはいたが、改めて動き出した感がある。違う業界も探したが結局は前職の経験を活かして同じ職を選んだ。辞めた時は疲弊しきっていたが、たっぷり休んだ分なんだかやれそうな気分になっているし、自分が自分の人生の時間を懸けてやりたいと思っているあれこれへの足掛かりもちゃんと日々作れているし、大丈夫な気がする。不安はあれど前向きな気持ちがある。生きていれば脳に血が巡り、ちゃんと変化が起こるものだ。

「君と宇宙を歩くために」という漫画がある。というっていうかマンガ大賞2024に選ばれているのでもう十分有名だろうが、その漫画の中に出てくる先生がこういう言葉を紡ぐ。
「自分を分析して 苦手なことを発見できるってすごいことですよ」
「・・・・・・ずっと自分と向き合い続けるって きっととても大変なんだから」
「頑張った分くらい 休養を取っても かっこ悪くはないと思います」
その通りだと思う。さらに言えば別に例えかっこ悪くてもいいとも思う。それでも人は生きていかないといけないから。私のこの時間も自分と向き合った時間だったと思う。向き合うことをずっと避けていたから、すごく時間がかかったし、人間には自分の過去の行いを価値があるものだったとバイアスをかける傾向があるので、多分に漏れずそう思いたいだけだというのは否めないが、だとしても私には必要な時間だった。あまり自虐的にならずに自分のことを認めて褒めてやるのも大事なことだ。自分だけの経験を他人に過度に押し付け過ぎなければいい。自分が自分のことを好きでいる努力を誹られる謂れはない。

 7月になる。外に出るとじわりと汗が滲むようになってきた。人によっては「もう」7月かと、言うこともあるだろう。1年の半分が過ぎたのかと。私は休養期間を過ごしていたので(去年もだが)、人によっては時間を無駄にしたとも見えるだろうが、私の認識としては自分を変えるために大いに意義のある時間を過ごせたと感じている。何より大量の積み作品を崩しまくれた。とても大切で濃密な時間だった。動き出してからも同じように思える日々を過ごしたい。いや、過ごそう。これは決意表明だ。また1年後か、いつかふと日記を書こうと思った時に、これを読んで「実践できている」と胸を張って返答できる自分でありたい。

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