タクシー

指定のボトルを買えば一生ただで浄水した水を汲めるサービスを実施しているスーパーが近くにある。4リットル×3ボトル、うち2ボトルはリュック、1ボトルを片手に、もう一方の手にはトイレットペーパーをぶら下げ、駐輪所に戻るときのことだった。レッドバロンと名付けた僕の愛すべき2万円以下のクソ安ママチャリの前で佇む影が一つ。小太りなその影は自分のマウンテンバイクの上に両手をつき、何をするでもなくそこに立っていた。少し違和感を覚えたが、一旦気にせずに彼に「どいてください」とお願いをして、荷物を籠に突っ込み出ようとしたとき、不意に彼が「動けなくなっちゃって…」と呟いた。

彼の背中にあるのは真四角の大きめのリュック。つまりフードデリバリーの配達員である。今日は湿度75%超、気温35度超で日本らしいじめっと重い空気が纏わりつき続ける嫌な暑さの日だ。時刻は夕飯前、昼間にしゃかりきと働いたことで汗をかきすぎて、次のエネルギー摂取を前にして恐らく彼はハンガーノックになってしまったのだろうと悟った。

「大丈夫ですか?救急車呼びます?」
「タクシーで…お願いします…」

ハンガーノックならば救急車を呼ぶというよりは早く帰って横になりたいという気持ちの方が強いだろうということはなんとなくわかる。ここは彼の言う通りにタクシーを探してあげることにする。

彼が動けなくなってしまっていたのは、商業施設と体育館のある公園の間の二車線。家族連れやスポーツ目的の人がよく来るその通りでは、いくら待ってもタクシーはあまり期待できなかった。二車線を突っ切った先にある大通りまで行けば確実に捕まるが、大通りから直接この二車線には入れないようになっているため、僕は反対側の方へタクシーを探しに行くことにした。同時にネットで調べたタクシー会社に手当たり次第にかけ、呼べないかを確認した。しかし一向にタクシーが通る気配はないし、どこの会社も配車に30分以上要するという。祝日の夕方、まだ酔客なども少ないこの時間帯でなんでそんなに空車がないのか疑問だったが一旦諦めて、今度は初めに選択肢から外した大通りまで行った。

さすが大通り、僕が出ていった瞬間からすでに2台も空車のタクシーを見かける。1台目に話しかける。

「すみません、ちょっと向こうで意識はあるんですけど動けなくなっちゃった人がいるのであそこまで来てもらえませんか?」
「え?この大通りからは直接入れないよ」
「なので一本先の信号を曲がって商業施設の周りをぐるっと入ってもら…」

僕が言い終わらないうちに、信号が青信号になったのを見てタクシーが発車した。一瞬理解できなかったが、面倒くさいので相手にされなかったのだということがわかった。ファックサインを掲げたのち頭を切り替え、2台目にも話しかける。2台目の人は僕の話を途中で潰すことなく、全部聞いてくれた。商業施設の周りを回ってくるようお願いをし、彼の下へと戻る。もうすぐ来る旨を伝え、タクシーが回ってくるのを待ったが、5分以上経っても来ない。確かに遠回りなルートではあるが3分もかからない距離だ。彼に来ると伝えた手前もあり、いたたまれない気持ちになる。あまりにも来る気配がないので、先回りして待つことにした。だが商業施設のルート上のどこにも、2台目のタクシーは見かけなかった。性善説ならばルートがわからなかったから、性悪説ならば面倒だったが断るのもややこしいので話を聞くだけ聞いて、元々来る気がなかったか。道のプロたるタクシー屋で前者の可能性は薄いだろう。1台目よりもよっぽどタチが悪い。

大通りのタクシーはもう期待できないと見て、少し離れたところまで自転車を走らせ1台捕まえる。大通り経由だと道幅が広くて商業施設の周回には2回も右曲がりをする必要があり、信号待ちなどの兼ね合いもあって自転車では案内することが難しかった。今度は導線的にも左曲がりで入れるルートなため、案内しやすい。これで同意したフリして逃げるなどという退路を断たせた。

無事に彼の下までタクシーを案内することができた。ハンガーノックならば水分と塩分が必要と考え、ポカリを彼にあげる。その間、タクシーの運ちゃんは彼の自転車が入るように座席を倒そうとしている。しかし不慣れなのかいつまで経っても倒した座席が元に戻ってくる。何やってんだと僕は彼の自転車を掲げて突っ込み、自転車を重しに座席が戻らないようにして出発できる準備を整えた。

僕の役割はここまで。彼に手を振り、帰宅した。必死だったからか、帰宅してから体中から汗が一気に噴き出てくる。シャワーを浴びて洗い流す中、今日のタクシーとの一連の出来事に思いを馳せる。そういえば似たようなことが京都でもあった。

経緯は忘れたが、あれは道端で困った外国人を何かしらで助けたときのこと。彼はタクシーでここまで行きたいとGoogle Mapを表示して説明してきた。なのでさっそく手を挙げ捕まえ、運ちゃんに説明をすると、外国人?なら乗せねえと予想だにしない答えが返ってきた。到着地点は僕が日本語で説明するから問題ないと反論したが、乗せないの一点張り。こんなやつには頼れねえと諦めることとなった。当時から京都はインバウンドが多く、観光都市なのでタクシーの仕事なんて引く手あまたなのはわかる。だとしても僕らの母国を楽しく旅行してくれている彼らに対して、言葉が通じなくて面倒くさいからと相手にしないようなくだらない国に来てしまったなんて思ってしまうようなエピソードを残したくなかった。なんとかしてあげたかったけど、彼らは僕に対しての申し訳なさもあってか、外国人専用のタクシーを見つけるよと行ってしまった。

僕にまつわるこれらの胸糞悪いタクシーのエピソードにおいてはいずれも、確かに少し面倒くさいが仕事の延長でしかない。仕事として金を稼ぎつつ人を助けられるなんて万々歳でしかないではないか。外国人だろうが、ハンガーノックで動けなくなった人だろうが、ゲロ吐いて座席汚しまくったりして迷惑かけない限りは人を運ぶプロとして仕事を全うしろよと思うのは傲慢なことだろうか。

タクシー運ちゃんの質が低下したからこのような有様なのか。それとも日本全体での助け合い精神自体が弱まっているのか。その如何はわからないが、僕のタクシー運ちゃん選びの「運」が悪かったと、思いたいばかりである。

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