性癖

僕は自分の性癖が歪んでいることを多いに自覚している。具体的な内容はエゲつないので省くが、自分の欲を100%満たせる相手を見つけるのは無理だと諦めているレベルだ。そもそもなぜこんなことになってしまったのか。

始まりは幼稚園時代、父親がトイレに置く講談社発行の漫画雑誌、モーニングのせいだ。あの雑誌には僕の性癖の原点が二つも眠っている。それもどちらかというと偏っているものが。

まず一つ目は『えの素』。僕が知る漫画の中で最もお下劣な漫画だ。エログロ主体だが、デフォルメによってエグさを感じさせない唯一無二ギャグで、大人になった今でも完全版を買い、定期的に再読している。どういう漫画かをイメージしやすくするために、本漫画でよく出てくる「ペニセスト」について綴る。要は勃起で、誰しもが英語で習う比較級の最上級変化「~est」のペニス版である。登場キャラたちは「ペニセスト!」と叫びながら最上級に勃起したちんこで天井とかを突き破ったりする。主人公が親父のアナルに間違って挿入してしまい、抜け出せなくなった状況を打開するべくペニセストさせた結果、勃起ごと親父がぐるっと世界一周して今度は主人公のアナルに親父のちんこがぶっ刺さたりする。なんだこの文章。

兎にも角にも、『えの素』のヤバさは伝わっただろう。そう、僕は勃起という概念すら知らないウッブウブ時代からいきなりこんな情報を知ってしまっていたのである。前述では男しか登場しなかったが、『えの素』ではセクシーだったり可愛かったりする女性たちへのセクハラも死ぬほど描写されている。用を足しながらそれを読んで、自身も無意識にペニセストを習得したものだ。歪んだエロを知ったのが早すぎた。知った内容こそエグいが、それ自体が持つ意味は知らなった。だからある日『えの素』をたっぷり読み、ペニセストを正さないままに、父親待つ風呂に突撃しまうという醜態を晒すことになる。以来モーニングはトイレに置かれなくなった。とても悲しかった。

二つ目は『リーマンギャンブラーマウス』。タイトルから察せられる通りギャンブル漫画なのだが、本質はそこではない。ギャンブルの多くは、心理戦が主体になるだろう。読み合いと胆力をもって、時には運すらも手繰り寄せる。そんな綱渡り感が物語のミソとなるのだろうが、なんとこの漫画は女体盛りで手繰り寄せる。勝負のツキが回らなくなってきたら、主人公マウスに恋焦がれるインドまぐろ子が、アチアチのかつ丼とかを自身の裸体に盛りたくって来る。マウスはそれをガツガツと食う。インドまぐろ子は悦ぶ。ツキが回復して勝つ。なんだこの文章。

小学生の僕はギャンブルのルールなんて飛ばして女体盛りのシーンだけひたすら読んだ。良いなー、僕も食べたいなーって。ペニセストさせながらその絵を脳裏に焼き付けた。未だに女体盛りに焦がれる。綺麗に食べて相手を喜ばせる自信しかない。フェラ後にキスを求められて嫌がる男がいるようだが、そんなカス野郎は捨て置け。男なら一生懸命やってくれたら、自分の精子が顔に付こうがなんだろうが気にせず貪るように応えろ。マウスが女体盛りを食べる様から、教わった。この漫画は他にも「肉棒以外の情けはいらない!」などの名シーンがたくさんあるのだが、それはまた別の話。当時のモーニングはとんでもない連載陣であり、それをリアルタイムで幼いうちに摂取してしまったという危うさが、これで伝わっただろう。

おかげさまで小学生からはコンビニでエロ雑誌を堂々と立ち読みするという残念な成長を遂げることになる。しかも一人で店員に怒られたくなかったので、嫌がる友達を無理やり連れていく情けなさを添えて。18禁雑誌コーナーはあの頃からきちんとテープで留められて立ち読みできないようになっていたのだが、それをおもっくそ剝がして読んでた。ピザ配達員のお姉さんのエロ漫画が好きだった。「つーんと香るチーズ、素晴らしい!」とか言いながら男がドサクサに紛れてクンニしまくる描写を今でも思い出す。未だにもう一度読みたくて検索するのだが、見つかる気配がない。

そうして自身のエロを醸成していく途中で、小学生時代後半からは父親の転勤でドイツに移り住むわけだが、そこでも更なる開拓をすることになる。僕の父親はドケチだったので、海外駐在の日本人誰しもが加入する『JS TV』という日本語チャンネルを、我が家では導入してくれなかった。他のクラスメイト達がJS TVで日本のアニメを見る中で、僕は訳の分からないドイツ語でギャーギャーはしゃぐスポンジ・ボブなぞを見て過ごすしかなかった。しかしドイツ語の放送なんてすぐ飽きが来るわけで、暇つぶしにチャンネルをパラパラ変えてみるとなんと日本では12チャンネルしかなかったのが、ドイツでは3桁以上ものチャンネルが存在していることに気づく。日本と違い、海外のテレビではアホみたいな数のチャンネルが存在するのだ。大発見だった。

とはいっても大したチャンネルはほとんどない。アホ顔で口開けながらチャンネルをめくっていると、なんと偶然ドイツ現地のエロチャンネルに辿り着く。まさか地上波にエロチャンネルがあるとは思わなんだ。見つけちまったもんは仕方ねえ!家族とのお出かけを断りまくり、ひたすら見まくった。有料チャンネルに誘うためのお試し版的な内容でしかないのだが、そんなこと当時は知る由もない。もしかしたらこれを見ることで、うちに多額の請求が来てしまうかもしれない。そんな恐怖が頭の片隅にありながらも、見まくった。会員登録を促すための内容なので決定的なシーンはないが、あのあとちょっとであそこが見えるかもしれない期待感を抱いては、裏切られるを繰り返すのがたまらなかった。小学生にして洋物デビュー。

なかなか理解してくれる人がいないのだが、僕はラブホやカプセルホテルで観れるクソデカモザイク、クソしょぼカメラワーク、クソおもんなシーンまみれのエロチャンネルが大好きだ。もっといいAVなんて今ではいくらでもネットに転がっているが、それはそれとして別腹であのエロチャンネルがどうしようもなく愛おしい。最近ではビデオオンデマンドを導入しているホテルがほとんどで、もはや絶滅危惧種。嘆かわしい限りだ。あれの何がいいのかと問われれば、ずばりしょうもなさである。エロチャンネルはしょうもない。だからこそワクワクする。絶対観続けても大したシーンが来ることはない。だが思い出して欲しい。ラブホでスケベなことをする前の腰の浮くような高揚感。カプセルホテルの狭い空間で、一人冒険心を胸に咲かすワクワク感。そのときにいつも隣に寄り添い続けてくれていたのはあのエロチャンネル達だ。ドイツのエロチャンネルはまさにそういったあはれを解する力を僕に授けてくれた。ありがとう、すべてのエロチャンネル。滅びよ、すべてのビデオオンデマンド。

帰国してから時代はネットへ。友人から教えてもらったXVideosで履歴を消さずにエロ動画を見まくる日々だった。僕はドイツ時代に一年半だけインターナショナルスクールに通っていたので、英語が半端にできる。高い学費を払って通わせてもらい、培った英語力で、僕はXVideosの検索スキルを磨いた。動画のタイトルやタグから、性癖にまつわる英単語を覚えまくった。Bushとか、Prolapseとか、Pumpedとか、Berry-punchとか。何分開拓精神が旺盛なもんで、自分の性癖の範疇かどうかに限らず、偶然見つけた独特な性癖はどんどん深堀した。早いうちにモーニングで性の世界の広さの一端を見ていたので、「いや、世界はもっと広いはずだ」を繰り返す。その癖色恋にはわりと奥手だったので童貞喪失が遅くなった分、代々継ぎ足しされ続けた歪みはたっぷり熟成された。

こうして一通り、自分のエロ履歴書を書くだけ書き、大したオチもないのだが、我ながらなんとも楽しいエロデイズを過ごしてきたものだと感嘆している。小学生時代は変態と言われようものならば嫌がったものだが浅い浅い。変態からすべては始まる。変態の方が人生得。心からそう思っている。なぜならば性癖も一つの価値観であり、数が多ければ多いほど、理解できる世界が多岐に渡るということだからだ。

例えば僕はアイドルという文化が好きじゃない。アイドルオタクたちが、何故あれを楽しんでいるか、理解することができない。でも僕ではわかり得ない楽しさがあるから、コミュニティができるわけであって、僕は彼らが楽しんでいる様を、ただ指を咥えながら「わかんないなー」と棒立ちして見るしかできない。つまり人生で見出せる楽しさのうちの一つを損していることになる。勿体ない。

性癖にも同じことが言える。たくさんの性癖がわかるからこそ、楽しい!ペニセスト!と感じるものも多くなる。良識をもってコントロールできれば変態は楽しいものだ。矯正する気なんて一切ない。これからも素晴らしきエロデイズを邁進していく所存である。

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