[2020.10.19-25]サウナ、概念、純粋経験(1)

先日、サウナ北欧の貸し切りに誘われた。3時間浴室を使い放題で、その上実力派ぞろいの熱波師たちのアウフグースを受けられるという。当然「行けません」と答えられるわけがないので、あらゆる用事を無視して参加した。北欧といえば、ドラマ版『サ道』におけるホームサウナとして有名だ。

しばしば外気浴スペースが絶賛されるが、露天風呂(トゴールの湯)の左右に大きく空いた隙間を風が吹き抜ける瞬間が本当に気持ちいい。真上が覆われた構造でありつつ、逆に解放感が強調される。あのスペースを思うがままに独占できるというだけでも、かなり贅沢かつ申し訳ない気持ちになる。

その日アウフグースしに来た熱波師は5名で、それぞれ得意技を披露してくださった。中でも特徴的だったのは五塔熱子さんの「ミントパンチ」という超強力なミントのアロマをふんだんに使ったサービスだ。全身が爽快な香りと強烈なスースー感に包まれ、熱いのか涼しいのかわからなくなった。

サウナ室から出た瞬間、体の表面に触れる空気の温度が下がってスースー感が一気に強まった。これで水風呂に入ったら、いったいどうなってしまうんだ……と期待せざるをえなかった。しかもその日、北欧の水風呂の温度はピッタリ10度になっていた。シングル(1桁)ギリギリの、超冷たい設定だ。

いくら水風呂に慣れていようと、冷たいものは冷たいのである。その日集まった大の大人たちが、揃いも揃って「冷たい!」しか口にしなくなる時間が訪れた。どんな人生経験があってどういう経緯で今日ここに来るに至ったのか、そんな文脈は一切吹き飛んで瞬間的な「冷たい!」感覚に支配される。

それは、子供がプールでキャッキャ言いながら遊んでいるのと何ら変わりのない風景だった。当然、私も水風呂に体を入れた瞬間「冷たい!」しか言えなかった。その瞬間、以前から参加しているオンライン坐禅会で繰り返し説かれる「概念と純粋経験」の話がだしぬけに「感覚」として全身を襲った。

発達した前頭葉を持つ人類の特徴は、物事を「概念」で把握できる点にあるという。例えば、日本語話者なら「ひ」という1音節を聞いただけで「火」を連想し、火が燃える様子や熱さを思い描くことができる。圧縮された「火」という概念から、元の「現象」を仮想的に展開している形になる。

しかし当然ながら、頭で思い描く「火」と実際に火が燃える現象はまったくの別物である。目の前で燃える火を直接感じることに相当するものを、禅では「純粋経験」と呼ぶらしい。住職が言うには、日々の坐禅の実践とはすなわち「概念と純粋経験の間」を往復しつつ観察し続ける行為であるという。

「10度の水風呂」がものすごく冷たいことくらい、聞いた瞬間にわかる。そんな設定の水風呂はレアなので、サウナに頻繁に通う人でも想像すると皮膚が引き締まるような気分になるだろう。その気分をもたらす存在こそが、過去の水風呂経験が圧縮された「概念」としての水風呂ということになる。

一方、実際に体を10度の水に浸す行為は、全身の皮膚の表面にある感覚受容体から極端な信号を一気に入力する形になる。その暴力的な現象に言語を介した反応がまったく追い付かず、現象に含まれるほとんどの情報は外部に伝達不可能となる。結果、その場は「冷たい!」の大合唱となる。

サウナ室で「熱い」と汗をかき水風呂では「冷たい」とはしゃぎ、外気浴をすれば「ととのった」だの何だの言う。思えば、その一連の体験が「サウナ」3文字に圧縮されている。そればかりか、浴室から出て休んだり食事やお喋りをしたりする、その前後の時間も含めて条件反射的に連想される。

ここまで考えたところで、Oculus Quest 2が届いた。VRに触れるのは初代Oculus以来久々なのだが、体験をリアルにする各要素の進歩に驚いた。毎日『FitXR』でボクササイズをやっているのだが、これがまたしても「概念と純粋経験」の関係性を考える上で興味深いので、次回続きを書くことにする。

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毎週末に1記事ずつ追加されます。その週に考えたことを、浮かんだ順に書いていきます。 ※扱うトピック(予定):言語、生活習慣、認知行動、サウ…

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