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あの子たちはどこに行ったのだろうか

わたしには「太郎」という子がいる予定でした。

男性には珍しく、高校の時に子どもがほしいと思った人とつき合いました。車を購入する時に決めた車も「太郎」想定してファミリーカーを購入していました。ベビーカーで赤ちゃんを見るたびに「太郎」って小さく呼んだり、だいぶ変わった人だけど、いずれ「太郎」を一緒に育てるのかなと思っていました。

40歳になって「太郎」がほしいと言われても確率が減るので30歳半ばでこちらからプロポーズをしました。婚約期間に夫婦になるビジョンがあまりにも相手から出てこなかったので、子どもは…と聞きました。

「できたら産んでいい」

なるほど。普通の人だったら怒るけど、彼らしい変わった返答でむしろ好ましく思いました。その頃、「太郎」の話も出なかったけど、ほしいのであれば何かしらアクションをするだろうと楽観的に考えました。

結婚の延長上に子どもがいると思っていたタイプなので、安心してその日がくればいいなと感じました。

結果、38歳の結婚相手に対して、子どもを持ちたいという意志はないようです。パートナーと育てる前提でしか、子どもを持ちたくないので婚姻関係が続く以上、自分の子どもは持つことがないのでしょう。

わたしの「太郎」「花子」はどこに行ってしまったのだろうか。たまに堰を切ったように涙を流し、俯瞰しているもうひとりの自分が、憐憫の情をかけるのでした。


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