ショートショート『疑わしい笑顔』
『疑わしい笑顔』
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眩しい。なに、なに、いったいあれは何なの。
大きな何かが迫って来た瞬間、押し飛ばされて転がっていく。同時に背後から鈍い音が鼓膜を震わせた。
なに、何が起きたの?
恐る恐る振り返ると、そこには血に染まった母さんの姿が。
なんで、どうして。
「お母さん、お母さん」
嘘でしょ。これは夢だよね。
「お母さん、お母さん。返事をして。ねぇってば」
目を見開いたまま母さんは何も話さない。
嫌だ。こんなの嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。死んじゃイヤ。
遠のいていく一台の車。あいつか。あいつが母さんを。睨みつけて母さんに再び目を向ける。
あいつじゃない。私だ。私が道路に飛び出したりするから。
「お母さん、ごめん」
違う、違う。そんなことより早く助けないと。母さんはまだ生きている。そうでしょ。
「母さん、目を開けて。返事をして」
目の前がぼやけていく。母さんの顔が歪んで見える。ダメ、ダメ。
いくら呼んでも、返事をしてくれない。ピクリとも動かない。
嫌だ、ひとりぼっちにしないで。
「誰か、誰か。お願いだから、誰か助けて」
歩道を通り過ぎていく人の流れ。どうして、みんな素通りしてしまうの。
「助けて、お願いだからお母さんを助けて」
私の声が届かない。どうして、なんで。みんな人でなしだ。
あっ、眩しい。
気づくと側道に一台の車が停車していた。ドアが開き、走り寄る男の人が目に留まる。
「助けて、お母さんを助けて」
しゃがみ込んできた男の人をじっとみつめた。
「可哀想に。お母さんかな。ほら、こっちおいで子猫ちゃん」
えっ、なに。なんて言っているの。わからない。けど、優しそうな人。
母さんを助けてくれるんでしょ。私の声が届いたんだよね。
大きな手が私の前に差し出された。なに、なんなの。
私は反射的に男の人の手をぺろりと舐める。ほんのちょっと頬を持ち上げる男の人。けどすぐに元の真面目顔に戻ってしまう。
「子猫ちゃん、ごめん。僕のせいだ。君のお母さんを殺してしまった。本当にごめん。僕がきちんと埋葬して弔ってやるからね。だから、おいで」
小首を傾げて、男の人を再びみつめた。
「大丈夫だよ。ひとりぼっちになんてしないから」
いったい、何を言っているの。
あっ、ちょっと待って。あの車、さっき走り去った車じゃないの。母さんを殺した車だよね。
私は男の人から一歩退き、じっとみつめた。
(完)
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