クトゥルフは一般人をやるゲームなのか

とぉ~く氏の「CoCは一般人」について

https://note.com/tooku_lj/n/n98262b3c21e8

CoCのPCは「探索者」と呼ばれているが、そのPCは「一般人」だと言われる。
自分自身も誰かに言われて「探索者=一般人」という刷り込みが強くあり、ルルブの目安に従わせてたケド、PLからの不満も多くて悩んでた。
そして様々なゲーマーと卓を何度か囲むウチに、この「一般人」が人によって幅があり捉え方が違うのではないかと気がついた。

CoCにおいて、「一般人」とはなんであろうか。
「クトゥルフは現代日本が舞台のゲームである」で記載したように、「一般人」という単語から何を思い浮かべるか、である。

例えば、声優大坪由佳氏の2020年10月31日の結婚に関する報告を見てみよう

私事ではございますが かねてよりお付き合いさせていただいていた一般男性(29)の方と先日入籍いたしました事をご報告させて頂きます

ここで「一般男性」というのは、タレントなど芸能関係者ではないという意味である。

マーベル・コミックの「シビル・ウォー」で「スーパーヒューマン登録法」という法律が可決される。マーベルコミックの世界(アース616に限らず)で一般人というのは、この「スーパーヒューマン登録法」の対象とならないような人たち、すなわちスーパーパワーを持たない人たちのことである(もちろん、マーベルヒロイックロールプレイで一般人作ることも可能ではあるが面白いとは思えない)。

ゲームではどうだろうか。
D&D4thでは、そもそもPCは英雄である。シャドウランはランナーと呼ばれる使い捨ての駒だ。これを「一般人」というのは難しいかもしれないが、一般人では無いというのも難しい。
Call of DutyやBattlefieldは兵士である。バイオハザードも兵士と言ってもいいだろう。しかしBioShockは一般人だ(そうでないとわかるのはストーリーの後半である)。
諸々挙げていってもしょうがないのでこの辺にするが、こういったゲームでの「一般人」というのは、主人公でプレイヤーが操作できるものである。一応その辺の雑魚とは違いタフであったり、変な力が使えたりいろいろできたりする。

TRPGはゲームである。つまり「プレイヤーキャラクターはゲームを成り立たせるうえで、ある程度の強さがあったり、物語を進めていけばある程度の世界への影響力が生まれてきたりする」という同意があるだろう。一般的なコンシューマゲームならばそうだ。キャラクターが死にやすいゲームなども当然あるが、「ロールプレイイングゲーム」と言う単語を聞いてそういったものをいの一番に思い浮かべる人はどうかしている。
つまり「クトゥルフはそういった人たちではない」という意味だ。スーパーパワーもなければ、キャンペーンを進めていってもその世界での地位が向上するわけでもない(するシナリオもあるが、する方が異常なシナリオである。)。
要は「クトゥルフは一般人をやるゲーム」というのは、この前の文章として「一般的なRPGは英雄であったり冒険者であったり、その辺に出てくる町の人や雑魚敵よりも強い、強くなるが」、が存在している。
このスキーマがあってからの「一般人」と言えば、能力値がいくら高かろうが、身近ではないけど世間では見かけますよね、程度の人となる。しかしこの前段の説明がなく「クトゥルフは一般人をやるゲーム」という文章だけでは、「一般人ってどういう意味やねん」という疑問が生まれてくる。

ロールプレイングゲームの一般的な印象から外れているから「一般人である」という説明が必要となるのに、その前提が共有されないまま説明がなされるのは多い。

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