ルールブック未所持GMの考え

一時期よりは減ったとはいえ、なぜ、ルールブック未所持GMが多いのか、特にクトゥルフに多いのかを考える。

なぜ、ルルブ未所持でGMができるのか。一番の大きい理由は「簡単である」と本人たちが言い張っているからだ。この「簡単」という箇所の一番の理由は「キャラクターシートを読めばなんとなくできることがわかる」という言説である。
ゲームを作るとき、というか言葉を作るときに「こういう状況を模した事柄・物」に対して「それを指し示す単語」を作り出す。
わかりやすい例でいえば、QuizKnockの【あたまいい】インテリ東大ワード流行らせ選手権辺りであろう。

〈図書館〉ロールで言えば、「図書館で調べ物をする」という行為に「図書館」という名前をつけている。と言っても1920年代アメリカで調べ物と言ったら図書館であり、新聞社に行ってバックナンバーを漁るも〈新聞社〉ではなく、〈図書館〉である。インターネット上で調べ物をするのも〈コンピュータ〉ではなく〈図書館〉である。

さて、言葉は生き物である。先程のQuizKnockの動画で例に出したように、言葉が使われ始めてから、意味が変化する。その時は「違った事柄に対してもその単語を当てはめる」のではなく「その単語から派生した(連想した)事柄・物をその単語の意味として使う」のである。

「知恵熱」の意味はご存知だろうか。

文化庁広報誌ぶんかるの2017年10月5日の号に
『「知恵熱」はどんなときに出るか』という話題がある。

では,若い年代を中心に,「深く考えたり頭を使ったりした後の発熱」という意味で用いられるようになっているのには,どのような理由があるでしょうか。
(中略)
元々はからかいのためのたとえであったかもしれませんが,「乳幼児期に突然起こる発熱」という意味をあらかじめ知らなければ,「知恵熱が出た」という表現がそれを使った比喩であることは分からないでしょう。「知恵」という言葉だけから「赤ちゃんに知恵が付く頃」というところまで推測するのは難しく,むしろ,「考えたり頭を使ったり」ということを連想する方が自然かもしれません。

このように、「知恵」という言葉から「連想」されたものを指すような言葉へと意味が移り変わっていく。

この辺に関しては飯間浩明の著書、「辞書を編む」や「ことばから誤解が生まれる - 「伝わらない日本語」見本帳」など読んで頂くとわかりやすい。

Do: Pilgrims of the Flying Templeというゲームがある。このゲームは困っている人が巡礼者であるPCたちに手紙を送ってくる。それを解決するようにストーリーを作っていくというTRPGだ。

このゲームのキャラクター作成は、簡単に言ってしまえば、
Bannerという自分のPCがトラブルに巻き込まれる方法を示した単語、とAvatarと呼ばれる自分のPCが人々をどのように助けるかを示した単語を書くだけだ(厳密に言えばもうちょっとあるが、この2つが象徴的なものである)
さらに送られてきた手紙(他のゲームで言うシナリオ)にはGoal Wordsという単語があり、セッション中このGoal Wordsを使用して連想されることで物語を紡いでいく。

このDo: Pilgrims of the Flying Templeで重要なことは、Bannerや、Avatarなどの単語は、抽象的であるほうがいいということである。FATEやSwords Without Masterなどの「言葉」をキャラクターシートに書くゲームの場合、セッション中具体的なものを書くと何もできなくなる。

例えば、「火」という単語があった場合。「火葬」という単語を思い浮かべれば、アンデッドクリーチャーを葬ることができる。「火球」ならばファイアーボールで相手を攻撃できる。明るくもできる。体温を上げれば生命力も回復できる。というふうに、いくらでもあるだろう。単語を与えて「そこから思い浮かべられることを好きにするゲーム」であれば、抽象的なことを書くといろいろなことを思い浮かべて、いろいろなことをキャラクターができる。
「言葉から連想されるもので遊んでいく」というのは遊び方が全く異なる。

閑話休題、クトゥルフに話を戻す。
キャラクターシート」に技能名が色々書いてあり、「何をするかわかりやすい」という説明をするのは、「その単語から連想されることをプレイヤーは提案しても良い」ということである。「プレイヤーが行動を提案してGMがルールブック通り、できなさそうであったらGMが考えうる、この技能で判定をしろ」ということではない。ルールブック未所持GMは、これを「GMがやってもいい」と思っている。GMが「キャラクターシートを見て、そこにある単語から連想すること」で判定を行っている。
そして、なぜこれがまかり通せているのか。「ゴールデンルールの存在」である。

卓上ゲーム板用語辞典から引用しよう。

【ゴールデンルール】
(用語:TRPG)
「GMの決定は全てに優先する」というTRPGの大原則。
審判役であるGMの判断はゲーム内において絶対であり、プレイヤーが一度下った裁定を覆したり拒否したりすべきではない。これはTRPG初期からの不文律だが、近年はこれを明記してプレイの円滑化を図るのが一般的になりつつある。
もちろんこのルールは、GMが公正なゲームの管理に務めていることを前提にケアレスミスを補うものであって、GMの専横や怠惰によるルール誤用を擁護するものではない。

本来ゴールデンルールは、ルールから逸脱したり、ルールが面白くなかったりしたときにルールを無視して、それの決議権をGMが取ろうとかそういうものである。そういうバックグラウンドなど、成立の過程が色々ある。
しかしtwitter学級会などででてくる「ゴールデンルール」は一概に言えば「GMが最終的な決定権を持つ」の一言だ。
この「ゴールデンルール」と「キャラクターシートの単語から連想される」の2つが組み合わされば最強である。ルールはGM自分であるという好意的、独善的な解釈など容易である。
ここで、基本的に「卓上ゲーム板用語辞典にあるように『ゴールデンルールはGMの専横や怠惰によるルール誤用を擁護するものではない』とあるのだからそういう意味ではない」は通用しない。この文意を「GMが最終的な決定権を持つ」の一文から読み取れるのか、ということは、前述の「知恵熱」にもあるように読み取ることは困難である。

そして、これが「簡単」「わかりやすい」に騙された結果である。

ここまで読んだからにはわかるだろう。彼らは割れ厨ではないのだ。ルールブック未所持GMはリバースエンジニアリングをした結果、大元の作品とは全く異なるものを作り上げているのである。


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